掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第276号,2024年10月.
「実践の糧」vol. 76
室田信一(むろた しんいち)
オーガナイザーがあるコミュニティに初めて関わるとき、そのコミュニティのメンバーが集まっているところへ赴き、そのメンバーと対話を重ねて、メンバーについて知る機会を設けることがある。たとえば、若者のコミュニティに関わるとき、若者がたむろしているストリートなどの溜まり場へ行き、そこで若者たちに声をかける。若者たちのことを知り、若者たちの問題意識を探るためにそのような場を設ける。
その対話の中で、若者たちにとって「引っかかっている」ポイントが見出された時にはその点について掘り下げることをする。たとえば、若者にとって地域の中に居場所がないということや、そもそも社会の中に居場所がないということかもしれない。それはつまり、望ましい仕事に就くことができないということや、自己実現の機会が限られているということ、抑圧的な構造の中に閉じ込められてしまっているというような話かもしれない。
もしくは、オーガナイザーが全く予見もしないようなことが語られる場合もある。ギャングの抗争に巻き込まれているというような話かもしれないし、大学に進学したいけど情報もなければ手段もわからないというような相談かもしれない。こちらがあらかじめ問題を設定するのではなく、空っぽの状態でそのコミュニティと接することが重要になる。
そのようにしてコミュニティの中に対話の空間を生み出すことはコミュニティ・オーガナイザーにとって必須の技術であると思う。
近年、コミュニティ・オーガナイジングの研修の依頼を受け、その参加者が15名に満たない場合、その場を仮想のコミュニティと想定して演習をすることがある。私自身が仮想のオーガナイザーとなり、対話の空間を作り出す。「なぜ、皆さんは今日この場に集まっているのですか」という問いを中心に、「なぜ、私たちは私たちなのか」という問いにみんなで接近していく。つまり、このコミュニティはどんなコミュニティなのか、ということについて意識を共有していく。その中で、メンバーの多くが「引っかかっている」ポイントが見えてきたりする。
数ヶ月前、そのような対話の空間づくりをした後、終了後に一人の参加者から声をかけられた。「どうやったら先生のようにみんなの声に耳を傾けて、一人ひとりの話を掘り下げていくことができるのですか」という質問だった。いざ、そのように質問されると戸惑ってしまった。学生の頃から地域でオーガナイジングをしてきて、コミュニティに関与する場面をたくさん経験する中で、徐々に培われてきたスキルで、生まれもった才能でもなければ、具体的な訓練を受けたわけでもない。
その時は、「イタコみたいなものですよ」と答えた。死者の霊を憑依させてその声を伝えるイタコのことである。つまり、自分はあくまでもみんなの声を媒介させるイタコのような存在で、話を聞いている人の感覚になるべく近づいて、その人の感覚を代弁するようなイメージである。イタコとオーガナイザーの違いは、相手が目の前で生きている人であるということと、複数の人を憑依させるという点である。
その憑依している時の感覚は、意識は研ぎ澄まされているが、同時に「無」であることが求められる。その感覚はドラムサークルの中でドラムを奏でることに少し似ているかもしれない。次回はそんな話を詳しく掘り下げたい。
※本原稿は「つなぐ」の掲載に間に合わなかったので、オンラインのみで掲載します。