掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第226号,2016年6月.

実践の糧」vol. 29

室田信一(むろた しんいち)

「良い実践」が一人の優れた実践者の功績として讃えられることや、反対に「その人にしかできない特異な実践」として片付けられてしまうことがある。実践とは大なり小なり「その人にしかできない」ものである。

「良い実践」と「良くない実践」の違いとはなんだろうか。成果(アウトカム)によって評価されるものだろうか。過程(プロセス)によって評価されるものだろうか。そもそも実践に対して「良い」や「良くない」といった評価を下すこと自体がナンセンスなのではないだろうか。かつての「良い」実践はいつしか時代遅れの実践になるだろうし、ある人が高く評価する実践は、他者からすると評価に値しない実践ということもある。

ただし、ある時代の、ある与えられた状況の中で多くの人が望ましいと思う実践は存在する。それらの実践はその時代の多くの人が求める実践であって、万人に通用する実践とは限らないが、「時代のニーズ」を捉えているという点において注目に値する。それらの実践は、従来の実践が用いてきた(課題を捉える)レーダーを刷新することや、従来の枠組みでは対応できていなかった課題に対応する術を示すものである。

昨今、子ども食堂の実践が各地で注目を集めている。しかし、地域で孤立している住民に対して会食の場を提供する実践はこれまでも取り組まれてきた。その多くは高齢者に対するものであったが、その対象を子どもや子育て世帯に広げたことで「子ども食堂」は注目されるようになっている。全国で爆発的に子ども食堂が増えているように、その実践自体は比較的取り組みやすいものである。その術(スキーム)を示した点において、先駆的な実践は注目に値する。

その「時代のニーズ」を捉えた実践は、複製可能なものとしてモデル化され、さらに実践の段階で複製可能な形にマニュアル化されていく。そのマニュアル通りに実践をしてもオリジナルである〇〇さんの実践のようにうまくはいかない、という評価が与えられたりする。

アメリカ人はマニュアル化することに長けているとよく言われるが、それはそもそもマニュアルを利用する人がマニュアル通りに実践しないことを前提にしているからだと思う。そのため、大胆であったとしても、その人やその組織にしかできないオリジナルの実践をマニュアル化して示すことを試みて、そのマニュアルが他者によって更新され、改善されることを期待する。そもそも万人に通用する実践をマニュアル化しようとは思っていないから、実践の要点を抽出することで分かりやすいマニュアルが作れるのではないかと思う。

この人にしかできないことやこの組織にしかできないこと、ということをもう少し堂々と述べてもいいのではないだろうか。その特異な実践が「偉人による実践」として崇められるのではなく、「編集可能な姿」で示されることで、次の新たな実践が生み出され、蓄積されていくだろう。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

実践の糧