掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第281号,2025年8月.
「実践の糧」vol. 81
室田信一(むろた しんいち)
以前も少し書いたが、現在、私は東京都練馬区で空き家となった実家を地域の居場所として使ってもらうように準備を進めている。私の実家は呉服屋を営んでいたため、2階建ての建物の1階部分は広い空間になっていて、大きな改修をしなくても、地域のちょっとした居場所として使ってもらえる。
そこで、昨年(2024年)の10月から居場所に関心をもっていただける地域の関係者の人に集まっていただき、定期的に会議をしながら準備を進めてきた。私はその居場所から車で50分ほど離れたところに住んでいるため、頻繁に立ち寄ることはできない。したがって、家の管理から場の運営まで、地域の人たちに委ねる必要がある。また、地元に知り合いが少ないため、練馬区の社会福祉協議会に相談して会議の運営などを協力してもらっている。
今年(2025年)の7月からは正式に運営委員会という組織をつくり、代表には地元で子ども食堂を主催してきた人にお願いした。副代表には地元の高校生と地元で子育てサロンを長く運営してきた人になっていただき、多様性に溢れる構成メンバーとなっている。
空き家を居場所として開放するにあたり、当初はなるべく無機質な「物件」として提供し、運営する人たちのカラーに染めてもらおうと思っていた。しかし、途中から徐々に心変わりするようになり、現在は建物の歴史を存分に活かした居場所づくりへと方針が転換した。そうした転換は段階的に起こってきた。
最初の転換点は、居場所の名称を決定する時だった。私の両親は長年呉服屋を営んでいて、そのお店の名前が「御きもの処たきち」というものだった。「たきち」というのは私の祖父の名前に由来しており、個人史がかなり詰まっているため、地域に広く開放される居場所のネーミングには合っていないように感じていた。しかし、空き家活用の準備と並行して家の片付けを進めるうちに、家を片付けることも、空き家として実家を開放することも、両親への弔いとしての意味があることを自覚するようになった。それが主目的ではないが、空き家には歴史があり、それを次世代に受け継ぐという点では、歴史を無視することはできないと感じるようになった。会議の事務局を務める社協の提案もあり、居場所の名称は「みんなの家たきち」になった。
次の転換点は、3月にプレ・オープンした際に、ご近所さんに挨拶回りをした時である。見知らぬ人たちが出入りする居場所が近所にできることを快く思わない人もいるかもしれないと危惧したが、亡くなった両親のことや、地域に愛されていた呉服店のことを伝え、居場所を支えていただくようにお願いした。
そうした歴史が資源となることを確信したのは、オープンに向けて6月にワークショップをした時である。活動についてアイデアを出す中で、参加者からたきちの歴史を意識した発言が多く出た。中には、「最近はご近所付き合いもなく、人が集まる理由がなくなってきているけど、たきちがあることで、人が集まる理由ができる」という発言もあった。この時に、地域の居場所づくりにおいてその建物や地域が歩んできた物語が大きな資源になるということが確信に変わった。
最後に、宣伝になりますが、現在たきちではオープンに向けて、その歴史と物語を活かしたクラウドファンディングを実施しているので、ぜひホームページをご覧ください。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。