先日墨田区の興望館で行われた東京都城東地区地域福祉施設協議会のセツルメント研 究会なるものに参加させていただいた。しかもよりによってお題は「NPOの現状と課題及び社会福祉法人のこれからについて」だった。まさに僕が帰国してか ら考えてきたことである。何よりもうれしかったのはそこで中心になって会を進めている人たち(かなり高齢の方々が多かった)は僕とまったく同じ気持ちを 持っているということである。どういった気持ちかというと、福祉の原点に返って福祉を捉えているという点である。なぜ、どのような形で福祉が必要なのかと いうところに常にこだわって福祉を考えている。だからこそ、今までの福祉に対してのアンチテーゼとしてNPOが紹介されることが多かったが、今回の研究会 ではではどちらかというとセツルメ ントこそNPOの原点であるというアプローチ。つまり、いつものNPOは柔軟性があって、先駆性があって、ニーズをもとに行われていて、福祉は規制や保護 の下、委託事業を行うだけという一辺倒な考え方は当てはまらないわけである。だからとても内容の濃い話し合いが行われた。
この会に参加して僕が強く感じた点は二つ。これは今までもCO道の 中 で書いてきたことだけど、地域福祉の原点である地域住民の組織化によるSocial Capitalの構築という部分でセツルメントのような団体が担う無形の価値はなかなか福祉団体に対する評価として測りにくいものであるということ。測り にくいがために住民の組織化に対する財源の確保ということがもっとも困難となる。よって、たとえばNYのセツルメントを含めたCommunity Based Organizationのほとんどはフルタイムのオーガナイザーを雇うことは難しいという現状。つまりはその活動のほとんどが委託事業となってしまって 実際の住民のニーズ調査やそれに基づいた住民主体の福祉が行えていないのが現状である。
もう一点は、最初の点とかぶるけれど、日本ではこれから指定管理者制度が 始まり、多くの福祉NPO法人が委託事業を行うべく競争することになるわけだが、これによって心配されることは結局はパイの奪い合いになるということ。同 じ財源、又はどんどん減っていく財源の中でそのパイ全体をとらえることなく、自分の分け前を大きくしようとしても結局は福祉全体の向上にはつながらないと いうこと。さらに付け加えると、生存競争のための質の低下ということも見据えなくてはいけない。ここで大切になってくることが福祉の倫理観というものであ る。福祉に携わるものは理由なくして福祉を進めているわけではない。そこに基盤となる価値観が存在して初めて「人が行う福祉」が成り立つわけである。
コミュニティー・オーガナイザーの役割は本当に重要になりそうである。
さて、もう一点気になったことを書いておくと、よくNPO関係の人が使う「市民」という言葉である。何かというと「市民が中心となって」と言うが、これは誰をさして市民と言っているのかがまったく不明である。たとえば練馬区には68万人の区民が住んでいるが このうちの何人をさして「市民」と言っているのであろうか。僕には政府と関係のない部分で、地域中心の活動をアクティブに起こしている限られた人達を指し てこの「市民」と言う言葉が使われているような気がしてしまう。つまり、多くのNPOは自分達の活動を可能にすると言うエゴイスティックな部分が多分に含 まれていると思う。ただし、これが政府の認める「公益」の範疇でのことなのでエゴとはとられないのだろうけれど、練馬区で言えば68万人と言う全体を考え て包括的な活動をしているところがどれだけあるだろうか。そういった意味で言うと、BeGood Cafe的な自分達で活動したい人たちにどんどん自主的な活動を促 すようなアプローチは大切だと思う。まぁ難しい部分で、これから社会全体のNPOに対する捕え方も変わってくる事と思う。「公益性」と言うあいまいなコンセプトがまず修正されなければならないような気がする。