掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第221号,2015年8月.
「実践の糧」vol. 24
室田信一(むろた しんいち)
ソーシャルワークという職業に対する社会的認知が高まるにつれ、ソーシャルワーカーの雇用を前提とする施策も各方面で広がってきている。そうした施策に基づく事業では、ソーシャルワーカーの業務内容を法によってがんじがらめにするのではなく、一定の裁量を与え、ソーシャルワーカーが独自の判断によって実践を展開することが期待される。
そのため、ソーシャルワーカーの配置が推進されるとともに、ソーシャルワーカーの実践スキルを高めるための研修が各方面で進められてきている。そこでは、従来の学校教育に見られるような、詰め込み型で、受講者に答えを与えるような学びは全く効果を発揮しない。なぜなら、ソーシャルワークの実践では、二つとして同じ事例は存在しないので、マニュアル通りの答えを求めるような実践は通用しないのである。
そこで、具体的な事例を用いて、その事例に直面した時にソーシャルワーカーがどのように対応することができるか、という現場での「考え方」について学び合う研修が提供されている。事例検討やケースメソッドなどがそれに当たる。しかし、事例を用いる研修にも落とし穴がある。事例を用いる研修は、ソーシャルワーク実践の複雑性を肌で感じることができる。その一方で、それらの研修では、事例の複雑性を「複雑なもの」として受け入れるのではなく、ある枠組みを用いて整理することを訓練する傾向にある。よく目にする枠組みは、「本人の求め」や「課題」「強み」「資源」などの項目によって事例を整理して分析しようとするものである。
そうした分析をおこなうことは、受講者に何を生み出すのだろうか。複雑なものを理解したという達成感とともに、事例に向き合うための「考え方」が身につくことが期待される。気になることは、そのような研修で大切にされていることは、受講者が「頭」で事例を理解するという側面であり、それはソーシャルワーカーという仮面をつけた状態での学びになっているということである。その仮面の内側には、偏見に満ちた自分や、地域住民と向き合うことに怯えている自分、ある状況が許せなくて怒りに震えている自分などがいるのかもしれない。しかし、そうした「仮面の内側」の部分(=無意識の部分)はとりあえず横に置き、ソーシャルワーカーという仮面をつけて、自分の人生とは直接関係ないその事例に向き合い、そして検討する。
そのような研修では、現場で人の人生に関わることを専門にするソーシャルワーカーの「心」は育たないのではないか、という問題意識を共有して今回は終えたい。次回は、「仮面の内側」の自分に接近する、無意識に意識的になる研修の方法について考えてみたい。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。