120% of Obedience

今日は、戦略の話。
これまでにも何度か書いてきたけど、Henry D. Thoreauが著したCivil Disobedienceという本がある。これは、「市民的不服従」と訳されるが、本の内容は、市民としての責任を全うするためには、政府が決めたことに対して何らかの不服従の態度を示すことが重要であるということが書いてある。彼が用いている例は、市民の代表として選ばれた政府の代表者がスペイン戦争(メキシコ侵略)を敢行した際に、その政府を選出した市民の責務として、何らかの不服従の姿勢を示す必要があるということである。そこで、彼は納税を行わなかったことで刑務所へ送られる。しかし、彼はそれは市民としての責任と考えている。後に、こうした彼の平和的な不服従のアプローチをもとに、キング牧師ガンジーなどが非暴力による不服従という市民活動の形を再現したことは有名である。
さて、こうした「不服従」であるが、市民としての不服従は、対象が「公」であり、市民社会は市民の集合体であるという前提で成り立っている。つまり、市民社会の一員として、不服従の態度をとることは、公共性の確立を意味する。不服従というが、それは不服従ではなく、責任のまっとうであるという論理が成り立つ。
しかし、我々は「市民」としての顔以外にも様々な顔を持ち、様々な関係の中で生きている。
例えばそれは、上司と部下であったり、先生と生徒であったり、親と子であったりする。そこでは、「市民的不服従」のロジックは成り立ちにくい。なぜなら、そこには特別な関係が成り立っているし、上意下達の関係が普遍的に成り立っていることがある。特にそれが労働者と雇用主であると、労働という自己の商品化を通して関係が成り立っているわけである。まぁ、ここでマルクスや労働の話には入るつもりではないので、止めておくが。
さて、僕らが毎日生きていると、そうした特殊な関係の中に生きていることを思い知るし、いつのまにかそれに慣れてしまって、感覚が麻痺してしまっているかもしれない。だから、いつしか自分が上に立つ人間になったときに同じプロセスを繰り返すことになるだろう。
さて、こうした「非人間化」の関係性の中で、どのようにして人間性の確立を行うことができるのであろうか。「不服従」という選択肢をとらずに。
僕の経験の中で最も効果的な方法は、120%の服従である。100%の服従とはつまり、上の立場のものの意向に100%従うということである。頼まれたことは、どんなにいやなことでも、忙しくてもすべてこなす。考え方なども、基本的にすべて受け入れる(ここで大切なことは、受け入れるということであって、心から同意する必要はない)。つまり、相手の意向をすべて満たすわけである。相手の意向をすべて満たしたときに、相手を飲み込むことができる。そこで、さらに相手が求めている以上のことを実行すると、それはすべて自分の経験となる。つまり、上の立場の者のコントロールが及ばないこと、想像力を超えたところで自己を表出することが重要なのである。その時に、上の立場のものは困惑する。自分の支配下にあるものが、自分が求めていることをすべてこなし、さらに自分の名の下に行動をとる。それは、上の立場のものにとっては誇らしいことかもしれないが、自分の想像を絶することであり、どのようにしてコントロールしていいか困ってしまうかもしれない。大切なことは、相手をすべて飲み込み、さらにそのうえでプラス・アルファを行うということである。これが、120%服従の理論。
もちろんそれが、暴力的な関係の上に成り立っていたり、身に危険を及ぼすような関係にあるときには、通用しないかもしれないし、気をつけなくてはならないかもしれない。しかし、我々が近代国家の人間関係の中で、頭を悩ましている上下関係のようなものにはたいてい成り立つ。しかも、労使関係の中には抜群の効果を発揮することは自分の経験の中で実証されていると思う。
この理論の唯一の欠点は、死ぬほど努力しなくてはならないということ。相手の要望を満たすことだけでも大変であるが、さらにプラス・アルファとなると相当の努力が必要なので、ある程度計画的実行する必要がある。相手にとって脅威となるまでに、何ヶ月、何年くらい努力できるか。戦略である。
なんだか、このように書くとまるで、緻密な反抗のように見えるかもしれないが、反抗ではないと思う。大切なことは、これは気づきのプロセスであるということ。上に立つものにとって、相手をコントロールするということはどういうことなのか、又はコントロールできなくなったときに、その関係は成り立つのか、実は主従関係とは、上に立つものさえも非人間化してしまうのである。その非人間化された状態に気づくプロセスを下にいるものが成長することで、作り出すということ。つまり、上意下達の関係を上の者から解除する、解除せざるを得ない、又は自分を人間化するためには解除せざるを得ないような状況にもっていく。これを逆に、主従関係や、自分の力が及ばない立場に納得いかないからといって、最初から反抗していたら、おそらく非人間化のプロセスはますます進むだろう。Condition of Originが成り立っているからね。
なんだか、だらだらと書いてしまったが、今自分が抱えているストレスフルな関係や、非人間化された関係をもう一度見つめなおして、戦略的に人間化するプロセスを考えてみたらどうだろうか。120%の服従には確かに努力が必要だが、その戦略がある程度明確になることで、不思議なほどのエネルギーが生まれてくるものである。

CO道

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