シリーズ『実践の糧』vol. 18

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第215号,2014年8月.

実践の糧」vol. 18

室田信一(むろた しんいち)


2014年5月より東京都某市の社会福祉協議会で地域福祉活動計画の推進委員会の委員長の役務に就くことになった。あまり一般化したくはないが、区市町村の社協が開催する地域福祉活動計画に関する会議は形式的なものが少なくない。委員会の会議は、少ない地域で年間2〜3回、多い地域で年間9〜10回程度開催されるが、基本的には事務局(社協の職員)が準備を進め、地域の関係諸団体を代表して選出された委員がそれぞれの立場から発言をして、それらの意見を事務局がまとめる。結果的には、事務局が用意した筋書きに従って会議が進行していくことになる。

そのような形式的な会議に慣れてしまうと、いつしか、事務局側も、参加する委員側も会議とはそのようなものだと思い込んでしまう。社協は伝統的に「住民主体の原則」を大切にしてきているはずだが、それらの会議を拝見する限りは、原則とは裏腹に、住民を客体化することが恒常化しているように感じてしまう。

しかし、そのことは、社協職員が住民主体の原則を信じていないこととは違う。単純に、住民主体で会議を進める方法が社協の中に浸透していないだけなのだと思う。2000年の社会福祉法改正を契機に全国で地域福祉計画の策定が進められた。多くの研究者が計画策定の進め方を研究し、現場を指導し、草の根の民主的な地域改革が推進されるものと思われていた。ところが、ふたを開けてみれば多くの自治体や社協の会議では形式的な会議が繰り返され、事務局が用意した筋書きどおりの計画が委員によって承認される形態が一般的になってしまっているように思う。

そこで、東京都某市の社協の地域福祉活動計画推進会議で私が取り組んだことは、まず会議の司会者と記録係を誰にするか、そして会のルール(意思決定の方法など)をどのように設定するかについて話し合って決めてもらうことであった。通常、このような会議では委員長が司会を務め、話し合う内容はすべて事務局が準備することになっている。しかし、会議の進行方法について参加者の意見を求めたことにより、その委員会が予定調和的な会議ではなく、委員が発言した内容が会議の進行に具体的に反映されるものであることを印象づけた。

第一回目の会議では多くの委員が戸惑っていた。なぜなら、そのような形態の会議進行に慣れていないからである。事務局も同様に戸惑っていた。どのように進行すればいいのか不安で、早くいつもの進め方に戻したいという思いが随所に感じられた。そこを我慢して、辛抱強く会議を進めてみた。すると、通常の会議では見ることができない住民による主体的な発言が飛び出し始めたのである。

詳しくは次号に続く。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 17

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第214号,2014年6月.

実践の糧」vol. 17

室田信一(むろた しんいち)


「ケースワークは面接に始まり面接に終わる」という言葉があるらしいが、それになぞって考えるならば「コミュニティワークは会議に始まり会議に終わる」といえるだろう。多様な主体が一つのテーブルに集まり、議論を交わし、合意を形成して、計画を立て、資源を持ち寄り、行動に移していく。そうした協議の過程はコミュニティワークの根幹といえる。

しかし、その会議の進め方の技術や方法論はどれほど意識されているのだろうか。また、そのノウハウは蓄積されているのだろうか。個人的な見解に過ぎないが、多くの会議に参加する限りでは、あまり意識されていないように思う。

会議なんてどうやっても結果は同じと思われているのか、会議は形式的なもので、大きなトラブルなくやり過ごせばいいと思われているのか。とにかく、会議という場をとおして何かを生み出すということが意識された会議にはなかなか巡り会えない。

誰が司会を担当するのか、司会は持ち回りなのか、時間配分をどのようにするのか、発言する際は皆に同じだけの発言の機会が与えられるのか、誰が記録を取るのか、記録はどのように取られるのか、記録された内容はどのように共有され、承認されるのか、決議はどのようにおこなわれるのか、多数決か、全員が納得するまで話し合うのか、声の大きい人の意見がそのまま反映されるのか、そして、それらのルールはどのように決められるのか。

会議の進め方については何も議論されることがないままに、暗黙のルールを探り合いながら、会議が進んでいるということはないだろうか。

「ルールが明確でないこと」と「ルールがないこと」は同じではない。場には必ずルールがある。そして暗黙のルールは、その場にあらかじめ埋め込まれているものであり、多くの場合それは場の権力構造を反映している。参加者は、その暗黙のルールを受け入れることで、権力構造も受け入れるのである。

表向きは「参加者の主体性を重んじる」といっていても、会議の進め方が主体的な参加を認めにくい構造になっていたら、結局は会議の過程をとおして参加者は客体化されてしまう。では、どのようにすれば会議の文化を変えることができるのか。

残念ながら残された紙幅で説明できるほど単純なことではない。重要なことは一つ一つの手続きを曖昧にしないということである。「なんとなく」や「その場のノリ」で会議が進められることに、いつしか慣れてしまい、恒常化してしまうことで、疑問すら抱かなくなってしまう。

改めて会議を「科学」することが重要になる。詳しい内容は次号で書きたいと思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 16

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第213号,2014年4月.

実践の糧」vol. 16

室田信一(むろた しんいち)


私は学生の時にバスケットボールとラグビーをやっていた。組織が1つのチームとして機能する感覚というのは、その時の経験から培われているように思う。それは、部長や副部長というような役員体制の話ではなく、まさに試合が展開する最中にチームプレーが成り立つ時の話である。

バスケットボールにしてもラグビーにしても、相手のディフェンスをくずし、得点を挙げるという具体的な目標をチームメンバーの中で共有している。そのためには一人で相手のディフェンスに立ち向かっていってもまったく機能しない。チームメンバーと協力することが前提となる。しかし、試合中常に戦略会議をしているわけにはいかない。試合が進行する中で「あ・うん」の呼吸でチームワークを発揮することが求められる。

たとえば、バスケットボールの試合で私がボールをドリブルしながら相手のコートに攻め込んでいる時、二人は左右を並走し、一人は相手のコート奥深くにまで攻め込み、一人は後ろで控えているというようなフォーメーションを組むことで相手のディフェンスをくずしやすくなる。そして、そのチームメートたちにパスをまわしながら相手を攻略するためには、目前のゴールや相手ディフェンスを把握することと同時に、チームメートがどのような軌道でコートの中を移動するのかということを把握する必要がある。つまり、仲間が共通の目的に向かってどのように動いているのかという力動をつかまなければならない。

そのためには、仲間と協力してゴールを挙げるという共通のイメージをもつことが求められるし、仲間と信頼関係を構築することが求められる。自分がドリブルで右に切り込んだら、仲間は左に切り替えるだろう、シュートを打つ瞬間はゴールの下に走り込むだろう、というような動的な共通認識が確立した時にチームは機能する。

コミュニティの中で実践を進める時に同様の感覚を得ることがある。たとえば、会議で自分がある発言をすることで、仲間がそれに対して適切なフォローをしてくれるという期待や、自分が司会を務めている時に仲間が的確な発言をしてくれるのではないかという期待をもちながら議論を進めることがある。会議をとおして獲得したい目標があり、その目標のためにチームが信頼関係を構築し、力を結集するという意味では、同様のプロセスが存在する。もしくは、資料のホチキス留めのような単純作業をとおして、チームが一体感を得ることがある。身体的な作業の方が、動的なプロセスが明確なため、そのような感覚は得やすいかもしれない。

逆に言うと、そのようなチームワークが意識されていない限り、組織として目標を達成することは難しいだろう。一人のスター選手がいても、チームの中で機能しない限り試合に勝てないことはそれを象徴している。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 15

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第212号,2014年2月.

実践の糧」vol. 15

室田信一(むろた しんいち)


年始の1月7日にNHKで放送されたクローズアップ現代にスタジオゲストとして出演させていただく機会を得た。放送のテーマは「“物語”の力が社会を変える」というもので、具体的には私が主催者の一員として昨年末に東京で開催したコミュニティ・オーガナイジング・ワークショップを取り上げる内容だった。

このワークショップでは、アメリカで草の根の市民活動に30年以上携わってきたハーバード大学のマーシャル・ガンツ先生を講師に迎え、市民活動を突き動かすリーダーシップのあり方と、そうしたリーダーシップを身につけて活動を推進する方法について3日間の講義と演習を提供してもらった。参加者は日本の各地で活動する市民活動家や社会福祉関係者、NPOの代表等であった。

放送当日は、コピーライターの糸井重里さんと共に、国谷裕子キャスターとコミュニティ・オーガナイジングについて話し合った。  その中で糸井さんから、社会的な活動が広がりをもつためには、活動そのものが魅力的であり、「商品としての価値」をもっていることが重要で、その価値がなければ社会的な活動に多くの人の賛同を得ることは難しいのではないか、という意見が出された。糸井さんのそうした指摘はもっともである。

それでは、その「商品としての価値」とはどのように決められるのだろうか。

たとえば、ある市民活動にボランティアとして支援するだけの価値があるかどうかの判断はどのようにくだされるのだろうか。それは頭で判断されるものだろうか、それとも心で感じられるものだろうか。私はその両方だと思う。

糸井さんは、その頭の部分を中心的に捉えてご指摘されていたように思う。つまり、市民活動を提供する側は、活動に参加する人に頭で納得してもらうように、その活動の価値を高めなければならないということだ。しかし、現代人の生活は多忙だ。どんなに納得のいくすばらしい市民活動であったとしても、その活動に協力するために具体的な行動に移すとなるとそのハードルは相当高い。

ガンツ先生の提唱されるコミュニティ・オーガナイジングの方法論では、活動を推進する人が自分自身の物語を語るということをとおして、すなわちなぜ自分がその活動に取り組んでいるのかということを語ることにより、他者の共感を得て、活動を展開していくということを重視している。つまり、心に訴えかけるということである。

社会福祉の活動をしていると、社会にとって当然の「いいこと」をしているのだから、公的な支援や人の支援を受けて当たり前と思ってしまうことがある。そこに物語が加わることで、実はそうした支援の輪はさらに強く広がる可能性がある。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 14

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第211号,2013年12月.

実践の糧」vol. 14

室田信一(むろた しんいち)


私の母校であるニューヨーク市立大学ハンター校の大学院で受けたコミュニティ・オーガナイジングの授業は今でも忘れられない。授業を担当していたバーグハート先生は、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』をテキストとして用い、1学期中ずっとこの本の内容についてディスカッションをするというスタイルで授業を進めた。

ご存知の人も多いと思うが、フレイレはブラジル出身の教育者で、貧しい農村における識字教育をとおして農民のエンパワメントを進めたことで有名である。言葉の読み書きができない農民たちに読み書きを教え、言葉の理解をとおして彼らがおかれた境遇の理解を促し、さらに彼らがより広い社会の中に自らの生活を位置づけることを支える。そして彼らが自分たちの生活を変えるために自ら行動をとれるように支援する。そうした一連の過程をフレイレは「意識化」と呼び、そうした考え方はこんにちエンパワメント概念の中核として位置づけられることが少なくない。

バーグハート先生は、学生との対話をとおしてフレイレの思想を教えていた。対話というのは、すなわちフレイレの考え方(意識化)に基づくものである。したがって、学生一人一人は自分という存在を社会との関係で捉え直す作業を求められ、自分にとって、社会にとって、望ましい変革を起こすために具体的な行動をとる必要性と正面から向き合う。そのような授業であるため、時には議論が紛糾することもあった。また、過去には学生の主体的な学びを促すあまり、行動がエスカレートして学生が授業をボイコットするということもあったという。ちなみにその学年では、学生の主体的な行動と決定を尊重し、バーグハート先生が授業に出ないで、学生たちが自ら授業を進めたという。

社会福祉の実践は歴史的に慈善の流れを受けている側面があり、こんにちでも教科書等で述べられる社会福祉には「施し」としての実践という側面が少なくないように思う。また、世の中の理解や社会福祉を専攻する学生の理解として、「福祉=人を助ける」という捉え方が根強く残っている。確かに、個人を支援するという一場面を切り取ってみれば、それは人を助ける行為である。また、支援なくして生きることが難しい人もたくさんいる。しかし、その「助ける行為」をとおして「助けを必要とする環境」を維持してしまっているとしたら、それは社会の中で不利な立場におかれている人がいるという状況を肯定することにもなりかねない。

社会福祉の現場では、現状維持が最善の策という状況は多々あり、それ自体を否定するつもりはない。しかし、当事者が社会の中に自らを位置づけ、自分たちがおかれた状況を少しでも変えたいと考え、行動をとろうとした時、支援者はそのための資源でなければならない。支援者は、当事者の生活を支えるという面では「エンジェル」かもしれないが、社会全体を当事者にとって生活しやすいものに変えたくてうずうずしているという面においては同志である。「たすけあいの会」の「たすけあい」にはそのような意味も含まれているのかもしれない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.13

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第210号,2013年10月.

実践の糧」vol. 13

室田信一(むろた しんいち)


アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンを題材とした映画「42〜世界を変えた男」を観た。当時のアメリカにおける人種差別の状況が一人の野球選手の体験をとおして映し出されている。ロビンソンがメジャーリーグのデビューを果たした4月15日は、毎年すべてのメジャー選手が彼のつけていた背番号42をつけることでも有名である。背番号42はメジャーリーグで唯一全球団の永久欠番となっている。

激しい人種差別が存在していた当時のアメリカには、ニグロ・リーグと呼ばれるアフリカ系アメリカ人による野球リーグが存在していた。当時ニグロ・リーグの選手だったロビンソンをブルックリン・ドジャースへ呼び寄せたのは、ドジャースの会長のブランチ・リッキーであった。彼はロビンソンを起用することが野球会のみならずアメリカ社会全体に多くの波紋を呼ぶことを承知で、あえてスポーツにおける人種の統合を試みたのである。ちなみにリッキーは白人男性である。

映画の主役はロビンソンであるが、彼の活躍と栄光はリッキーの勇気ある行動なくしては成り立たなかったといえよう。リッキーもロビンソン同様に野球殿堂入りを果たしているという点において、彼の功績は野球界で認められているが、ロビンソンのように彼の名が広く語り継がれることはない。

白人以外で最初の南アフリカ共和国大統領となったネルソン・マンデラに関しても同様のストーリーが存在する。当時政治犯として収監されていたマンデラを釈放し、アパルトヘイト法を廃止し、マンデラ大統領誕生の筋道をつくったのは、外でもない白人系大統領であったフレデリック・デクラーク大統領であった。デクラークがマンデラと共にノーベル平和賞を受賞したことは知られているが、マンデラの功績の方が圧倒的に評価され、広く認知されている。

社会の中で大きな変革がおきるとき、とりわけその変革が社会的に影響力をもつ既存組織の変革を伴うとき、その組織外部からのはたらきかけはもちろん、組織内部からのはたらきかけが同時におこなわれる必要がある。そのようなはたらきかけを私は「内部・外部戦略」と呼んでいる。

外部から変革をおこすときは、組織内部に良心のある変革者が存在することを、内部から変革をおこすときは、外部に献身的な協力者が存在することを疑ってはいけない。内部にいるものは外部からの圧力があって初めて胸をはって内部変革をおこすことができるのである。そのように考えると、内部と外部の線引きを規定のものとすることで、変革の芽を摘んでしまっているのは私たち自身なのかもしれない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 12

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第209号,2013年8月.

実践の糧」vol. 12

室田信一(むろた しんいち)


「奇跡を信じる。」これは、私のコミュニティワークの授業を受講する学生に対して課している3つの約束事のうちの一つである。科学立国を標榜し、行政における手続きや社会的な規範づくりにおいて科学的方法をその中核に位置づけてきたこの国の高等教育機関において何を言っているのかと、受講生は思っているに違いない。奇跡を信じる前に目の前の教師を信じられなくなっているかもしれない。

私には奇跡にこだわる理由がある。コミュニティの中で実践を進めていると、必ず奇跡が起こる。人によっては大げさというかもしれないが、小さな奇跡から大きな奇跡まで、コミュニティの実践には奇跡がちりばめられている。

どのような奇跡か例を挙げよう。たとえば、地域住民から、まだ十分動く冷蔵庫の処分に困っているという相談が寄せられ、一方で冷蔵庫が必要だけど家庭の事情で買うお金がないという相談が別の住民から寄せられる。資源とニーズがそのようにして奇跡的につながることがある。

別の例を挙げよう。地域で映画祭の企画を進めていたところ、機材と技術と時間を持て余したセミプロの映画監督が奇跡的にそのプロジェクトに参加してくれることになり、ボランティアによる自主制作映画の作成に一躍買ってくれた、ということがあった。渡りに船とはまさにこのことである。

そのようにして地域の住民や資源などが偶然結びつくことを私は奇跡と呼んでいる。そうした奇跡を科学的に分析し、ネットワークの構築やソーシャルキャピタルの醸成の結果として説明することも可能かもしれない。しかし、いくら効率よくかつきめ細やかにネットワークを張り巡らせたとしても、現場のワーカーが信じなければ奇跡は起こらないだろう。地域住民と出会った時に、その人がもたらしてくれるであろうたくさんの奇跡を想像してわくわくすることが求められる。

近年、先駆的かつ効果的な実践を「グッド・プラクティス」として賞賛し、かつ手本にして他の実践の参考にするという考え方が浸透してきている。そのように実践に優劣をつけることに対して違和感を感じることもあるが、一方でグッド・プラクティスのお話を伺ったり、現場に足を運ばせていただいたりすると、そこにはたくさんの奇跡があふれていることに気づかされる。

そもそも、複数の人の想いと行動が出会うことで地域の活動が始まることを考えると、あらゆる地域活動が偶然の産物であり、奇跡の連続なのかもしれない。しかし、それは奇跡が起こることをただ待っていればいいということではない。奇跡を信じて準備をする。そのしたたかな準備の結果が一握りの奇跡であり、その一握りの奇跡が次の奇跡を導くのである。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 11

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第208号,2013年6月.

実践の糧」vol. 11

室田信一(むろた しんいち)


今回は私がはじめて自分一人で取り組んだ地域の実践について書きたいと思う。振り返ってみると、私は幼少期から自分が所属するコミュニティの仲間を巻き込み、新しい取り組みを始めることが好きだった。小学生の頃は、クラスメイトに声をかけて草野球を開催し、日程調整からスコアの記録、メンバーのリクルート、チームワークの円滑化、やる気を失いがちなメンバーのフォローまで、今考えると私一人で担当していた。私の関心は自分が野球を楽しむということではなく、みんなが野球を楽しむ「場」を設定することであり、その中で自分も楽しむことだった。地域における福祉活動に従事している人は、大なり小なり同様の価値観を共有しているかもしれない。

そんな私が学校等の組織の枠組みを飛び出し、一から自分で始めた実践は、私が住んでいたニューヨーク市クイーンズ区の地元で開催した映画祭だった。当時の私の問題関心は多文化共生であった。また、大学でメディアについて勉強していたこともあり、普段なかなかコミュニケーションをとることがない外国人同士が、自主制作映画をとおして普段自分たちが考えていることを表現し、その映画を地域で上映することで相互理解を図るというイベントを思いついた。

思い立ったが吉日、すぐにパソコンでボランティア募集のチラシを作成し、夕方のラッシュアワーの時に地下鉄の改札付近で配った。何百枚ものチラシを配ったが連絡をしてくれた人は3名だった。その3名と企画会議を毎週開き、自分たちで映画を作ったり、映画学校の学生に作品を提供してもらったりしながら、初年度は7作品を地域の教会の地下室で上映することができた。参加者は約80名だった。

参加者からは、同様のイベントを翌年も開催してほしいという声や、自分たちもボランティアをしたいという声があった。そんなこんなで、イベントの規模は毎年膨らみ、4年後にはボランティアだけで約20名、参加者は1000名を超すような一大イベントになり、地元のメディアにも取り上げられた。

そんなイベントの企画をとおして私が学んだことは「失敗することに成功する」ということである。何十人、何百人という人のボランタリーな意思によって推進されるイベントは、人の思いが衝突したり、空回りしたり、途切れてしまうことがある。しかし、大切なことは完璧を目指すのではなく、より多くの人が協力しない限り達成できないようなことを、そしてみんながハッピーになることを、失敗を恐れずにやってみるということである。結果的にたくさんの失敗を経験するかもしれないが、実は多くの人と一緒に失敗を克服する過程こそが真の意味での成功なのだということに気がつく。

それ以来、イベントを企画する時には、どうすれば上手に失敗できるかということを考えるようになった。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 10

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第207号,2013年4月.

実践の糧」vol. 10

室田信一(むろた しんいち)


私が勤務していたニューヨーク市内のセツルメントでは、社会サービスのプログラムの一環として、移民を対象に無料の英語クラスを提供していた。クイーンズ区の移民街の雑居ビルに構えられたその英語クラスでは、世界各国からニューヨーク市に移り住んできた移民たちが肩を寄せあい、必死に英語を勉強していた。雑居ビルのその小さなオフィスには朝から晩まで毎日のべ600人程の移民が通ってきた。受講生募集の日は、倍率10倍以上のそのプログラムに入るために、雑居ビルの周りに行列ができるほどの人がクイーンズ区中から集まった。テレビ等で見るきらびやかなニューヨークのイメージとはまったく違う様相である。

そのようなプログラムであるため、英語を教える教員も筋金入りのタイプが多い。社会正義に熱く、アメリカで第2の人生を始めようと努力する移民を支援することに真剣である。言語を習得するということは、その社会で生きていくための力を身につけることである。つまり、そのプログラムは単に英語を教えるだけではなく、英語が話せないことで生きづらい思いをしている移民をエンパワーすることが真の目的であった。

そのプログラムにおける私の仕事は、コミュニティ・オーガナイザーとして、移民が抱えている生活問題について話を聴き、また移民にとって問題となりうる政治的課題等について情報を提供し、プログラムの参加者の問題意識を醸成することであった。そのうえで、プログラムの参加者を組織し、リーダーを養成し、彼(女)らが培った問題意識に対して必要な行動を起こせるように支援することであった。ニーズ調査のためのアンケートを実施したり、地元議員の事務所を訪問したり、権利について学ぶワークショップを開催したり、ときには市役所前の集会に参加するアクションを企画したりもした。

私が業務を遂行するうえでもっとも気をつけたことは、英語教員たちとコミュニケーションをとることであった。私と教員の業務の最終目的は同じ「移民をエンパワーすること」であったが、その手段は異なるものであった。私は、自分が進めているプロジェクトについて常に教員の意見を取り入れ、協力を得ることの可能性を尋ねるようにしていた。私ひとりでできることであっても、必ず助言をもらうようにしていた。たとえそれが非効率的であっても、他のスタッフによる参加の手続きを大切にしたということだ。

私が体調を崩したとき、教員が率先して受講生を組織し、ある重要な集会への参加準備を進めてくれたことがある。福祉の仕事をしていると、クライエントのことを考えるあまり自分の業務しか見えなくなってしまう危険性がある。真の意味でクライエントを支援するには、その支援プログラムが滞りなく推進されるように環境を調整し、不必要な軋轢を回避することもまた重要な側面である。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 9

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第206号,2013年2月.

実践の糧」vol. 9

室田信一(むろた しんいち)


 最近ある面白い本を読んだ。槙田雄司氏による『一億総ツッコミ時代』という本だ。お笑い芸人でもある著者によれば、現代の日本にはダウンタウンなどのお笑いから派生した「ツッコミ」文化が2ちゃんねるやツイッターといったネットメディアにも蔓延し、その結果日本国民が日常的にあらゆることにツッコミをいれる社会になったということである。ネット上で「炎上する」というのは、まさにそうしたツッコミの集中砲火であるし、いじめも同様に理解することができる。

 著者曰く、ツッコミをいれるという行為には、他人の落ち度を指摘するという意味と共に、実は他人の揚げ足を取ることで自己を防衛するという側面があるという。もちろん、大阪人としては「ボケ」に対して「ツッコミ」をいれることが礼儀であり、いいツッコミをいれるには、高度なコミュニケーション能力や相手に対する配慮が必要であるし、それでこそ愛のこもったツッコミができるという側面もある。

 著者はむしろ、愛のこもってないツッコミが蔓延していることと同時に、ボケることがしにくい世の中の雰囲気を案じているようである。著者が言うところのボケとは、ベタなことをするという意味である。家族で幸せな休日を過ごすとか、好きなことに夢中になるといったことである。確かに、現代の日本ではそういうベタなことをしていると、他人からツッコミをいれられるような気がして隠してしまいがちになる。

 そこで思ったことは、自分が福祉関係の仕事をしているとか、人々が幸福に生きていく社会について真剣に考え、そうした社会の実現に向けて日々取り組んでいるということを、福祉と関わりのない人の前で話すことをどこか避けているということである。例えば高校の同窓会に顔を出したりすると、福祉の仕事をするうえで大切にしている価値を友人に理解してもらえないのではないかという気がして、あまり触れてほしくなさそうに、つまりツッコミをいれてほしくなさそうに、自分の仕事について話してしまう自分がいる。

 著者の理論でいうと、福祉の実践とはまさにボケ中のボケである。そして著者は、日本国民はもっとボケる必要があるといっている。ものごとを遠くから眺めて、メタな視点から評論家面してツッコミをいれるのではなく、そのベタなものにどっぷり浸かり、堂々とボケていいのではないかと提案している。

 そんなボケやすい気風をつくっていくことで、少しは社会の中の「生きにくさ」のようなものが解消されればと思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。