シリーズ『実践の糧』vol.39

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第236号,2018年2月.

実践の糧」vol. 39

室田信一(むろた しんいち)

話題の書『サピエンス全史』を読んでみた。人類という大きなテーマをわかりやすく整理し明快に分析する筆者の論調にすっかり虜になった。人類がなぜ他のあらゆる生物を凌駕するほどに発展したのか。筆者は、人類が「虚構」(フィクションや物語)について語る力を身につけたことに由来するとそれを説明する。「虚構」とはすなわち現実に存在しないもののことである。私たちの生活は「虚構」で満ち溢れている。「日本」という国や貨幣経済、NPO法人など実際には存在しないがその社会を構成する人がその「虚構」を信じることで社会が成り立っている。

人類学者のダンバーは、個人が知り合いとして関係性を維持できる規模は150人程度であることを示した。人間にとって、この規模を超える人たちと関係性を保持することはむずかしいと考えられている。しかし、その数をはるかに超える集団が人間社会の中では行動を共にしている。人類は国家や貨幣といった「虚構」を操る能力を身につけることで、身近な人間関係を超えて、社会的な集団を維持することを可能にしてきたのである。長い歴史の中で神話や宗教がその役割を果たしてきたことはいうまでもない。

人類の進歩は「虚構」を更新することによって達成されてきた。近代においても、人権という概念や、友愛の思想、自由や民主主義を基調とする社会の構築は「虚構」を語ることで成立している。人類にとってこの「虚構」をいかに操るかが重要な意味をもつことになる。コミュニティの活動にとっても同様である。団体のビジョンやミッションを丁寧に定めることは、その活動に賛同し協力する人たちと「虚構」を共有し足並みをそろえるためである。

残念ながら人がつくりだす「虚構」は人を不幸にもする。身分制度や偏見などはその典型例だろう。私は大学の講義でそれらを「人災」と呼び、あらゆる社会問題を「人災」と整理している。人が共に生活する限り(つまり「虚構」を共有し続ける限り)そうした「人災」はなくならないだろう。私たちができることは、「人災」の少ない社会をつくるために人々にはたらきかけ、減災を試みることである。ところが減災ばかり意識していると、自分がその「人災」の虜になっていることにすら気がつかなくなる。

「虚構」とは想像によって育まれる。コミュニティの実践には、減災を試みるだけではなく、新しい社会のビジョンを創り出すことも求められる。地域の中で孤立死する人がいなくなるように関係者に集まってもらい、連携してセーフティネットを築くことは大切である。その一方で、まだ見たことがない規模で地域の人たちがつながり、孤立という概念が過去のものとなるような状態をつくりだすことを想像し、そのことをお互いに語りあい、より多くの他者とアイデアを共有することで、新しい仕組みを地域の中に生み出すことができるということを疑ってはいけない。

現代日本の市民社会は人口のおよそ1%がアクティブに活動することで成り立っている。その規模を2%に増やすことは大事だが、20%〜30%の人がアクティブに活動する社会を想像しそれを実現するための戦略を練ることもまた重要である。そのためにはまず目の前の山積みの仕事を片付けて、頭をスッキリさせなければ・・・。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

実践の糧