シリーズ『実践の糧』vol. 10

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第207号,2013年4月.

実践の糧」vol. 10

室田信一(むろた しんいち)


私が勤務していたニューヨーク市内のセツルメントでは、社会サービスのプログラムの一環として、移民を対象に無料の英語クラスを提供していた。クイーンズ区の移民街の雑居ビルに構えられたその英語クラスでは、世界各国からニューヨーク市に移り住んできた移民たちが肩を寄せあい、必死に英語を勉強していた。雑居ビルのその小さなオフィスには朝から晩まで毎日のべ600人程の移民が通ってきた。受講生募集の日は、倍率10倍以上のそのプログラムに入るために、雑居ビルの周りに行列ができるほどの人がクイーンズ区中から集まった。テレビ等で見るきらびやかなニューヨークのイメージとはまったく違う様相である。

そのようなプログラムであるため、英語を教える教員も筋金入りのタイプが多い。社会正義に熱く、アメリカで第2の人生を始めようと努力する移民を支援することに真剣である。言語を習得するということは、その社会で生きていくための力を身につけることである。つまり、そのプログラムは単に英語を教えるだけではなく、英語が話せないことで生きづらい思いをしている移民をエンパワーすることが真の目的であった。

そのプログラムにおける私の仕事は、コミュニティ・オーガナイザーとして、移民が抱えている生活問題について話を聴き、また移民にとって問題となりうる政治的課題等について情報を提供し、プログラムの参加者の問題意識を醸成することであった。そのうえで、プログラムの参加者を組織し、リーダーを養成し、彼(女)らが培った問題意識に対して必要な行動を起こせるように支援することであった。ニーズ調査のためのアンケートを実施したり、地元議員の事務所を訪問したり、権利について学ぶワークショップを開催したり、ときには市役所前の集会に参加するアクションを企画したりもした。

私が業務を遂行するうえでもっとも気をつけたことは、英語教員たちとコミュニケーションをとることであった。私と教員の業務の最終目的は同じ「移民をエンパワーすること」であったが、その手段は異なるものであった。私は、自分が進めているプロジェクトについて常に教員の意見を取り入れ、協力を得ることの可能性を尋ねるようにしていた。私ひとりでできることであっても、必ず助言をもらうようにしていた。たとえそれが非効率的であっても、他のスタッフによる参加の手続きを大切にしたということだ。

私が体調を崩したとき、教員が率先して受講生を組織し、ある重要な集会への参加準備を進めてくれたことがある。福祉の仕事をしていると、クライエントのことを考えるあまり自分の業務しか見えなくなってしまう危険性がある。真の意味でクライエントを支援するには、その支援プログラムが滞りなく推進されるように環境を調整し、不必要な軋轢を回避することもまた重要な側面である。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

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