シリーズ『実践の糧』vol.63

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第260号,2022年2月.

実践の糧」vol. 63

室田信一(むろた しんいち)

最近、社会福祉の領域でアセットという言葉をよく耳にするようになったが、私はこの概念の使用について慎重にするようにしているので、今回はその理由について書きたいと思う。

アセットとは資産の意味で、社会福祉でよく用いられる資源と類似の概念であるが、資源には含まれていないニュアンスが伴う。アセットという概念は、私の理解では、経済的な自立を支援するという文脈において用いられるようになった。生活扶助のように日常的な収入(フロー)を支援する政策に対して、資産形成のように自立に必要な貯蓄(ストック)を支援する政策の重要性が指摘されるようになり、アセットに注目が集まった。たとえば、ヨーロッパの福祉国家では、若者が自立した生活を始めるための資産形成を支援するような政策が推進されるようになった。そうした最低限必要な資産のことをベーシック・アセットと呼ぶ。

上記のような経済的な基盤としての資産への注目とは少し異なる意味で、アセット・ベーストという概念も最近よく耳にする。アセット・ベースト、すなわち資産の視点に基づくという意味であるが、これは不足の視点に基づく考え方へのアンチテーゼとして登場した。不足の視点とは、いわゆるサービス提供型の福祉のことで、ニーズに基づいて資源を提供するという考え方である。それに対してアセット・ベーストの考え方では、当事者やコミュニティが保持する資産に注目し、その資産が活用されるように働きかけるという発想である。例えば、介護サービスが必要な人がいたら、そこにサービスを提供するのではなく、コミュニティの資産を活用することで、すなわち地域住民の積極的な参加を促すことにより、コミュニティの中でニーズを満たす仕組みを作るという発想である。昨今の日本における地域包括ケアや地域共生社会と近い考え方といえる。当事者やコミュニティは資源を有しているという発想は賛同できるが、サービス利用ではなく地域の相互扶助を求めるという発想は、公的な支援の後退を後押しするものであり危うさを感じる。

アセットに対する私の違和感はこれだけではない。アセット・ベーストの考え方は、コミュニティの中の資産が大きくなること、いわゆるプラスサムな状態を目指すものである。これに対して、たとえば、限られた公的予算を求めてパイを奪い合うような働きかけはゼロサムな発想に基づいており、批判されることがあるが、私はこのゼロサムを否定する発想が最も危険だと思っている。なぜなら、支援の対象から除外されてきたような厳しい状況に置かれた当事者にとって、たとえゼロサムになったとしても、自分達の利益になるのであれば、パイを勝ち取ることは意味があることだからだ。ゼロサムを否定して、プラスサムを求める発想自体が、既得権を有する立場の人間の発想であり、だからこそ制度を維持するためにもプラスサムという考えが生まれてくるのだと思う。

このように考えると、アセットという概念にはどこか既存の価値観やモノサシを前提としている点があり、それ故のきな臭さが伴う。流行りの概念だからと安易に使用することには気をつけなければならない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.62

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第259号,2021年12月.

実践の糧」vol. 62

室田信一(むろた しんいち)

自分の子どもが思ったように育たないというのはよく聞く話である。私の長男は小学校4年生になるが、外交的な子で、友人が多く、放課後に友達と遊ぶことが多い。コロナ禍で友達と遊ぶことが憚られる期間を経て、感染症対策の観点から家の中に友達を入れることがあまり望ましくない中、家の外であれば遊んでもいいだろうということで、1年ほど前から我が家の庭先に息子の友達が出入りするようになった。私の家は奥まった路地にあり、近所の住民以外はほとんど出入りがないので、道路で子どもが遊んでいても危険があまりないということも息子たちにとっては好都合であった。

しかし、小学校4年生の男の子たちには「他人の迷惑」という視点が著しく欠如しているため、自転車がバラバラに放置されたり、お菓子のゴミが落っこちていたり、大きな声で騒いだりといったいわゆる「迷惑行為」があとを絶たなくなった。息子を通して、時には直接、子どもたちを注意するが、あまり効果はない。庭先で遊ぶ際のルールのようなものを提示するが、すぐに忘れ去られてしまう。我が家の前で遊ぶことを禁止すれば話は早いと思うが、結局は「遊び場難民」の子どもたちが生み出されることになる。

そんな折、息子から、あまりに騒がしいのでご近所さんから注意されたという話を耳にした。それを聞いて私は嬉しかった。今のご時世、近隣の子どもを注意してくれる大人が減ってきている。いわゆる「孤育て」が当たり前になり、地域で子どもを育てるという風潮が減ってきているからだ。近隣の迷惑になるという理由もあって、家に子どもを閉じ込めてしまいがちで、テレビゲームをしてくれている方が親にとっては楽という現実がある。

私は普段から人の主体性を大切にするということをよく口にしていて、子育てに関しても子どもの主体性を大切にしたいと考えている。したがって、子どもに大人のルールを強要するのではなく、子どもたちの考え(自由)が大人の考え(規範)に抵触することがある場合、そのこと自体に子どもたちに向き合ってほしいと思っている。過保護に子どもたちを守ることでもなく、頭ごなしに否定することでもなく、他者とともに生きる時にはそれぞれの自由が干渉することがあるということを知ってほしいし、そのような衝突との向き合い方や付き合い方を経験してほしいと思っている。そのためには当然、一人の人格として子どもたちに向き合う態度が大人たちにも求められる。ご近所さんが子どもを注意したという話を聞いて、この地域にはそのような価値観が根付いているのではないかという期待があった。

そこで、私の提案で、ある日曜日に、いつも集まっている子どもたちに集まってもらい、子どもたちが準備をして焼きそばを作り、普段迷惑をかけていることのお詫びをしつつ、焼きそばを配るという企画を実行した。私の意図としては子どもたちと近隣の大人たちとの対話の場を作るということであった。集まった大人たちから、子どもたちへ注意してほしいことなどを伝えてもらえることを望んでいた。息子の手書きの手紙(招待状)を近隣に投函したところ、「子どもは騒がしいものだから、気にしなくていい」と温かく言ってくれる住民が何人か顔を出してくれた一方で、息子に注意をしてくれた住民からは親宛ての手厳しい手紙が届いた。これ以上子どもたちを路地で遊ばせないでほしいというメッセージであった。厳しいが、それが現実である。

地域共生社会の議論もそうであるが、地域の中で住民が共に生活するということは、当然そこに衝突も生まれてくる。その衝突と向き合い、対話することで市民としてのリテラシーが高まると私は信じている。子どもの主体性を重んじるということは、子どもたちにそうした経験を積んでもらうことであり、大人の役割はそうした環境を整えることなのではないかと思っている。近隣から怒られることは辛いが。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.61

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第258号,2021年10月.

実践の糧」vol. 61

室田信一(むろた しんいち)

今や日本のプロスポーツリーグとしてすっかり定着したJリーグだが、1993年のリーグ発足にあたっては、多くの人や組織が関わり、サッカーが文化として日本に根付くための戦略が練られ、それを実現するために多くの資源が投入されていた。私は当時中学生だったが、発足時の盛り上がりを今でも鮮明に覚えている。海外から、キャリア晩年期であったものの、スタープレイヤーたちが招聘されて、リーグを盛り上げていたことも印象的だった。

Jリーグ発足以前も日本にサッカーリーグはあった。プロリーグではなかったが、サッカー文化は少なからず根付いていた。しかし、おそらくJリーグを発足しなければ、日本のサッカー文化が今日のように盛り上がることはなかっただろう。

ある活動を地道に継続することが、その活動に関わっている一部の人たちにとって基盤を形成することは疑いないが、その活動がより広範な人々の関心にまで及ぶ可能性は低い。その活動を支えている考えや文化が、活動の中核にいる人たちから世間一般に浸透するためには、普段の活動の継続だけで達成することは難しい。そこには戦略が必要であり、資源の投入が必要である。

地域の活動においても同じことが当てはまる。ある地域に住民主体の地道な活動があるとする。活動している本人たちはその活動に満足していて、地域の住民もその活動を支えているし、その活動から恩恵を受けているとしよう。しかし、隣の地域では同様の活動は存在しない。住民は同様の活動を望んでいるが、誰かが声を上げて、イニシアチブをとって行動を起こさない限り、その地域で同様の活動が生まれることはない。そのような時に、地域住民ではなく、コミュニティ・オーガナイザーなどの第三者が関与することがある。地域で集会を開いて、住民の声を集めたり、活動の中心になり得る人たちと会議を繰り返すことから活動が生み出される契機を模索する。そのように第三者が意図的に働きかけない限り、その地域では地域活動が生み出されなかったかもしれない。少なくとも近いうちには。

私はそのような地域への「介入」をドーピングと呼んでいる。ドーピングによって導かれる結果は本来の力ではない。ドーピングに依存し続ける地域は、むしろ本来の力を削ぎ取られてしまうだろう。かつて国際協力の現場では、パラシュート部隊のように資源を投入する一方的な介入が行われていて、そのような介入は地域の力を奪うことになっていた。スポーツ界におけるドーピングという行為を肯定するつもりはないが、地域への一時的で意図的な介入が効果を発揮することは珍しくない。しかし、その介入は第三者による人工的なものなので、戒めも含めてドーピングと呼ぶことにしている。

Jリーグは一夜にして完成したわけではない。すでに下地として実業団チームがあり、サッカー文化の下地ができていた。そのサッカーという文化圏を一層広げるためにはドーピングが必要だった。地域活動も一部の人にとっての活動にとどまっているが、サッカーがこれだけメジャーになったことを考えれば、地域住民の3割、いや5割が地域活動に参加するような社会を夢見てもおかしくないだろう。そうそう、「キャプテン翼」がサッカーブームの引き金になったことを考えると、まずは地域活動をテーマにしたアニメ制作から着手しようか。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.60

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第257号,2021年8月.

実践の糧」vol. 60

室田信一(むろた しんいち)

先日、障害者にかかわる日本の制度改革や障害者の社会参加を促進することを目的に活動してきているDPI日本会議という団体の副議長の尾上浩二さんのお話を伺う機会があった。尾上さんがこれまでに関わられてきた様々な取り組みには、大阪の地下鉄のエレベーター設置を要求する活動や、自立生活センターの立ち上げ、障害者自立支援法制定反対行動などがある。それらの取り組みはどれも重要な活動で、活動の舞台裏も含めてお話を聞くことができたことは大変勉強になった。しかし、私が最も感動したことは、尾上さんがご自身の経験してきたことや、その当時の状況などを説明する際の語り方であった。

尾上さんは過去にご自身が取り組んできたことを大袈裟に話したりドラマチックに話したりすることはなく、それでいて事実だけを伝える冷たい話し方でもなく、内に秘めた情熱に支えられた真摯な実践を丁寧な言葉で表現してくださった。実践の現場では、厳しい現実について語ることで共感を得ようとすることや、希望的な観測を示すことで支持を得ようとすることが効果的な語り方として用いられることもあるが、そうした表面的な語りのテクニックは全く見られなかった。尾上さんの語り方からは、したたかな現状分析に基づく実直な実践を積み重ねてきたことがよくわかったし、だからこそ現実社会に確実に変化を与えてきたことが確認できた。その眼差しの先にさらなる変化を求めていることが伝わったが、かといって野心のようなものを感じることはなく、日々の実践の先に変化を生み出していくことへの覚悟のようなものを感じ取ることができた。

尾上さんの話を伺っていると、私がアメリカで出会ったコミュニティ・オーガナイザーたちの姿が思い出された。私がかつて住んでいたアメリカのニューヨーク市には、コミュニティが直面しているさまざまな生活上の課題や人権の問題など、個人では変化を起こすことができない状況に対して、コミュニティが連帯して働きかけられるように、そのコミュニティに関与するコミュニティ・オーガナイザーたちがたくさんいた。「社会を変える」というとマスメディアで取り上げられるような世間の注目を集める大きなキャンペーンが想像されるかもしれないが、実際は名もなきオーガナイザーたちが、コミュニティの中で住民と対話を繰り返し、作戦を練り、変化を求めて各方面に貪欲に働きかけている。

私もかつてはそうした姿勢を大切にしていたはずなのに、いつからか変わってしまったように思う。具体的な変化が日々生み出される実践の現場に対して、私が今いる場所は具体的には何の変化も生み出すことをしていない。現実を可視化して記述したり、分析して説明したり、もしくは批判的に検討したりすることが研究者としての役割であると自認しているが、具体的な変化とは程遠いところにいるように感じる。研究者には研究者の役割があると開き直ることもできるが、今書いているこの文章も含めて、虚構を生み出している行為にすぎないと感じている。

以前この連載で『サピエンス全史』を取り上げて述べたように、人間社会とは虚構によって成り立っているものだと、自分の行為を肯定することもできるが、やはり実践に裏付けられた言葉の重要性について、虚構と批判されたとしても、これからも悩み続けていきたいと覚悟を新たにした。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.59

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第256号,2021年6月.

実践の糧」vol. 59

室田信一(むろた しんいち)

東京オリンピックの開幕まで2ヶ月を切り、世間の反対の声とは裏腹に、その準備は粛々と進んでいるように見える。コロナ禍のオリンピック開催についてはさまざまな意見があると思うが、私は問題を単純化して社会を分断する報道のあり方に最も違和感を感じている。

誤解を恐れずに書くと、私自身はオリンピックの開催を楽しみにしている。しかし、現実問題として、感染症対策の観点からして開催することが適切かどうかその判断はつかない。判断するだけの情報が手元にないので、不安に感じてしまい、開催反対の意見に飲まれてしまっている。

なぜ私がオリンピックの開催を望むかというと、私は単純にスポーツ観戦が好きで、コロナ禍であってもテレビやインターネットで大好きな野球やラグビーを観戦して、興奮と熱狂を得てきた。むしろ、コロナ禍になって初めて、スポーツという文化が生活を豊かにすることを実感した。オリンピックを観戦することも従来から好きだ。

しかし、東京オリンピックの招致に関してはそこまで前向きではなかった。そもそもロサンゼルス・オリンピック以降の商業化されたオリンピックに関しては違和感をもっており、「経済効果」という幻想に一喜一憂する社会のあり様についていけなくなっている。単純にスポーツ観戦を楽しむことの延長線上にオリンピックがあってほしいが、残念ながらそうなっていない状況を憂いている。しかし、コロナ以前からオリンピック・バブルの神話は崩れつつあり、ホストとして手を上げる都市がなくなってきている状況の中で新型コロナウイルスの感染拡大が起こったわけだ。

そこで思うことは、このような状況になって初めて、商業主義的ではなく、お祭り騒ぎでもなく、真にスポーツマンシップに則ったアスリートのための大会を開催できるのではないかという期待である。しかし、大会の開催がホスト国のコロナ対策に悪影響を与えることは賛成できない。そうなってくると、オリンピックを開催してほしいという純粋な気持ちを表明することが、自己中心的で楽天的で、人の命を軽んじている発言のように聞こえてしまい、自分の気持ちを隠さなければならなくなることが残念である。

オリンピック開催賛成か反対かという二元論は社会を分断するばかりで対話を招かない。そもそもオリンピック観戦に興味がある人とない人がいていいと思うし、開催に賛成の人と反対の人がいていいはずだ。それを踏まえて、政治の役割は、いつのどの時点でどれくらいの感染状況であれば開催する・しないという判断を下すための条件を提示することで、あとはそれに対して社会全体がどこまで対策できるかに委ねてはどうかと思う。単純に賛成か反対かではなく、与えられた条件の中で、ある程度の合意が形成できる中で、何ができるかということを具体的かつ戦略的に進めていくことができないものだろうか。

実はこうした分断は身近な地域の中にもある。施設建設やイベントの開催など、社会的な合意を形成する際に賛成か反対かの二元論になってしまいがちである。ある人にとって合理的に思われる求めは他の人にとって不合理に映ることは少なくない。そうした意見の不一致を賛成多数によって押し切るのではなく、対話と行動を軸に議論を組みなおしてはどうだろうか。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.58

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第255号,2021年4月.

実践の糧」vol. 58

室田信一(むろた しんいち)

2020年12月に開催された漫才の日本一を決める大会M-1グランプリにて、漫才師のマヂカルラブリーが見事チャンピオンになった。マヂカルラブリーが決勝戦で披露した漫才は、コンビの一人野田クリスタルさんが電車の吊り革に捕まらずにどう耐えるかを演技で表現したネタで、それに対して相方の村上さんがツッコミを入れ続けるという、従来の漫才からするとやや異色な漫才であったため、大会終了後にマヂカルラブリーのネタは果たして漫才なのかという議論が巻き起こったことでも知られている。

漫才に定義があるわけではなく、大会で決められたルールの中でネタを披露する限り、多くの笑いをとった漫才が最も優れた漫才であり、マヂカルラブリーのネタは漫才だという見方で議論は落ち着いたようである。もしくはそのような定義をめぐる議論自体あまり意味がないという結論が支持されたようである。

漫才にはいくつかの型があり、関西特有の面白い会話の掛け合いを売りにするしゃべくり漫才や、漫才の中でコントのように役割を演じて笑いを生み出すコント漫才など、これまでの漫才の歴史の中で様々な型が生み出されてきている。ナイツの塙さんは著書の中で、中川家のようなしゃべくり漫才は関東の漫才師にはなかなか真似できない。だからこそ、ナイツの売りとなる漫才の型を生み出さなければならなかったと述べている。

このような議論を聞いていて感じたことは、コミュニティ・オーガナイジングなどの地域の実践においても同様のことがいえるということである。コミュニティ・オーガナイジングを学んだ人の中に、〇〇の実践はコミュニティ・オーガナイジングではないとか、この要素が欠けている、というような意見を抱く人がいる。それだけコミュニティ・オーガナイジングに真剣に向き合うことは素晴らしいが、この議論は上記の漫才の議論と似ていると思う。漫才にいろいろな型があるように、コミュニティ・オーガナイジングや地域の実践にも様々な型がある。一つの型からみると、別の型は違うもののように見えてしまうかもしれない。しかし、大事なことはコミュニティ・オーガナイジングを通して何を達成するかであって、そのアプローチは無限に存在するといっていいし、むしろ常に新たな可能性を模索することが大事であり、かつ時代とともに求められるアプローチが変化することに対して敏感であることが重要である。

M-1グランプリでは多くの笑いをとった漫才が高く評価されるが、コミュニティ・オーガナイジングの実践も、住民や当事者が社会の中に望む変化を確実に起こすことが支持につながる。では、変化を起こせばなんでもありかといったらそうとも限らない。漫才の場合、特定の人を蔑視することで大爆笑を生み出したとしても、その笑いにおける倫理観は問われるし、それを問うのは大会主催者ではなく視聴者であることが望ましい。すなわち、視聴者のお笑いリテラシーも質の高い漫才を生み出す際には重要な要素となる。

コミュニティ・オーガナイジングの実践も、変化という結果が重要であるが、その結果が民主主義を歪めることになってしまったり、特定の人を排除するような結果を招いたり、権力の偏りを生み出したりすることがあるかもしれない。そのような結果は支持しないという住民や当事者のリテラシーが質の高い実践を育てることになるだろう。ここでいうリテラシーとは特定の型を身につけることではなく、人と人がともに社会を築くということに向き合うことから得られるものである。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.57

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第254号,2021年2月.

実践の糧」vol. 57

室田信一(むろた しんいち)

私がアメリカ留学を決意したのは高校2年の正月だった。ニューヨークに住む親の知人が家に来たときに、アメリカに行きたかったらいつでも世話するよと言ってくれて、二つ返事で「行きたい」と言ったことを今でも覚えている。日本の大学に魅力を感じることができず、就職したいと漏らしていた私をみて、両親が知人を招いてくれたのかもしれない。しかし、高校3年になり、担任の先生に留学の希望を伝えると、日本の大学に進学してから考えろと頭ごなしに否定された。今でこそ高等教育のグローバル化が進み、海外の大学を目指すことは珍しくないが、今以上に人生のレールが固定化されていた当時、そのレールを外れることに対する反発は強かった。

俗にいう「出る杭を打つ」そうした日本人の価値意識は地域活動の中にも存在する。新しいことや既存の枠組みを外れることは容易には受け入れられない風土がある。市民活動界隈では近年「イノベーション」がキーワードになっているが、皮肉を込めて言えば、イノベーションのレールを敷こうとするそうした働きかけは、真にイノベーティブなものを除外しているように見えなくもない。真にイノベーティブなものはまさに出る杭のように少し目障りだったり、厄介な存在だったりするだろう。そのような存在だからこそゲームのルールを変えるようなイノベーションが起こせるのだ。

厄介な存在だからこそ、イノベーションを起こすことにはそれなりの痛みが伴う。私がかつて住んでいたニューヨークでは出る杭が打たれるという感覚を抱くことはなかった。その代わり、何か新しい取り組みをする際は、本当に魅力的で有意義な提案をしない限り人は集まらないし、1回目の集いに人が集まってもそこに参加する意義を感じなければ2回目の集まりに戻ってくる人はいない。義理や縁でとりあえず参加するという慣習はない。したがってオーガナイザー側は参加者一人一人の動機に対して敏感になる必要があるし、参加者が意見を反映できる余白を残さなければ、その企画は前に進まないだろう。

一方日本の地域活動では、声がかかった会議にとりあえず参加するし、一度参加したら継続して参加するという慣習がある。参加を取りやめることのハードルが高く、同時に一度始めた会を途中で解散することのハードルも高いように思う(失敗の烙印が押されて、次から声をかけづらいような空気ができてしまうからだろうか)。確かにそのような環境ではイノベーションが起こりにくいかもしれない。

そうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、地域活動をめぐる力学が少し変わったように思う。何が起こるかわからない先行き不透明な状況においては、目的が曖昧であったとしても、つながっていることが重要な意味を持つ。災害時でも同様のことがいわれるが、コロナ禍でも同じ力学が働いているようだ。

「出る杭は打たれる」という話をすると、「出る杭」ばかりに注目してしまうが、そこにしっかりと埋まっている「出ない杭」があるからこそ「出る杭」の存在価値が際立つといえる。イノベーションも重要であるが、安定性・継続性が地域にもたらす価値を見つめ直すことも必要だろう。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.56

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第253号,2020年12月.

実践の糧」vol. 56

室田信一(むろた しんいち)

私は高校生の頃にレゲエミュージックが好きになった。きっかけは正確に思い出せないが、確かラジオから流れてきたボブ・マーリーの陽気なリズムが気に入り、インターネットがなかった時代なので、レゲエに関するムック本を買って、レゲエについて調べてCDを買ったりしていた。

その後、アメリカに留学すると、若者が集う街やお土産屋さんなどでボブ・マーリーの写真がプリントされたTシャツやポスター、ポストカードなどがたくさん売られていて、既に亡くなってから15年以上経っていたにもかかわらず、現役のミュージシャン並みの人気だったことに驚かされた。時代を経ても廃れないその存在は、ポップなアイコンというよりも、何か特別な価値観を象徴するアイコンのようでもあった。

高校時代まではその音楽が好きだったので、あまり歌詞の意味についてや、ボブ・マーリーやレゲエが生み出されてきた背景については無知であった。留学して英語を学ぶ中で、徐々にその歌詞の意味について理解し、考えるようになると、そこには大きなメッセージが込められていることを知るようになった。

たとえば、ボブ・マーリーの代表的な曲であるBuffalo Soldierとは奴隷としてアフリカからアメリカ大陸に連れてこられた人たちのことを歌っていることを理解するようになった(その後、南北戦争の時代にアメリカの陸軍の中に組織されたアフリカ系アメリカ人の連隊に対して付けられた名称ということを知った)。

私が最も好きなボブ・マーリーの曲にRedemption Songがある。最初はNo Woman, No CryやOne Loveのような人気曲が好きだったが、歌詞を理解しながら聴くようになってRedemption Songが大好きになった。Redemptionとは贖罪と訳されるが、これはマーリーが罪を贖うということではなく、この歌を歌うことで人がおこなってきた愚行を解放するという意味合いがある。この曲の中に「あなたを精神的な隷属状態から解放しなさい、自分たちしか自らの心を自由にすることはできない」という歌詞がある。日本の高校で受けた世界史の授業では、奴隷制度やアメリカにおけるアフリカ系アメリカ人が歩んできた歴史、今も残る差別などについて少し学んでいたが、その歴史の延長線上に存在するアフリカ系アメリカ人と日々接していると、その歴史がとても身近なものと感じた。それと当時に、自分がボブ・マーリーの歌に登場しないことをとても残念に思った。自分も人類が歩んできた歴史の象徴として、闘うマイノリティとして、そして精神的な解放を必要とする存在として描いてほしいと心から望んだ時期があった。

それから間もなく、外国人コミュニティの一員として、外国人が地域の中で自分らしく生活することを推進する活動に参加することになった。自分はアフリカ系アメリカ人ではないけど、「外国人」という精神的な奴隷になっていたことに気がついた。そこから自分や周囲の人間をその隷属状態から解放することが自分の使命となった。

誰にでもそうした使命がある。その使命に気がついた時、内側から湧いてくるエネルギーを感じることができた。このエネルギーこそ社会を変えて、一歩前に進める原動力になる。そのきっかけをくれたボブ・マーリーに改めて感謝したい。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.55

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第252号,2020年10月.

実践の糧」vol. 55

室田信一(むろた しんいち)

このようなことを書いたら誤解を招くかもしれないが、私は政府をあまり信用していない。もう少し厳密な表現に変えると、無条件に政府を信用することはしない。この価値観がどこから来ているのかわからないが、比較的幼い頃に身についたもののように思う。私の両親が自営業者で、(良くも悪くも)自立心が強かったからなのか、身近に公務員や政府関係者の大人がいなかったからなのか、中学生くらいから教師に対して不信感を募らせていたからなのか。いずれにしろ、政府を信頼して、手放しに行政を任せるという感覚はもっていなかった。

根底にそのような価値観があったからかもしれないが、20歳の頃、留学先のアメリカでヘンリー・デイヴィッド・ソローの著書を読んだときに、とてもしっくり来た。ソローは当時アメリカとメキシコの間で起こっていたメキシコ戦争に反対するため、税金の支払いを拒否して投獄されている。納税とは市民の責務であるが、その収めた税金が自分の望まない目的のために利用されるのであれば、納税を拒否することこそが市民の義務である、というのがソローの主張である。ソローがそうした考えをまとめた『市民的不服従』という書籍や、社会と断絶し森の中に入り、彼の自給自足生活について書かれた『ウォールデン』は有名である。その中に、「政府とは小さければ小さい方が良い」という記述があり、そこからは無政府状態を信奉している彼の思想が読み取れる。こうした彼の思想は、現在のアメリカの保守系の思想にも通ずるところがあるが、一方で、ソローの書籍はキング牧師やガンジーによる市民的不服従の実践に影響を与えたといわれている。

なぜ、ソローを取り上げたのかというと、今から約1年前に参加したある自治体の地域福祉計画推進会議での一人の委員の発言が頭に残っているからである。その委員は地元の企業を代表して委員会に参加している民間企業の社員である。中央政府が推進する地域共生社会について説明を受けたとき、今後は地域共生社会づくりにかかる費用を住民や企業が拠出することも念頭に入れる、というような表記があったところに引っかかり、費用は政府が出すべきだとその委員は声を荒げていた。確かに、政府が推進する政策の費用を地域で拠出しろ、というのはあまりにも虫が良すぎる。しかし、私は政府にお任せの地域づくりがうまくいくはずがないと思っているので、地域づくりに政府が口とお金を出している状態よりも、地域が自主的に取り組んでいる状態の方が良いと思い、こうした政府の「放任」を歓迎していた。その委員が勤める企業の社風も影響しているのかもしれないが、民間企業がそこまで政府依存の思考をもっていることに、驚いたと同時に、少し残念に感じた。

大きな政府が時代に合わないことは明白に思えるが、「大きな社会」や「大きな地域」をつくっていくことは可能であると思う。地域の中で資源が循環し、民主的な意思決定により地域の中でものごとが動いている。そんな社会がすでに始まっているように思う。

ちなみにアメリカでは中学生くらいで必ずソローの文章を読むらしい。そこに国民性の差が生まれるのかもしれないが、たとえば宮本常一の『忘れられた日本人』のような書籍にはソローの思想に通ずるものがあるように思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.54

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第251号,2020年8月.

実践の糧」vol. 54

室田信一(むろた しんいち)

新しい生活様式の中で、私の生活に最もインパクトを与えたことは、ビデオ会議システムの導入だと思う。私は大学の教育に携わっているため、無論、全ての授業はオンライン化したし、個別の論文指導や、新入生のオリエンテーションさえオンラインのビデオ会議システムを使用するようになった。当初、オンラインで授業を実施することに抵抗はあったが、やってみると便利な面が多く、特に移動時間を削減できたことが最大のメリットのように思う。かつてはあり得なかったようなスケジュール設定が可能で、授業終了の30分後に外部の会議に参加したり、というように仕事を効率化してくれた。他にも、遠方の人に集まっていただく研究会などの日程調整も楽になったし、週末に開催されるセミナーなどに、家族の時間を犠牲にすることなく、1時間とか2時間だけセミナーに参加するということもできるようになった。

学習効果はというと、実は学生はかつてないほどよく勉強し、対面の授業よりも学習効果が高いように感じている。部活動やアルバイトの時間が減少したこともその背景にはあると思うが、ビデオ会議とオンライン上のシステムを組み合わせることで、授業外学習に真剣に取り組む学生が増えた印象を受ける。遠隔授業のためのオンラインツールはこれまでも存在していたにもかかわらず、しかもそれらを利用することが効果的な学習効果を発揮する可能性があるのに、従来の教育方法に囚われて活用できていなかったことに自分の保守的な部分を発見した。オンライン化が進んだことは、物事の無駄と思われる部分を削ぎ落とし、本質的な部分を浮かび上がらせることを助けてくれた。それは教育現場に限らず、普段の仕事のあり方や、生活のあり方においても同様の効果を発揮してくれた。

そのように新しい生活様式に移行することを好意的に受け止め始めていたある日、取材のために横浜市内のコミュニティ・カフェを訪問することになった。緊急事態宣言が解除されてからまだ間もない頃、その日はコミュニティ・カフェにとって店内の飲食を再開する初日だった。私の家からそのカフェまで片道1時間半ほどかかる。取材の時間は1〜2時間程度であるため、往復の移動時間の方が長くなる。以前は、長い移動時間が伴うことも、そういうものだと受け入れていたが、遠隔に慣れてしまった私の体は、1時間半の移動を面倒だと感じていた。しかし、数ヶ月ぶりにコミュニティの「現場」に足を踏み入れ、地域活動に対して思いのある活動者の人たちと対話をすることは、オンライン会議では得られることができないたくさんの感覚を与えてくれるものだということに気づかせてくれた。複数の人たちが出入りするその空間で、手作りのおいしい食事をいただきながら会話をすることは、脳に入ってくる情報量としてはオンライン会議の比にならないほど多い。にもかかわらず、オンライン会議のような疲労感は全く感じない。むしろ、帰宅中に頭の中にいろいろとポジティブな考えが浮かんできて、帰宅後すぐに別のオンライン会議に参加したが、いつもとは異なり、エネルギーに満ち溢れている自分がそこにいた。

オンライン化によって無駄が省かれて本質が浮かび上がると思ったが、実は無駄の中にある本質までもが削ぎ落とされてしまう危険性が高いことに気づかされた。オンラインのツールを導入する際に、いかにその点に自覚的であるかが、今後の活動を左右するように思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。