時代は繰り返す

さてと、ずいぶんご無沙汰していたこのブログも久しぶりに更新するに至りました。
ニュー ヨークでの帰国準備、帰国して、新しい生活のスタートとなんだかんだで3ヶ月くらいはゆっくりとこのブログを書くことができませんでしたが、これか らは日本でのCOの現状を踏まえて、NYで書き残してきたノートなどを含めてこのブログを更新していきたいと思っています。
さて、今回は日本に帰ってきた自分が今、深く感じていることを書き落としておきたいと思う。具体的には「福祉」とは何か、そしてNPOのあり方などに触れてみたいと思う。
日本に帰ってきて、自分が今までやってきたこと(CO)をカテゴリーに分けるとすると、日本では「地域福祉」と呼ばれるものに当たる。
そ れとはまた別に、現在の日本ではNPOを中心とした市民活動が大変大きな盛り上がりを見せている。実際に僕がNYで働いていたセツルメントハウスなども このNPOに当てはまるわけだが(というよりも、NPOの原点といえるのかもしれない)、日本では、このNPOの歴史が浅いせいもあってか、NPOとそれ 以前の俗に言うボランティア団体などの地域福祉との間には大きな開きがあるように思われる。
NYでは確かにForest Hills Community Houseの ようなセツルメントのことをSocial Service Agencyと呼ぶけれどもそれはNPOという大きなカテゴリーに収まるわけで、日本で言うところの福祉NPOに当たるのかな。確かに市民活動よりも福祉 的なサービスの担い手という感は否めないが、NPOとSocial Service Agencyの間に日本で見られるような壁は存在しないと思う。
特に今回帰国して日本の地域福祉の文献をあさってみたが、NPOに関して述べているものは少なかった。一方で、NPOの分野では既存のコミュニティーでの活動を含めた地域福祉をコミュニティー内の機能として認識している団体は少ないように見える。
一言で「市民活動」と言ってもさまざまだが、COの原点に帰るとそれがNPO活動であれ、地域福祉であれ関係ないと思う。どちらかというと、方向性をつけることでお互いが強調されることが大切なのではないかと思う。
Johns Hopkins大学の権威で市民活動(NPO)についての研究を続けているSalamon教授によるとこの第三セクターと呼ばれる市民活動数は世界中で急 増しているらしい。これは、高度に進んだ通信技術力などを駆使して政府や資本に頼ることなく市民が中心となって社会的ニーズを満たしているという。これ に加えて僕はもうひとつの見解を挙げたいと思う。
今 日、コミュニティーの崩壊が謳われ始めて数十年が過ぎようとしている。都市化、国際化、核家族 化に加え、生活パターンの変化もあり、長く続いてきた地理 的な条件を基にしたコミュニティーが崩壊の道をたどってきた。一方で通信技術の進歩によって、新しい生活パターンが成り立ち、新しいコミュニティーの形が 出来上がってきた。今日NPOが盛り上がっていることは、コミュニティーの形成に当たるんだと思う。それは、以前農業を中心とした村単位でのコミュニ ティーが存在したり、商店街を中心とした町内会などができたように、新しい生活パターンに基づいたコミュニティー作りがものすごい勢いでなされているのだ と思う。これ自体はコミュニティー・オーガナイザーからして言えば、願ったりかなったりで、コミュニティーの存在しないところでオーガナイズなどできない と 言われてきた最近のCOを一気に改善してくれるかもしれない。
しかし、ここで大事になってくることは「福祉」というコンセプトだと思う。福祉 とい う言葉自体、今日NPOを盛り上げている人達にとっては野暮ったいもの になると思う。僕も個人的に福祉という言葉には何か制限が付きまとうような気がする。それは、福祉という言葉が児童、高齢者、障害者といった俗に言う社会 的弱者にしか当てはまらないというイメージが強いし、自由度に制限があると思う。
さらに付け加えるならば、マスメディアが作り出す、市場主義的な価値観の中では、どうしても見劣りする部分は多々あると思う。
た とえば、最近僕がイベントに顔を出したBeGood CafeというNPOは若者の中でも人気のミュージシャンをゲストに呼んでトークショーをしたりと、市場が求めるものを非営利の形で実現しているという部 分では眼を見張るものがある。それに加え、内容もエコや、平和などメッセージ性も強く、地域通貨やCooperativeを展開したりと、従来の地 域福祉が目指すところが多々ある。
そ れでは、こういったNPOの活動が今までの地域福祉を取って代われるのかというのがポイントだと思う。どちら かというと、本来のコミュニティー・オーガ ナイザーの視点から言えばこれほどすばらしいことは無いわけで、福祉として提供するフォーマルなソーシャル・サポートを、市民が力を出し合うことでカバー できるならば、そして世の中からコミュニティー・オーガナイザーという職業が無くなって、世の人々皆がコミュニティー・オーガナイザーになればそれはコ ミュニティー・オーガナイザーの本望であると思う。そうすれば、あとはオーガナイザーは子供の教育に携わればいいと思う。
まぁ、しかし、そうは行 かないのが現実で、ここで大切になってくるのが福祉というコンセプトだと思います。福祉というものは、ほんの120年位前までは地 球上に存在しなかった考え方で、それまではインフォーマルなソーシャルサポート、及び宗教を通したチャリティーのみが存在していた。、政府、又は市民の代 表が フォーマルな福祉を定着させたのは、基本的には民主主義という社会形態をもってして初めて成り立ったものである。つまりは、「人類みな平等」のコンセプト の上に成り立っているもので、だからこそ、社会的弱者の児童、高齢者、障害者が福祉の代名詞のようになってしまったんだろう。
COのコンセプトは民主主義と特に密接に絡んでいると思うが、福祉自体民主主義という土台が無くては大変不安定なものになってしまう。ビスマルクのように国力と考えて福祉を導入した例もあるので一概には言えないが。
こ の民主主義のコンセプトを今日のNPO活動に当てはめて考えるとどうであろうか。よくアメリカではNIMBY(Not In My Back Yard)と言うコンセプトを用いるが、これはCOの中で最も気をつけなくてはいけない落とし穴である。コミュニティーをまとめることで、自分達の コミュニティーは助かるが、他のコミュニティーで起こっている問題は一切関係ありませんということである。つまりは、コミュニティーをまとめるということ は単純に特定の人々さえ得をし、その他のコミュニティーがどうなってもいいかといったらそういうことではない。だからこそ、COではニーズ調査が大切で、 オーガナイザーは提案者ではなく、コミュニティーが本当に必要としているものを形として導くための溶媒であり、それと同時に正義、不正義の判断を助けるよ き助言者でなくてはならない。
たとえコミュニティーをまとめたとしても、それが排他的かつ利己的なコミュニティーだとしたら、それはいいCOなの だろうか。なかなか難しいところであ る。結局は民主主義という厄介な代物と毎日格闘して初めて答えのエキスのようなものがぽたぽたと搾り出されるのかもしれない。

CO道

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