NY市アドボカシー・デイ

今日は寒かった。最高気温が摂氏0度くらいで、さらに風が強くて5分外にいるだけで骨の芯まで冷えた。そんななかNew York Immigration Coalitionが主催したImmigrant Advocacy Dayうちのプログラム参加者20人ほどを引き連れて参加してきた。NYICのメンバーの中でもアドボカシーのメインプレイヤーであるFHCHは引っ張りだこで、 午前中のタウンホールスタイルミーティングではディレクターがImmigrant Opportunity Initiativeと呼ばれるNY市の予算に関して話し、そのあとの集会、議員とのミーティングでも他のグループを代表して発言した。
まぁ よくあ Advocacy Day又はLobby Dayってやつで、市が予算を決めるこの時期になると決まって僕らのようなCBOは市庁舎やら、州都に参加者を送り込んで、来年の予算を確保する。まぁ、 挨拶 代わりのようなものであって、年によっては結構白熱したりもする。
回僕が訪れたブルックリン地区代表の市議員さんは、100キロはあるであろう 巨漢の持ち主で、昨日の雪のせいもあってか、泥だらけのコートに汚い靴、大 きく飛び出たおなかを無理矢理スーツのズボンに押し込んでいるその容姿はとても市の政治を担っている人物には見えなかった。話を始めてみると、これがな かなか頭の切れる人物で、又、自分の知らない問題事項は素直に認める気持ちのいい人だった。たいていの移民コミュニティーはJetsスタジアムのマンハッタ ン移転に反対しているわけだが、その代表である僕らを前に彼は堂々とスタジアム移転サポート宣言するなど、自分の政策に相当自信を持っている感じがした。まぁ、政治家とはそういうものか。
それよりも面白かったのは、 彼が部屋に入ってくる前に買ってきたコーヒーの紙コップにBloombergとプリントされていたことだ。これは市長が経営する株式情報メディア会社の広告で、市庁舎はウォール街から歩いて数分に位置するだけにBloombergの広告を目にすることは不自然ではないが、これは市長が意図的に自分の宣伝も兼ねて していることと思われる。ブルームバーグ市長は堺屋太一氏の「平成三十年 に出てくる織田氏を髣髴させるビジネス界出の政治家で、自分の資金を使いながらなかなか大胆な改革に出ている。昔は家系が政治に精通していないと政治の道 に関わりにくい社会だったが(今でもそうか)、資本主義経済が飽和状態になってきた今日、お金があって始めて政治に関われる社会になったようで、ブルーム バーグ氏はその象徴のような人だ。何よりも共和党(もともとは民主党支持者だが)の市長の会社の広告入りカップを手にした民主党の市議員さんの絵が風刺画 のよ うであまりにもこっけいだった。
ちなみに余談だが、僕はこういった議員訪問があって始めて成り立つ民主主義のあり方に対してちょっと疑問を 感じ る。さらには市庁舎前で氷点下の中、集会を 開いて初めてメッセージが伝わるという民主主義に対してもおままごととしか感じることができない。でもみんなこんな茶番が大好きみたいで、ますますイ リュージョンの中に引き込まれる気がしてならない。

アクティビスト vs コミュニティーオーガナイザー

なんだか、この度CO サイ ト立ち上げに向けてCOに関するリンクなどを調べていたんだけど、COのカテゴリーに入れたいものとちょっとCOからずれてくるものとが出てきた。あくま でも個人的な価値観から来るが、その多くはアクティビストものとコミュニティーオーガナイジングものとに分けられると思う。よって今回はこの両者の違いに ついて僕なりの見解を書いてみようと思う。
一般的にアメ リカでコミュニティーオーガナイザーと言うと、アクティビストのイ メージが強い。現にそういった反応をよく受ける。僕の中でのアクティビストの概念とは、何か強く信じるもの、反対するもの、擁護する問題等に個人的な問題 意識をもち、それに対して個人の意思 主張し続ける人、のことだと思う。例えばPeace Activistなどと言う場合、平和に対しての問題意識が人一倍強く、戦争の話題になると我こそはと平和主義を主張し、戦争反対運動やら、平和集会やら を催したりと、その問題に対して実際に何かの行動に出る人を指して使われる言葉だと思う。これは一人の人間として民主化された社会の中で生活するうえでは 大切なことであり、特にアメリカでは人々が行動を起こすことで歴史が変わってきた背景があるだけに、アクティビズムは無条件の賞賛のようなものを受けてい る。
このアクティビズムは無論コミュニティーオーガナイ ザーにも必要な資質ではある が、それだけではCOは語れないと思う。決して学術的なCO論だけには収めたくは無いが、COにはいくつかの基本概念がある。まず一つには、個人の問題意 識ではなくコミュニティー全体の問題意識を第一とするというのがある。コミュニティーにおけるニーズ調査をして初めて、そのコミュニティーに対して働きか けることができる。第二に、計画性を持って 題に対処する。もちろんこれは住民参加型の計画こそ望ましいく、コミュニティーのニーズを基に、問題解決のた めの設計図を作る必要がある。これは以前も書いたが、ReactiveProactiveの違いになると思う。何か問題が発生したことに対して計画性を 持たずにがむしゃらに行動に出ても、勝算は低い。三つ目には、ビジョン くる。これは二つ目のポイントとも深く関係してくるが、最終的にどこにたどり着き たいかが明確でないと、ただの理想主義になってしまう。コミュニティーオーガナイザーがアクティビストのように行動に出ずにひたすらコミュニティーの為と 試行錯誤していても、そこに明確なビジョンが欠けていたら理想家で終わってしまうと言うこと。
これって結構厳しいけど、本当の話。いくら住民主導のオーガナイジングを謳っていてもビジョン無しでは何も起こりません。ってことで、僕もそれなりに自分なりのビジョンを持って仕事に励んでいます。

MLK

今週の月曜日はキング牧師 生記念の祝日だった。たぶん誕生日だと思う。あまり殺された日を記念日にすることは無いと思うんでね。キング牧師は中学の英語 の教科書にも載るくらい知られた人で、彼のI have a dream…スピーチはあまりにも有名すぎると思う。その彼が訴えたことは、とてもシンプルで、今になれば当たり前のことだけれど、黒人でも白人でも 平等に扱うべきだという、いたってシンプルなことだった。こんな当たり前のことを、当時の人たちは当たり前と思っていなかったと言う現実は、今日かなり影 を潜めたんじゃないかな。
でも、この盲目の人間による社会 形成というものは、いつの時代にもあって、今日もいたるところに存在すると思う。まぁ、 日本なんかはそれの宝庫でしょ。男 女差別から、朝鮮人問題なんていうのは当たり前で、どっちかって言うと毎日の生活の中で垣間見られる村社会がその際たるものかもしれない。
まぁ、 そういった盲目の社会形成の中に、21世紀の移民コミュニティーというものがあると思う。これは国連 把握しているものだけれど、今日の移民は世界 中の人口の3パーセントを上回るといわれていて、もちろんこの数字はこれからどんどん伸びてくると思う。グローバル化だね。もちろん自分の生活に満足して いて、さらに刺激を求めて移民する(典型的な日本人移民タイプ)もいるけれど、移民の多くは経済面、政治面での困難を理由に移民するケースがそのほとんど だと思う。これは不可抗力によって移民するわけで個人の問題としてみるよりも、世界全体の流れのひずみがその3パーセントとして出てきているんだなぁ。
んでもって、今の国際社会では誰が何を叫ぼうと、そういった「移民」たちを国際社会の一人間として扱う法律なんてものは制定されず、アムネスティーや国 連が人権を武器に口撃するのが精一杯という状態。高齢化によって、移民受け入れ需要急増中の日本社会では、このグローバル化の犠牲者たちをどのように受け 入れるのだろうか。キング牧師が叫んでいたように、ごく当たり前に一人の人間を人間として平等に扱う、そういった姿勢があればいいなぁ。でも無かったら無 いで、コミュニティーオーガナイザーの腕の見せ所だけどね。

Venezuela

今日は職場のParalegalの人とベネズエラに関して話した。
彼女はもともとはエクアドル 身だが幼い頃に家族でベネズエラへ移民したらし い。彼女がベネズエラに移り住んだ70年代は豊富に採取され続けた原油によっ てベネズエラの経済が最も成長した時期で、ヨーロッパからも多くの移民が移り住んだという。依然、スペインからの独立以来安定した政府を築けていない近隣 諸国に比べて、ベネズエラは原油のおかげで治安と経済の安定した社会を築いていたという。
しかし現状は、ヨーロッパからの移民が多くの富を所有 し、ベネズエラ国民たちは次第にその貧富の差に対して反感を得るようになっていったという。なんだか こういう話しってどこにでもあるような気がする。それは東南アジアに移り住んでいった華僑だったり、オーストラリアに招集された白人たち、アフリカ諸国 や、西インド諸島のインド人なんかもちょっと似てるのかな。
まぁ、 それはさておき、現在のベネズエラといえば、社会主義的な政策を立ち上げ、貧困 層の支持を得て大統領に選ばれたHugo Chavez 有名で、今年の夏に史上最大の投票参加率をもってなお国民の過半数に支持されてリコールを回避した。民主主義を信じ、さらにはIMFや世界 銀行のやり方に憤りを感じている層は、このChavezの再選に対して国民主導の政治の勝利として、多少なりと誇りに思ったかもしれない。
し、今日僕が職場の同僚から聞いた話は、そのまったく反対の角度からの見解だった。エクアドルから移り住んだ同僚家族はよく働き、ベネズエラでそれな りの富を築いた。当時のベネズエラは、移民がチャンスを掴めるような体制にあったのかもしれない。いずれにせよ、彼女からしてみれば、80年代になり、貧 富の差が激しくなるにしたがって、犯罪が絶えなくなり、家族でアメリカに逃亡することにしたという。彼女から言わせれば、その後選ばれたChevez的な 政治はその問題を解決するには至っていなく、政府として経済成長をサポートせず、上流階級から徴税をし、下層階級に社会保障を提供するという彼のやり方は ベネズエラ自体を魅力的な国にはしてくれないという。
その彼女は今、アメリカの移民コミュニティーの中で、専門職を得ながらも、決して裕福な暮らしは約束されていない。
女の人生を通してみた政治のあり方は今日の民主主義の現状を表していると思う。アメリカが今日のような保守的な体制になったのも、それを支持する国民が いてのこと。今日、苦労している移民たちもやがてアメリカで生活を築くことで、いつかは保守的な考えを得るだろう。同じ原理が日本に通じるようになるかは 楽し みな部分だ。(実際、日本にすっかりはまったガイジンさんが、きものを着て日本の伝統文化の保護を訴えてたりするのを見ると、まんざらない話でも ないかもしれない・・。)

Social Welfare Reform

今日はアメリカの福祉会をすっかり様変わりさせたSocial Welfare Reformに関して書いてみます。SWRの詳しいことは勝手に調べてもらうとして、このクリントン前大統領が施行したSWRとは基本的には、アメリカ的な資本主義を中心としたマーケット優先の国づくりの反映といえるんじゃないかな。ようは、レーガノミックス よって、作られた市場優先主義。「経済さえうまくまわって、大企業がアメリカ市場を牽引してくれるなら一般市民はその恩恵を受けれますよ!」っていうやつ で、そののりで、「福祉的支援を必要とする人たちは、そんなものに頼ってたら健康的ではないし、経済発展のお荷物だから、就業トレーニングでも受けて市場 に協力しましょうね。」と始まった。
構造的には、それまでのAFDCからTANFに変わったわけだけど、この影響が、ここに来てちょっとづつ出始めるのではと言われています。と言うのも、TANFは州によって5年間の受給制限があったりして、各州で実際に施行されてから5年経った今、ぼろが出始めるではという巷の噂。UC Berkeleyの教授もサンフランシスコの中国人コミュニティーにおけるTANFの影響に関してリサーチなどしているようです。
僕の働くForest Hills Community HouseAdult Education Program は、移民に英語を教えているわけだけれども、これはまさに就業トレーニングの一環として見られていて、本来ならTANFのお金をがんがんもらえるはずなの だが、いまだにNY州はこのお金をどのようにして使うことで、国の定めた規定に沿えるか困惑しているようで、プログラムに対して、不合理な要求を課してい る。たとえば、数ヶ月英語を学んだ生徒は就職しなくてはいけなくて、その生徒は数ヵ月後にはさらにいい賃金を得なくてはいけないと言ったようなもの。それ 以前にニューヨ?ク市で移民が英語を話す仕事に就くこと自体が困難だし、また仮に職に就いても英語のクラスにのんきに毎日通う余裕などなくなってしまうの が現状。結局経済成長というベースに頼った福祉政策なだけに、アメリカの経済成長が見込めない、又は日々の生活に反映されてこない場合(貧富の差がますま す広がっているアメリカ社会では、妥当な見解だと思うが)、結局社会的に不利な立場にある人間は福祉に頼らざるを得ない。
まぁ、福祉供給側から言 わせてもらえれば、SWRは福祉に頼って生きていく層を減らすと言う意味では構造的な改革になったかもしれないが、それが社会全体 の資質となると、よりStressfulFast-paceな生き方を強いられるような国になったと言えるんじゃないかな。大きな木に頼って生きることしかできない国っていうのかな。

quick reflection

以下は地元の代議士のChief of StaffとのNon-Citizen Votingに関するミーティング終了後に書いたものです。
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It is not important whether the protesters have right to vote or not. They are representative of their groups. If they are Latino, they represent Latino voters.
Politicians do not care how furious people are. More likely, they pay more attention to how to treat people, because the entire population often reacts to such presentation.

INCO

このINCOとはNew Yorkをベースとしたコミュニティーオーガナイジングのプロジェクトで、ANHD いう住宅問題に関するアドボカシー兼政策に携わる非営利があるんだけど、この団体が管理母体となり、ニューヨーク市内の15の住宅問題に携わる非営利団体 に対して、一口年間5万ドルの資金を義援してニューヨーク全体に対してのアドボカシー及びコミュニティーオーガナイジングを展開するというもので、資金的 に支援しているのはプライベートの基金・財団が半分、銀行が半分である。よって政府の助成金は0!というのも政府に対しての働きかけがほとんどのこのプロ ジェ クトを政府が支援するわけないんだけどね。ちなみにINCOとはInitiative for Neighborhood and Citywide Organizingの略で、まぁ言葉の示すとおり市全体とコミュニティーにおけるオーガナイジングを牽引するプロジェクト。コミュニティーオーガナイ ザーという職が失われている今日では夢のようなプロジェクトである。
なみにこのANHDとは僕が大学院1年生の間一年間インターンシップをしていた団体なのだが、70年代後半にニューヨークの住宅事情が荒れに荒れていた頃 発足して、当時、放火等で市の所有物となった廃墟を非営利に振り分けるプロセスを強化する目的で発足した。今日では102の非営利団体が所属している統括 組織である。僕の働くForest Hills Community House 長年メンバーで、僕の友人でFHCHAssociate DirectorIrmaANHDの常連役員である。まぁ、それもあってNY市内で15の団体が選ばれる際に特に住宅専門団体でないFHCHが選ばれ たという面はあると思う。そして、そこで中心となってCOを展開しているのが僕というわけだ。何だか、聞こえはいいが、これが結構苦労している。
ず一つには他の14の団体の多くは住宅問題のみ扱っているという部分である。よってミーティングに行くと当然住宅問題の話題しか出ない。そして、自然と オーガナイジングの形もissue-basedオーガナイジングになる。FHCHのオーガナイジングのアプローチはCommunity Buildingを基本としている。これはRothman3つのアプローチ 加えて、80?90年代にアメリカで基本となってきた考えかたで、都市化、核家族化、高齢化、グローバル化、交通手段の向上、サービス業の発展による移住 率の上昇、等からコミュニティーに必要とされる要素が消えて、コミュニティーの感覚が失われた。よってCBOはまずそこにコミュニティーというものを築か なくてはならない。しかしissue-basedオーガナイジングはそんな悠長なことは言っていられないといった調子で、コミュニティーをまとめて問題解 決をすることを第一とする傾向がある。問題解決は当然大切ではあるが、そのプロセスには当事者主導の形や、意思決定の形、リーダーシップ性など、COには 欠かせない要素が必要になってくるが、結局は今日の政治体系を受けて、政治的な圧力をかけるためにはどうするのが最善かとなってしまう。これではいつまで たっても、Reactiveであって、Proactiveにはなれない。まぁ、このディスカッションはこれからも続けて行きたいとは思う。
う一つ問題を挙げると、お金とオーガナイジングの関係である。これもまた永遠のテーマなわけだが、INCOに関して言えば、発足当初のラディカルな考え方 はすっかり影を潜め義援元がすっかりイニシアチブをつかんでしまっている。毎年義援金を受けるためには半年に一回レポートと計画書の提出義務があり、僕ら の一年目の経験はとことんひどいものだった。CO哲学を超え、個人的な信頼問題にまで発展してしまった(僕ではなく僕の上司とINCOコーディネーターの 話だが・・)。何よりも、CO はコミュニティーにおける問題定義を始め、住人がオーガナイズする必要性を感じて始めて成り立つものだと思う。どんなに能力の長けたオーガナイザーでもコ ミュニティーのニーズの無い所では何もしようがない。例えば北海道の大平原の道路も走っていないところで騒音問題に関して住民をまとめようとしたところ で、ちんぷんかんぷんといった調子だ。つまり、オーガナイジングは草の根活動で始めて成り立ち、誰かよそ者が口を出しても焼け石に水なわけだが、この場合 は焼け石に札束で、オーガナイザーはいくらでも投資元の意見を聞くことは出来るが、それでコミュニティーをまとめられるかといったら、約束は出来ない。ど ちらかといったら本末転倒な結果を導くであろう。これはINCOコーディネーターのつらいところで、お金の力を使って15の団体をまとめようとしてもそう はいかない。COには様々なスタイルがあり、それを上手に引き伸ばす手腕が問われると思う。日本でも政府が率先してCO(地域福祉)を取り込んでいるよう だけど、大切なことはオーガナイザー同士がお互いを高めあえる環境を作ることと、草の根的な要素を生かしてプログラムを遂行できるコーディネーターを就か せることだと思う。

7月28日

以下は本年7月28日に書かれたものです。
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今日はUNHのImmigrant Issue Groupのミーティングに参加した。このミーティングは昨年の秋から参加しているが、正直進歩がないと言っても過言ではない。オーガナイズしているUNHLegislative Advocateは法や政策に対する知識には富んでいるかもしれないが、人とDealする上で、特に何かをオーガナイズして道を切り開くという能力は乏し い。僕らが何かをオーガナイズする際には二層のアプローチが同時進行していると言っていいと思う。一つは表面上のオーガナイズでこれは基本的には consciousnessを使ったrationalな会話になり、ポリシーに関する話はここに入ってくると思う。もう一つの層は unconsciousnessの部分で、表面には出てこないが、例えばミーティングをしていてその中で複数の人間がどのようにinteractすること で、チーム内のstrategyやチームワーク、又は勢いというものが生まれ、それによって例え政治的に何かを解決することができなくても、内にポテン シャルが生まれる。この二つの層が同時に作用してこそ効果的なオーガナイジングが可能になる。

Blog開始!

4ヶ月ほど前から計画していたこのBlogがやっと開始されるに至りました。
コミュニティーオーガナイザーの大切な資質として「行動力」は切っても切り離せないものだが、自分のサーバーtdialyなんかを使って、大掛かりなことをやってみようという、たいそうなもくろみのため、今日まで待つことになりました。
結局はbloggerにお世話になることになりましたので、ここに感謝の意を称します。
さて、このBlogではこれからフルタイムコミュニティーオーガナイザーとしての抱負やら、毎日の経験に基づき感じ得た事をいろいろと載せていこうと思っております。
まぁ、 それも、これから日本で盛り上がっていくであろうコミュニティーオーガナイジングというコンセプトをより多くの人に親しみをもって理解していただきたいと いう、まぁまぁ大きなビジョンの元はじめようと思っています。尻つぼみにならないようにプロセス重視、かつ自分の中でどんどん盛り上がっていくよう に楽しんで行こうと思っています。このBlogを発見した人も是非とも色んな形でそれぞれ盛り上がってみてください。