シリーズ『実践の糧』vol.85

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第285号,2026年4月.

実践の糧」vol. 85

室田信一(むろた しんいち) 

 私はアメリカの大学院で修士課程を修了後、ニューヨーク市内にあるセツルメントといわれる福祉の総合施設でコミュニティ・オーガナイザーとして勤めていた。ちょうど私が勤め始めた頃、Journal of Community Practiceという学術雑誌にセツルメントの実践を題材とした論文が掲載された。その雑誌を常にデスクに置き、何度も読み返していたことを覚えている。しかし、何度読んでも論文の内容を完全に理解することが当時はできなかった。

 英語が理解できないということではない。そこに書かれている実践内容が特に複雑ということでもない。セツルメントの実践を当時の時代背景に照らし合わせて理論的な解釈を加える内容だったが、その時代背景を十分に理解することができなかったし、理論的な解釈も十分に消化できるものではなかった。その後、その論文が引用していた参考文献を読み、他の論文などを読む中で、その論文の意義を徐々に理解できるようになった。

 その論文が特に難解なものであったわけではない。むしろ、セツルメントの実践という点では、私にとって読み解きやすい内容のはずが、それでも学術論文の内容を完全に理解することのハードルは高かった。

 しかし、私にとって論文を「理解できない」ことは苦痛ではなく、喜びだった。なぜなら、理解できないということは、実践の奥深さを私に突きつけてくれているからだ。自分の実践の世界では理解できないことが、論文の中で展開されていた。論文とはその広い世界へ誘ってくれる師のような存在といえる。論文に限らず、学術書などの書籍にも同様のことが期待できる。

 私は、今でこそ「研究者」のような面をして生きているが、自分のアイデンティティは「実践家」もしくは「オーガナイザー」と思っている。以前から、現場には研究者には理解できないことが起こっていると思っていたし、だからこそ、今でも現場に関わるときには、現場から学ぶという態度を大切にしている。

 同時に、現場の人間が研究の世界から学ぶこともたくさんある。実践で壁にぶつかって行き詰まった時や、自分の実践が型にはまっていると感じた時、自分の実践が時代遅れだと感じた時など、他の実践事例や実践研究から学ぶことが多い。実践とは失敗の連続で、自分の失敗から得る学びが何よりも尊いものと私は思っている。かといって、実践の目的は失敗することではなく、成功の確率を少しでも上げることが重要だ。そのためには、他者の実践事例や実践研究が何よりの肥やしになる。

 アメリカの哲学者ジョン・デューイのプラグマティズムという考え方が形成される過程において、彼がハルハウスというセツルメントの実践に触れたことが大きな影響を与えたことは有名な話である。同時に、デューイの哲学はその後のセツルメントの実践をはじめ、さまざまな実践の基盤となっている。私自身も彼の考えに魅了され、彼の哲学が実践の礎となっている。  近年、学生の読書量が激減していることが問題視されるが、学生に限らず、現場の実践者も論文や学術書から学ぶ機会が減少しているのではないかと気になっている。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

実践の糧