掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第231号,2017年4月.
「実践の糧」vol. 34
室田信一(むろた しんいち)
先日、引越しをした。私は若い頃に引越し屋のアルバイトをしていたので引越しは得意で、業者にお願いしたことはかつて大阪から東京に引越した時くらいである。
今回の引越しは東京都内の引越しであったが、これまでとは勝手が違った。まず、5歳と1歳の子どもがいる中で引越しをしなければならないということである。二人が戦力になることは期待していないが、それ以前に、私と妻の作業をあの手この手で邪魔しようとする。本人たちに悪気はないので、やめてもらうのにも苦労する。さらに、年度末の超多忙な時期に引越すことになり、引越しの準備もままならないことは予測できた。
そこで、荷物の大半の搬送を引越し業者にお願いすることにした。繁忙期のため割高になったが、それでも背に腹は変えられない。引越し業者の若い人が本が詰まったダンボールを2つ抱えて階段をタッタッタと駆け上がる姿を目にすると若い頃引越し屋でアルバイトしていた自分を思い出し、血が騒いだ。そんなこんなで業者の人たちはものの数時間で大量の荷物を運び終えてくれた。
しかし残念だったことがある。今回引越し業者に手伝ってもらいたかった最大の理由はドラム式の重い洗濯機を新居の2階まで運んでもらう必要があったからである。重い洗濯機を慎重に運んでくれたところまでは良かったが、その設置は別料金だと言って置きっ放しにされてしまった。その場で別料金を払うと言っても、別の電気工事部の人が来る必要があるということで、「連絡しておきます」とだけ言い残して颯爽と引き上げて行ってしまった。その後、2日待っても電気工事部から連絡はなく、コインランドリー通いが続いた。
結局、こちらから引越し業者に連絡したら電気工事部を手配するまでに数日かかるということで、インターネットで別の業者を探して洗濯機を設置してもらった。
引越し屋のなんとも杓子定規な対応に切なくなった。以前私がアルバイトをしていた頃は依頼主の細かい注文に臨機応変に対応していたものだが、おそらくそうして現場で裁量を効かせることから、稀に問題を引き起こし、リスク管理の観点から全ては契約に基づいて対応するようになったのだと思う。
その一方で、エアコンの設置業者は当初の工事よりも余分にカバーが必要だと4万円も余計に請求された。まさに取り付ける作業を始める段階でそのような追加料金をふっかけられても断るという選択肢はなく、否応無しに4万円を支払った。この「先進国」日本にもまだこうした「ぼったくり文化」が残っているという点では新鮮だったが、財布には優しくなかった。
どちらの業者も当事者視点が欠けていることが何よりも残念だった。引越しという困難を乗り越えようとしているという意味で、私の世帯は誰かの助けを必要とする脆弱な存在である。その弱みに付け込んだり、その弱みを見て見ぬ振りをしたりする業者が普通に存在することにショックを受けたが、同様の対応を福祉サービスの中にも頻繁に散見することができると思った。引越しは数年〜数十年に一回のイベントだから良いが、同様の対応を毎日の生活の中で受けたらどれだけ苦痛だろうか。弱い立場に立って改めてそのようなことを考えた。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。