掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第279号,2025年4月.
「実践の糧」vol. 79
室田信一(むろた しんいち)
イギリスの社会学者で、『コンパッション都市』の著者であるアラン・ケレハー先生が昨秋日本に来日された際、多くの時間を過ごす機会に恵まれた。コンパッション都市もしくはコンパッション・コミュニティとは、死や死にゆくこと、グリーフや死別の体験を、一部の医療職などによる専門的なケアの領域に閉じ込めるのではなく、コミュニティによる共有体験として開かれたものにするという考えである。
この概念について知った当初はあまりピンとこなかった。私は2年ほど前に両親を亡くしたが、その死別経験まで人の死をあまり身近に感じたことはなかった。死や死別は、どこか自分から切り離されたものであり、他人の前で滅多に口にすることではないという先入観があった。一方、グリーフケアのように、悲嘆に寄り添うことや悲嘆の感情を言語化することを積極的に取り入れている領域もあるが、それはそれで「悲しむ人のためのコミュニティ」のように見えて、一般的なコミュニティからは切り離されたもの、という印象を抱いていた。
死や死別の経験は「非日常」的なものであり、私にとっては特殊な領域として位置付けていたが、ケレハー先生からコンパッション都市/コミュニティについて学ぶ中で、現代的な「死」の捉え方が特殊なものであり、本来はすべての人にとって死はもっと身近なものであるということを理解するに至った。
ケレハー先生によれば、狩猟・採集社会では、怪我をして群れと行動を共にできなくなった時点で死が確定することになる。その時代の死者の大半は乳幼児や子どもであった。それが農耕社会になると、人が定住するようになり、死の多くは疫病によって引き起こされるようになった。依然として乳幼児や子どもの生存率は低いが、死の位置付けが変わった。死体の腐敗による疫病の蔓延を防ぐために、コミュニティが死を承認し、死者を弔ってきたのである。
それが、産業化と医療技術の進歩によって人類の平均寿命が飛躍的に伸び、大半の死は高齢期に起こるものとなり、かつ医療職や宗教家によって専門的に対処されるものとなった。すなわち、コミュニティや一般の人々から死や死別経験が切り離されたのである。産業化以前の社会においてはコミュニティが死や死別経験を分かち合うことが当たり前だった。
コンパッション都市/コミュニティとは、死や死にゆくこと、死別やグリーフをコミュニティに取り戻すムーブメントといえる。ただし、それは前近代的な社会に先祖返りすることではなく、近代的な医療の恩恵を受けながらも、専門家とコミュニティが手を組んで、現代にあったケアの形を模索することである。
現在、私は空き家となった実家を地域の活動拠点として開放しようと準備を進めている。当初は、故人を偲ぶような場所に人は立ち寄りたくないと思い、両親のことをあまり表に出すつもりはなかったが、コンパッション・コミュニティについて学ぶにつれ、死や死別経験をコミュニティに開かれたものにすることはむしろ自然なことなのだと考えるようになった。死や死別経験をそのように捉え直すことで、空き家はあるけどなかなか地域に開放できないという人たちが、もっと気軽に地域に使ってもらうようになれば、全国で地域の拠点はもっと増えるかもしれない。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。