シリーズ『実践の糧』vol.78

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第278号,2025年2月.

実践の糧」vol. 78

室田信一(むろた しんいち) 

 少し前のことであるが、『情熱大陸』というテレビ番組で元プロ野球選手のイチローさんが取り上げられていた。イチローという孤高のアスリートに接近する番組で、第一線を退いた今でもストイックに自分の理想を追い求めている姿はとても興味深かった。

 そのイチローさんが、同じくメジャーリーグで活躍した松井秀喜さんと昨今の野球(特にメジャーリーグ)について語り合う場面があった。その中で、データを重視する野球のあり方に対してつまらなくなったと評していた。選手自身が自分で考えることや感覚を重んじることがなくなり、対戦する選手のデータや得意な球種、ボールの回転数など様々なデータに基づいてコーチから指示が出され、そのデータに基づいて一つひとつの作戦が遂行されるということだ。

 そうした背景には、各球場がピッチャーの球種やボールスピード、球の回転数などのデータや、バッターのスイングスピードや打球の角度や速度といったデータを計測し提供するようになったことで、それらのデータを各チーム、各選手が活用するようになったことがあるらしい。メジャーリーグで良い成績を残しているチームほどそうしたデータを駆使していることから、データ野球が主流化してきているということである。

 実はこの点については、現役メジャーリーガーのダルビッシュさんも同様の見解を示している。ダルビッシュさん曰く、現在のメジャーリーグの野球は、先に答えが提示されていて、その答えを導くための方程式に当てはまる球種を投げるという、まるで問題集を解くような野球になっているということである。

 もしデータに反した作戦で負けた場合、データを軽視した監督とデータに基づくプレーをしなかった選手が槍玉に挙げられてしまうのだろう。その結果、誰も考えなくなり、データを重視するようになっていく。

 幸いにも地域の実践においてはデータやエビデンスの波がそこまで押し寄せてきていないが、対岸の火事ということでもない。保健・医療の分野はもちろん、ソーシャルワーク領域においてもエビデンス・ベースト・プラクティスという考え方が重視されてきており、事業評価の領域においてもますますデータが重視されるようになっている。

 エビデンス・ベーストといっても、ワーカーが思考しなくなるのではなく、あくまでもワーカーが実践する際にデータを参考にするということである。しかし、野球同様に、実践の結果を評価する際にデータが用いられることで、データを軽視した判断を追求されてしまうと、弁明することが困難になるだろう。もしくは、それを弁明するためには、自身を守るためのエビデンスや理論で武装する必要が出てくる。

 イチローさんが高校球児を指導する際、野球のプレーにおける一挙手一投足にはデータには表れない細かな機微がたくさんあり、そうした駆け引きの中でプレーが成り立っていることを強調していた。ソーシャルワークや地域の実践もまさに同様である。データにできないような細かな機微、可視化できないようなやり取りの中で新たな関係性が生まれたり、リーダーシップが育まれたり、実践が広がっていく。

 メジャーリーグのデータ野球が日本にも無批判に広がってしまうことをイチローさんは危惧していたが、日本の社会政策においてもエビデンスの波が着実に押し寄せていること、そしてそれを無批判に取り入れてしまう流れを私は危惧している。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

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