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先日,初めて,生活保護の申請に大阪府A市の福祉総務課窓口へ行った。社会貢献事業の仕事を始めてから,こうしたケースワーク的な内容の仕事が多くて,大変勉強になる。ケースワークを通して,より具体的なニーズアセスメントが可能になると思う。ただ、その具体的な部分にばっかり注目していると、視野に全体性がなくなってしまうから難しいものだ。
さて,生活保護の話に戻るけど,検索エンジンで「生活保護」と検索して,上位に引っかかるホームページの中に立命館大学立岩真也先生のページがある。このページでは日本の生活保護受給率の低さを指摘し,生活保護受給の必要がある(特に障害を抱えている)若者に対し,生活保護申請を勧める内容の文章がある。それは,生活保護制度は日本国家が憲法第25条が規定する理念に基づいて,国民の最低限度の生活を保障するという考えからくる。
世界的な傾向としては,福祉国家が機能しなくなりつつあり,新自由主義的な経済成長を基盤とした脱福祉国家化が進んでいて,アメリカでは,1996年のSocial Welfare Reform以降WorkfareやWelfare to Workと言った,就労を通して公的扶助からの脱却を助長するような政策が取られてきている。こうしたなか,日本でも三位一体の改革を通して,地方分権化が進んでいるが,この改革の焦点は財政再編であり,つまり社会保障費の削減と言うことになる。細かい政策情勢なんかは,ここで書くつもりは無いけれども,何よりも一番大きい編成は生活保護という,国家が憲法によって保障してきた国民の最低限度の生活を,地方公共団体が代わりに責任を持って保障する(させられる?)に至ったことにある。立命館大学の山本隆先生の言葉を借りれば,ナショナルミニマムがリジョナルミニマム,またはローカルミニマムになったと言うこと。つまり,地域間格差を認めると言うことだね。これは前回も話していた,格差社会の構造を一層強めるように働くでしょう。
さて,ちょっと政策の話をしてしまいましたが,今回僕が触れたいことは,生活保護申請における水際作戦の話。行政の業務では法や制度で決められた事業をマニュアルどおりに遂行することを求められるわけで,つまりは,融通が利かないことを前提とした仕組みになっている。もし,行政の業務に融通を利かせる必要があるなら,融通の利いた法が必要になる。法とは基本的に,社会の仕組み,人間の生活・利害関係に関連した内容となっているんだけど(どの法律も,桜の咲く季節や,水の沸点を決めるようなものでは無い),社会や人間って物は多様であり,またコンスタントに変化するものであるため,そもそも規範を作ること事態が困難なわけだ。とは言っても,そこには,ある程度の秩序が必要なわけで,夜警国家に始まり,社会の秩序調整のために国家,つまりは法の役割が強化されて,近代国家が発展してきた経緯がある。
そのような国家が,国民とのコンタクトを行ううえで,水際作戦が必要となる。水際作戦とは行政の職員が,行政窓口で法の融通をコントロールする仕組みである。それが,生活保護の申請,つまり,「国民の最低限度の生活の保障」となると,これは,相当融通の利いた判断を必要とされる。いや,本来は融通の利いた判断をしてはいけないものだけれど,あまりにも明確な判断基準を設けることで,生活保護制度が,生活困窮や何かしらの事情で生活保護を必要としたものへのセーフティネットよりも,フリーライダーを後押しするための選択肢としての要素が強まってしまう。つまり,生活保護制度は,水際作戦によって申請者にフィルターをかけ,インフォーマルな調整を行うことで,セーフティネットとして成り立つと考えられる。もっと福祉っぽく言ってしまえば,means-testを用いた選別を「最低限度の生活」と言うあいまいな概念の下行う必要がある。
で,具体的に何が水際作戦かと言うと,申請者や受給資格者に対して,申請をより困難にするべく数々の質問を行い,あらさがし(と言うよりも,この場合,いいとこ探し)をするわけである。結果的に,何度も窓口に行って,追い返されて,申請をあきらめると言うパターンに追い込むわけである。予断だけれど,最近僕が発見した水際作戦の中でも,極悪だと感じたものは,パソコンのアンチウィルスソフトのカスタマーサービスである。日本のパソコンユーザーがウィルスソフト業界のいい顧客であることは消費者教育のレベルの低さを露呈している格好だが,それをいいことに,何もわからずに,とりあえずアンチウィルスソフトをオンラインで購入してしまうユーザーが多いと思う。そして,何か問題が生じても,カスタマーサービスに問い合わせるには,有料の電話サービスか,ネット上のUnaccountableなフォームメールのみという始末。あれは,ひどい水際作戦だった。
こうした,水際作戦のinjusticeに対して,立岩先生は,どんどん生活保護申請をしなさいとおっしゃってるわけだ。まぁ,ここでは,生活保護制度自体の話や,利用の肯定・否定といった話はしません。ただ,コミュニティ・オーガナイザーの視点で一言書かせてもらえるなら,水際作戦に対して乱暴に法の定義を持ち出したり,役場の職員に対して暴力的な態度を取ることはお勧めできません。なぜなら,上でも述べたとおり,日本では生活保護制度を機能させるためには水際作戦がどうしても必要で,その制度に対しての不満を,末端の職員にぶつけても焼け石に水だからですね。そんでもって,もし,政府が水際作戦をやめたら,国の予算における社会保障費が激増し,瞬く間に世界でもトップレベルの「不健康な国家」となる。かといって,国家のために生活保護申請を自粛するべきとは思わない。大切なことは,窓口の職員と申請者とのコミュニケーションを円滑にして,Accountableな関係を築くことである。生活保護申請窓口の職員は,相手の目を見て話す事をしない。「Yes」とも「No」とも言わず,申請者が諦めるように話を進める。一方で,申請者は水際作戦に必死に抵抗するために「権利」という盾を武器に,横柄で傲慢な態度を取りがちである。つまり,双方が,信頼関係を築くと言う立場に立たずに,コミュニケーションを始めてしまっているところに問題の所在があると思う。申請者は,職員を信じ,職員がどんなに面倒な条件を付けてきても,可能な限り対応して,保護申請の正当性を証明して欲しいと思う。申請を却下されることを恐れずに,「却下」と言う市の判断を尊重し,同時に「却下」と判断されても生活が成り立たないのであれば,その旨を伝えるために,何度でも窓口に行く,そして,にっちもさっちも行かない状況を理解してもらう。「保護を受けて当たり前」「だから、何とかして拒む」という不健全な会話をdialogueに切り替える。そのファシリテーションを行うことも,オーガナイザーの重要な役割であろう。
国家が税制を用いて,国民の生活保障を行うという枠組みは,2006年の現在もとりあえずは機能している。この仕組みが,長く続くとは思えないが,社会制度の円滑化を進め,市民社会の発展を促し,政府と市民がAccountableなガバナンスを確立するためにも,生活保護制度を,市民が責任を持って使いこなすことは,重要なプロセスであると思う。生活保護を自分たちの制度と考え,自分たちでmanageすることが,今日の壊滅状態である生活保護制度を再び機能させる第一歩なのではないだろうか。

CO道

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