住民参加の手法(公聴会)

先日東京都A市の福祉計画公聴会に参加してきた。英語ではPublic Hearingといわれるもので、NYにいたころは何度か参加したり、時間をもらって話をしたこともある。NYにいたころはなんとも形式的なものだと思っていた。
しかし、そんな形式的なものでも公の場で何かを発表するということは影響力があるので侮れないところはある。
ア メリカの風土、特にNYでは、実力主義が強く、英語が話せなかったり、公の場で 意見述べることができなかったりすると、その存在すら無視されがちだが、ひとたび公の場に出て、意見を述べるとその存在は一気に評価され(もちろん内容に もよるが)一躍社会への影響力を発揮することになったりもする。そこには人種差別が存在するものの(たとえば、白人男性だと、公の場で意見をすることが自 然だが、非白人女性だと、いい面でも悪い面でも特別視されたり)、しっかりしたプレゼンテーションをして、メッセージを伝えることができて、芯が通ってい ればそれが誰であれオーディエンスは評価するという風土が存在すると思う。よく、アメリカの映画で人種差別が強かったり、村八分の社会で孤立した存在の人 間が四面楚歌に関わらず堂々と意見を述べて、観衆の心を捉えることでスタンディングオーベーションを受けるシーンで感動を呼んだりするが、まさにあの風土 は存在するものだと思う。
それはさておき、日本の公聴会と呼ばれるものもやはりとても形式的なものであった。
有識者が発表を行い、住民(福祉の場合、主に受益者)が意見を述べたり、質問したりする。しかし、行政側は意見や質問に対しとりあえずその場しのぎの答えを用意するだけでダイアログに発展しないし、させようともしていない。結局はOppressor-Oppressedの関係がそこには築かれていると思う。
もともと住民参加を通して、公共政策の計画を作るという考えは近年とても重要視され「小さな政府」に則して市民参加を促すひとつの方法である。実際に民主主義の原点はそこにあると思う。
ただし、この公聴会という形式が本当に民主主義に結びついているかというと疑問である。
実際に公聴会を行っている行政も、あまり意味のないことだと感じていると思う。しかし、今日の公共政策で公聴会を催さない計画作りというのはありえないという義務感から、とりあえずの口実作りとして公聴会を催している感がある。
それでも相当数の住民が参加しているわけだから大したものだ。あながち住民参加の意義は否定できない。しかし、その公聴会場を後にした住民のどれほどの人が行政とコミュニケーションを取れたと感じて帰路についたかしれない。なんともいえないペシミズムがそこには存在する。
あまり意味のないことと思いながらも、公聴会を開く行政と、とりあえず与えられた機会を利用しようと参加した市民(受益者)はお互い進歩を感じないまま家路に着く。
そ こで何よりも必要な存在はオーガナイザーだと思った。参加した住民がひとつにま とまっている気がしないし、だからこそばらばらの利己的な意見が飛び交うに過ぎない。それに対応する行政も仕方がなしに発展性のない対応を迫られる。 Lose-Loseシチュエーションである。行政としては、住民参加を望んでいるのだから、行政に対して文句を言うよりもどんどんプラスに転じるような意 見を、また責任ある発言を望んでいるわけだが、所詮公聴会という場では難しいこと。計画自体は、市民の有志を募って委員会を構成してはいるが、公聴会を開 くことでその計画のプロセスがより民主的になっているようには思えない。
それではどういった対応ができるだろうか。私ならこのように考える。

公聴会を有意義なものにする方法
1)計画に参加している市民の代表委員に発表を行ってもらう。
委 員がより積極的に計画に参加する意味でもリーダーシップを触発する意味でも、こ れは最も有効的なやり方だと思う。もし,ここで発表できないようなら,委員が何なために計画に参加しているのか分からない。有識者が発表できるというのは 当たり前。その有識者の方々は横でサポート的な役割をこなすだけで、場の中心にいる必要はない。
2)参加した住民同士がディスカッションできる時間を用意する。
100 人以上が参加している場なので現実問題難しいかもしれないが、10分でも 15分でも、周りの4,5人がグループディスカッションをする時間があってもいいのではないか。また、そこで話し合われた内容を発表してもらうことで、個 人個人の利己的な意見ではなく、複数のコンセンサスから生まれる公の声を得ることができるのではないか。
3)参加した市民に評価を求める。
ア ンケートを用意するだけでなく、承認投票等を用意して実際に参加した市民が今ま での計画のプロセスを評価させることで公聴会への参加の意義がより高まるし、発表者にとっても真剣勝負になる。行政と住民の責任ある参加で始めて成り立つ 公聴会となり、形式だけの話し合いではすまなくなる。

以上の3点はどれもとても難しいことだと思うが、実際にやってみるといいと思う。
何よりも、無責任で利己的な住民の参加を促すような公聴会とは違うエネルギーを作り出せるんじゃないかな。MandatoryではなくProgressiveなものにね。

CO道

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