シリーズ『実践の糧』vol.23

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第220号,2015年6月.

実践の糧」vol. 23

室田信一(むろた しんいち)


前回は、地域の様々な機関にソーシャルワーカーが配置され、お互いに連携しながら相談援助を提供することが求められるようになってきた近年の社会福祉の状況について概説した。今回は、そのような状況で活動するソーシャルワーカーに求められる研修のあり方について書きたい。

ソーシャルワーカー向けの研修で重要なことは、参加者にとって、本人が無意識な部分に意識的になる機会を提供することだと私は考える。日々の実践の中で、ある特定の考え方に固執していたり、国の政策動向に流されて、本来大切にしなければいけない価値観を見失っていたり、当事者と接するときに、たとえばその人の障害特性から援助方針を一方的に決めてしまっていたり、ということは誰にでも起こりうることである。自分は現場経験も豊富なので、そういう失敗はない、と思っている人は要注意である。むしろ、現場経験が長い人ほど、その間に培われてきた固定観念から自分を解放することが難しくなったりするものである。研修を通してそうした自分の無意識な部分に気づくことで、実際の相談援助の場面において、自分がなぜそのような判断をするのかということに自覚的に相談者と向き合うことができる。

最近感じたことは、日本の社会福祉の現場では、10年ほど前まで就労を通した自立支援ということがそこまで強調されていなかったし、5年ほど前までは、就労支援に関与するのは一部のソーシャルワーカーの仕事と考えられていたが、生活保護受給者数が戦後最大規模にまで増加した昨今では、就労を通した自立という考え方が所与のものとなっている。就労を通した自立を否定するつもりはないが、相談援助を通して就労に結びつけることこそがソーシャルワーカーに対する社会的な評価につながる、と考えるワーカーが増えていることに対しては強い違和感を感じる。むしろ、そのように政策誘導されている状況に対して批判的になって欲しいと思う。

ソーシャルワーカー向けの研修では、そうした無意識の部分について気づきを得る場をつくり、そうした気づきについて共有しあうための安全な環境を整えることが最も重要だと考える。また、研修を通して、本来大切にしなければならない価値観が大切にされていない状況があることに気づいたとしたら(もしくは、薄々気づいていたことが共通認識として表出したら)、いかにしてその状況を改善できるかということについて検討することも含めて、改めて自分たちが置かれた状況に意識的になる機会が研修の場であるべきだと考える。

その具体的な研修の方法や内容に関しては次回以降で詳しく触れたい。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.22

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第219号,2015年4月.

実践の糧」vol. 22

室田信一(むろた しんいち)


日本のソーシャルワークの源流をたどると、イギリスやアメリカからほとんど遅れをとることなく、19世紀の後半には一部の地域で先駆的な実践が始まっていた、という見解がある。ただし、全国的にソーシャルワークの実践が展開されるような仕組み作りとなると、1990年代からようやくその準備が始まったという見方が強い。2000年代以降になると、高齢福祉分野を皮切りに相談援助を専門とするワーカーを地域に配置する政策が推進されるようになり、いよいよ今年度から生活困窮者自立支援事業や地域包括ケアシステムの構築に向けた諸施策、子ども・子育ての支援制度が始まり、「支援員」や「コーディネーター」と名のつくワーカーが全国各地、様々な分野で配置されるようになる。

ようやく日本もソーシャルワーカーがいる社会になりつつあると言えるのかもしれない。しかし、最初にコミュニティソーシャルワーカーなどのワーカーが地域に配置された時には、それまで日本で相談援助を担ってきた福祉分野の行政職員や関連機関の相談員、民生委員などはソーシャルワーカーがいる社会というものに慣れていないため、海のものとも山のものとも思えないその存在とどのように付き合っていけばいいのかわからずに戸惑っていたことが思い出される。

たとえば、ある地域に地域包括支援センターがあり、同じ地域の別機関にコミュニティソーシャルワーカーが配置されている場合、「どちらの機関に相談すればいいのかわからない」「ややこしい」「一元化してほしい」といった言葉をよく耳にした。これからは、一つの地域にいろいろなワーカーが、いろいろな形態で、いろいろな財源によって配置される時代になっていくだろう。また、かつてのように高齢に関わる相談はA機関、障害に関わる相談はB機関、というような考え方ではなく、地域で相談援助を担う機関はあらゆる相談の最初の受け皿となり、必要に応じて他の機関と連携し、お互いに協力しながら、複合的な観点で相談援助を提供するような仕組みになっていくだろう。

そこで相談援助に携わるソーシャルワーカーには、地域の中にどのような事業所があり、どのようなサービスを提供しているのか、めまぐるしく移り変わる現場の実態を把握し続け、適切な情報に基づいて相談に乗ることが求められるだろう。さらには、地域の状況を俯瞰的に捉え、その環境を変えるための働きかけも求められる。そのためには、高度なコミュニケーション能力と連絡調整能力、ネットワークを創り出す能力、状況を分析する能力が求められる。

しかし、それらの能力を身につけるための教育や研修の方法が確立されているかというと、甚だ疑問である。次回は、今の時代のソーシャルワーカー養成に求められる教育・研修について言及したいと思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 21

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第218号,2015年2月.

実践の糧」vol. 21

室田信一(むろた しんいち)


私は普段大学で教えているが、自分が担当する授業で遅刻を厳しく取り締まることをしない。おごりと言われるかもしれないが、強制力ではなく、自分の授業の魅力で学生を授業に呼び込みたいと思っている。学生の遅刻数は自分の授業を評価するための一つのバロメータと考えている。

しかし、先日の授業では定刻に来た学生は20人中5人だった。ほとんどの学生が遅刻したことになる。さすがに5人はひどいと思った。定刻に来ている学生に申し訳ないと思った。2時限目の授業であるため、遅刻の理由は朝起きられないということかもしれない。私の授業は冬の朝の温かい布団の魅力に負けてしまったわけだ。

私は講義を始めるべきか、人数がある程度集まるまで待つべきか悩んだ。悩んだので、定刻に集まっている学生にどのように進めるべきか尋ねることにした。異なる意見が出たものの、結果的には講義を始めてほしいという意見が総意になったので、講義を始めた。

講義を始めると、一人、また一人学生が登場した。しかし、やりにくさは全く感じなかった。なぜなら、学ぶ意欲のある学生の声を聞き、その学生の希望に応じて、その学生たちが満足できる内容の授業を提供するという意識が私自身の中に芽生えていたからである。その日はいつも以上に自分が集中して講義できていると感じたし、遅刻してきた学生含めて、その日の学生の反応はとても良いものとなった。

“Let the People Decide(人々に決断させよ)”

これは、アメリカのコミュニティ・オーガナイジングの歴史に関する本のタイトルである。こんな基本的なことを自分が忘れてしまっていたことに気付かされた。

社会福祉の制度改変や、予算の削減などにより、当事者(利用者)が不利益を被ることがある。そのような時、ソーシャルワーカーは当事者にはその全体像を示さずに、水面下で問題を鎮圧しようと試みることがあるかもしれない。むしろ、ソーシャルワーカーにとって重要なことは、制度の改変について正確な情報を当事者に伝えることであり、その上で当事者の判断を仰ぐことである。複雑な社会福祉制度を理解することは当事者にとって容易なことではないかもしれないが、それを分かりやすく伝えること、そして当事者の意志に基づく判断を尊重することが求められる。

ソーシャルワーカーの役割はその当事者の声がしかるべきところに届くように働きかけることである。

まずは当事者の本音を聴くところから始めて、対話をする。そんな当たり前のことが、大学や社会福祉の現場を変えることの第一歩になる。わかっているはずなのに、ついつい忘れてしまう。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 20

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第217号,2014年12月.

実践の糧」vol. 20

室田信一(むろた しんいち)


私がかつてコミュニティ・オーガナイザーとして働いていたニューヨーク市には市内各地で活動する非営利組織を支援する中間支援団体が数多く存在した。私は市内のセツルメントで移民コミュニティの支援に関わっていたため、日々の業務の中で移民支援や住宅支援、ホームレス支援、市民教育、セツルメントなどの領域に関わる中間支援団体と連携していた。

私自身、住宅関連の問題を取り扱う非営利組織の中間支援団体で1年間インターンシップをしていた経験がある。中間支援団体の主な業務は政府の政策分析や、会員組織への情報提供、研修プログラムの提供、政府や他の民間団体との交渉、会員組織のニーズの把握とそれらのニーズへの対策の検討など、日本の中間支援団体の業務とそれほど変わらない。日本の中間支援団体と最も異なるのはオーガナイザーが雇用されている中間支援団体があるという点であろう。中間支援団体のオーガナイザーの主な業務は、会員組織の職員と連携してキャンペーンを企画、推進することである。

当時、私が担当することになったキャンペーンは、市内各地の集合住宅における住宅改修に対する行政の監督業務を徹底させるというものだった。ニューヨーク市には、劣悪な住宅に対して、そのオーナーが改修を怠った時にそれを監視し、オーナーに対して警告することを専門にする部署がある。警告を受けたオーナーが改修をしない時には、罰金が科されることもあるが、実際にはそうした監督業務が徹底されていないことが多く、住民の中には劣悪な住環境に困っている人が少なくなかった。

中間支援団体のオーガナイザーとしての私の役割は、市内で住宅問題を取り扱っている団体を訪問し、各地にどのようなニーズがあるのかを確認することであった。各団体がキャンペーンを推進するにあたり、活動を牽引することになると思われる人材と連絡を取り、一人一人を訪問して、その担当者が抱いている問題意識について話を伺う。そこでは、お互いがどのような経緯でオーガナイザーとして働くことになったのか(当時の私はまだインターンではあったが)というような話を織り交ぜながら、お互いが共通の目的に向かって日々活動しているということを確認し、キャンペーンを推進するための協力体制を整えていった。

地域住民をオーガナイズするにしても、中間支援団体として会員組織や傘下の組織をオーガナイズするにしても、まずはそのキャンペーンや活動に参加するメンバーと個別の会議を重ね、信頼関係を構築することが基本である。しかし、組織として、とりわけ財政的な余裕がなくなると、次第にそうした丁寧な実践から遠ざかるようになってしまうことがある。それが悪循環の始まりということがわかっているにもかかわらず。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 19

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第216号,2014年10月.

実践の糧」vol. 19

室田信一(むろた しんいち)


前回は、私が東京都某市の社協の地域福祉活動計画推進員会の会議で新たな推進方法を導入した話を書かせていただいた。具体的には、第一回目の会議で、会議の司会や記録係、会議のルールなどについて意見を出し合い、会議の進め方を決めるということをした。そのような会議の進め方に慣れていない委員からは、戸惑いの声がもれ、まだ一回目の会議だし、出会ったばかりなので、とりあえずやりながらいろいろと決めていけばいいのではないかという意見が出た。そのような意見を言う人は、大抵は声の大きい人で、現状(形式的な進め方)に満足している人である。

事務局はそのような声に流されそうになっていたが、私は諦めなかった。とりあえずやるにしても、誰が司会を担うか決めなければ会議が進まないことを強調し、他の委員の意見を聞いてみた。全員が意見を求められている雰囲気をつくるように努めた。

すると、ぽつりぽつりと意見が出始める。自分のボランティア・グループでは代表が司会をすることが多いが、一人で司会をするのは大変だとか、持ち回りでやってみてもいいかもしれないとか、自分が出る会議では司会を持ち回りにしているとか。そのような意見から、司会は持ち回りということになった。

記録に関してはある程度の作業が伴うため、事務局に一任することになった。事務局一任ということは、通常通りの方法といえるが、その内実はかなり異なる。司会が持ち回りであるために、事務局が次回の司会者と会議の進行を準備する際に、前回の議事録を参考に準備をすることになる。委員が客体化された会議では、議事録すらも形骸化してしまい、その内容に目を配る人が次第にいなくなることがある。しかし、議事録が実際に使われるものになったことで、社協の職員も緊張感をもって記録を取るようになった。一人一人の声に意味をもたせたことにより、発言の内容が丁寧に扱われることになった。

そして会議のルール決めである。いきなりルールを決めるといわれても、何を決めたらいいかわからないという声が多かった。そのために、ルールはこれから会議を進める中で書き加えていこうという話になった。そして迎えた2回目の会議、障害のある一人の委員からこんな要望が出た。会議で発言が出た時に、顔を覗き込むことができないために誰が発言しているかわからないことがあるので、発言の前に名前をいってもらえると助かる。このルールはすぐに採用された。事務局主導の会議ではこれまでにこのような意見が出ることがなかったが、実はこれまでの会議の進行方法が一部の委員を排除してしまっていたことに皆が気づかされた瞬間であった。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 18

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第215号,2014年8月.

実践の糧」vol. 18

室田信一(むろた しんいち)


2014年5月より東京都某市の社会福祉協議会で地域福祉活動計画の推進委員会の委員長の役務に就くことになった。あまり一般化したくはないが、区市町村の社協が開催する地域福祉活動計画に関する会議は形式的なものが少なくない。委員会の会議は、少ない地域で年間2〜3回、多い地域で年間9〜10回程度開催されるが、基本的には事務局(社協の職員)が準備を進め、地域の関係諸団体を代表して選出された委員がそれぞれの立場から発言をして、それらの意見を事務局がまとめる。結果的には、事務局が用意した筋書きに従って会議が進行していくことになる。

そのような形式的な会議に慣れてしまうと、いつしか、事務局側も、参加する委員側も会議とはそのようなものだと思い込んでしまう。社協は伝統的に「住民主体の原則」を大切にしてきているはずだが、それらの会議を拝見する限りは、原則とは裏腹に、住民を客体化することが恒常化しているように感じてしまう。

しかし、そのことは、社協職員が住民主体の原則を信じていないこととは違う。単純に、住民主体で会議を進める方法が社協の中に浸透していないだけなのだと思う。2000年の社会福祉法改正を契機に全国で地域福祉計画の策定が進められた。多くの研究者が計画策定の進め方を研究し、現場を指導し、草の根の民主的な地域改革が推進されるものと思われていた。ところが、ふたを開けてみれば多くの自治体や社協の会議では形式的な会議が繰り返され、事務局が用意した筋書きどおりの計画が委員によって承認される形態が一般的になってしまっているように思う。

そこで、東京都某市の社協の地域福祉活動計画推進会議で私が取り組んだことは、まず会議の司会者と記録係を誰にするか、そして会のルール(意思決定の方法など)をどのように設定するかについて話し合って決めてもらうことであった。通常、このような会議では委員長が司会を務め、話し合う内容はすべて事務局が準備することになっている。しかし、会議の進行方法について参加者の意見を求めたことにより、その委員会が予定調和的な会議ではなく、委員が発言した内容が会議の進行に具体的に反映されるものであることを印象づけた。

第一回目の会議では多くの委員が戸惑っていた。なぜなら、そのような形態の会議進行に慣れていないからである。事務局も同様に戸惑っていた。どのように進行すればいいのか不安で、早くいつもの進め方に戻したいという思いが随所に感じられた。そこを我慢して、辛抱強く会議を進めてみた。すると、通常の会議では見ることができない住民による主体的な発言が飛び出し始めたのである。

詳しくは次号に続く。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 17

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第214号,2014年6月.

実践の糧」vol. 17

室田信一(むろた しんいち)


「ケースワークは面接に始まり面接に終わる」という言葉があるらしいが、それになぞって考えるならば「コミュニティワークは会議に始まり会議に終わる」といえるだろう。多様な主体が一つのテーブルに集まり、議論を交わし、合意を形成して、計画を立て、資源を持ち寄り、行動に移していく。そうした協議の過程はコミュニティワークの根幹といえる。

しかし、その会議の進め方の技術や方法論はどれほど意識されているのだろうか。また、そのノウハウは蓄積されているのだろうか。個人的な見解に過ぎないが、多くの会議に参加する限りでは、あまり意識されていないように思う。

会議なんてどうやっても結果は同じと思われているのか、会議は形式的なもので、大きなトラブルなくやり過ごせばいいと思われているのか。とにかく、会議という場をとおして何かを生み出すということが意識された会議にはなかなか巡り会えない。

誰が司会を担当するのか、司会は持ち回りなのか、時間配分をどのようにするのか、発言する際は皆に同じだけの発言の機会が与えられるのか、誰が記録を取るのか、記録はどのように取られるのか、記録された内容はどのように共有され、承認されるのか、決議はどのようにおこなわれるのか、多数決か、全員が納得するまで話し合うのか、声の大きい人の意見がそのまま反映されるのか、そして、それらのルールはどのように決められるのか。

会議の進め方については何も議論されることがないままに、暗黙のルールを探り合いながら、会議が進んでいるということはないだろうか。

「ルールが明確でないこと」と「ルールがないこと」は同じではない。場には必ずルールがある。そして暗黙のルールは、その場にあらかじめ埋め込まれているものであり、多くの場合それは場の権力構造を反映している。参加者は、その暗黙のルールを受け入れることで、権力構造も受け入れるのである。

表向きは「参加者の主体性を重んじる」といっていても、会議の進め方が主体的な参加を認めにくい構造になっていたら、結局は会議の過程をとおして参加者は客体化されてしまう。では、どのようにすれば会議の文化を変えることができるのか。

残念ながら残された紙幅で説明できるほど単純なことではない。重要なことは一つ一つの手続きを曖昧にしないということである。「なんとなく」や「その場のノリ」で会議が進められることに、いつしか慣れてしまい、恒常化してしまうことで、疑問すら抱かなくなってしまう。

改めて会議を「科学」することが重要になる。詳しい内容は次号で書きたいと思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 16

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第213号,2014年4月.

実践の糧」vol. 16

室田信一(むろた しんいち)


私は学生の時にバスケットボールとラグビーをやっていた。組織が1つのチームとして機能する感覚というのは、その時の経験から培われているように思う。それは、部長や副部長というような役員体制の話ではなく、まさに試合が展開する最中にチームプレーが成り立つ時の話である。

バスケットボールにしてもラグビーにしても、相手のディフェンスをくずし、得点を挙げるという具体的な目標をチームメンバーの中で共有している。そのためには一人で相手のディフェンスに立ち向かっていってもまったく機能しない。チームメンバーと協力することが前提となる。しかし、試合中常に戦略会議をしているわけにはいかない。試合が進行する中で「あ・うん」の呼吸でチームワークを発揮することが求められる。

たとえば、バスケットボールの試合で私がボールをドリブルしながら相手のコートに攻め込んでいる時、二人は左右を並走し、一人は相手のコート奥深くにまで攻め込み、一人は後ろで控えているというようなフォーメーションを組むことで相手のディフェンスをくずしやすくなる。そして、そのチームメートたちにパスをまわしながら相手を攻略するためには、目前のゴールや相手ディフェンスを把握することと同時に、チームメートがどのような軌道でコートの中を移動するのかということを把握する必要がある。つまり、仲間が共通の目的に向かってどのように動いているのかという力動をつかまなければならない。

そのためには、仲間と協力してゴールを挙げるという共通のイメージをもつことが求められるし、仲間と信頼関係を構築することが求められる。自分がドリブルで右に切り込んだら、仲間は左に切り替えるだろう、シュートを打つ瞬間はゴールの下に走り込むだろう、というような動的な共通認識が確立した時にチームは機能する。

コミュニティの中で実践を進める時に同様の感覚を得ることがある。たとえば、会議で自分がある発言をすることで、仲間がそれに対して適切なフォローをしてくれるという期待や、自分が司会を務めている時に仲間が的確な発言をしてくれるのではないかという期待をもちながら議論を進めることがある。会議をとおして獲得したい目標があり、その目標のためにチームが信頼関係を構築し、力を結集するという意味では、同様のプロセスが存在する。もしくは、資料のホチキス留めのような単純作業をとおして、チームが一体感を得ることがある。身体的な作業の方が、動的なプロセスが明確なため、そのような感覚は得やすいかもしれない。

逆に言うと、そのようなチームワークが意識されていない限り、組織として目標を達成することは難しいだろう。一人のスター選手がいても、チームの中で機能しない限り試合に勝てないことはそれを象徴している。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 15

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第212号,2014年2月.

実践の糧」vol. 15

室田信一(むろた しんいち)


年始の1月7日にNHKで放送されたクローズアップ現代にスタジオゲストとして出演させていただく機会を得た。放送のテーマは「“物語”の力が社会を変える」というもので、具体的には私が主催者の一員として昨年末に東京で開催したコミュニティ・オーガナイジング・ワークショップを取り上げる内容だった。

このワークショップでは、アメリカで草の根の市民活動に30年以上携わってきたハーバード大学のマーシャル・ガンツ先生を講師に迎え、市民活動を突き動かすリーダーシップのあり方と、そうしたリーダーシップを身につけて活動を推進する方法について3日間の講義と演習を提供してもらった。参加者は日本の各地で活動する市民活動家や社会福祉関係者、NPOの代表等であった。

放送当日は、コピーライターの糸井重里さんと共に、国谷裕子キャスターとコミュニティ・オーガナイジングについて話し合った。  その中で糸井さんから、社会的な活動が広がりをもつためには、活動そのものが魅力的であり、「商品としての価値」をもっていることが重要で、その価値がなければ社会的な活動に多くの人の賛同を得ることは難しいのではないか、という意見が出された。糸井さんのそうした指摘はもっともである。

それでは、その「商品としての価値」とはどのように決められるのだろうか。

たとえば、ある市民活動にボランティアとして支援するだけの価値があるかどうかの判断はどのようにくだされるのだろうか。それは頭で判断されるものだろうか、それとも心で感じられるものだろうか。私はその両方だと思う。

糸井さんは、その頭の部分を中心的に捉えてご指摘されていたように思う。つまり、市民活動を提供する側は、活動に参加する人に頭で納得してもらうように、その活動の価値を高めなければならないということだ。しかし、現代人の生活は多忙だ。どんなに納得のいくすばらしい市民活動であったとしても、その活動に協力するために具体的な行動に移すとなるとそのハードルは相当高い。

ガンツ先生の提唱されるコミュニティ・オーガナイジングの方法論では、活動を推進する人が自分自身の物語を語るということをとおして、すなわちなぜ自分がその活動に取り組んでいるのかということを語ることにより、他者の共感を得て、活動を展開していくということを重視している。つまり、心に訴えかけるということである。

社会福祉の活動をしていると、社会にとって当然の「いいこと」をしているのだから、公的な支援や人の支援を受けて当たり前と思ってしまうことがある。そこに物語が加わることで、実はそうした支援の輪はさらに強く広がる可能性がある。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 14

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第211号,2013年12月.

実践の糧」vol. 14

室田信一(むろた しんいち)


私の母校であるニューヨーク市立大学ハンター校の大学院で受けたコミュニティ・オーガナイジングの授業は今でも忘れられない。授業を担当していたバーグハート先生は、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』をテキストとして用い、1学期中ずっとこの本の内容についてディスカッションをするというスタイルで授業を進めた。

ご存知の人も多いと思うが、フレイレはブラジル出身の教育者で、貧しい農村における識字教育をとおして農民のエンパワメントを進めたことで有名である。言葉の読み書きができない農民たちに読み書きを教え、言葉の理解をとおして彼らがおかれた境遇の理解を促し、さらに彼らがより広い社会の中に自らの生活を位置づけることを支える。そして彼らが自分たちの生活を変えるために自ら行動をとれるように支援する。そうした一連の過程をフレイレは「意識化」と呼び、そうした考え方はこんにちエンパワメント概念の中核として位置づけられることが少なくない。

バーグハート先生は、学生との対話をとおしてフレイレの思想を教えていた。対話というのは、すなわちフレイレの考え方(意識化)に基づくものである。したがって、学生一人一人は自分という存在を社会との関係で捉え直す作業を求められ、自分にとって、社会にとって、望ましい変革を起こすために具体的な行動をとる必要性と正面から向き合う。そのような授業であるため、時には議論が紛糾することもあった。また、過去には学生の主体的な学びを促すあまり、行動がエスカレートして学生が授業をボイコットするということもあったという。ちなみにその学年では、学生の主体的な行動と決定を尊重し、バーグハート先生が授業に出ないで、学生たちが自ら授業を進めたという。

社会福祉の実践は歴史的に慈善の流れを受けている側面があり、こんにちでも教科書等で述べられる社会福祉には「施し」としての実践という側面が少なくないように思う。また、世の中の理解や社会福祉を専攻する学生の理解として、「福祉=人を助ける」という捉え方が根強く残っている。確かに、個人を支援するという一場面を切り取ってみれば、それは人を助ける行為である。また、支援なくして生きることが難しい人もたくさんいる。しかし、その「助ける行為」をとおして「助けを必要とする環境」を維持してしまっているとしたら、それは社会の中で不利な立場におかれている人がいるという状況を肯定することにもなりかねない。

社会福祉の現場では、現状維持が最善の策という状況は多々あり、それ自体を否定するつもりはない。しかし、当事者が社会の中に自らを位置づけ、自分たちがおかれた状況を少しでも変えたいと考え、行動をとろうとした時、支援者はそのための資源でなければならない。支援者は、当事者の生活を支えるという面では「エンジェル」かもしれないが、社会全体を当事者にとって生活しやすいものに変えたくてうずうずしているという面においては同志である。「たすけあいの会」の「たすけあい」にはそのような意味も含まれているのかもしれない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。