掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第240号,2018年10月.
「実践の糧」vol. 43
室田信一(むろた しんいち)
前回は、住民活動をコーディネートする人を地域の中で雇用するための財源について書いた。1つの事例では、自治会加入率100%の大型団地で、1世帯あたり会費を毎月500円集めてコーディネーターを雇用していた。別の事例では、ある区画の高層マンションのすべての世帯から月額300円の会費を集めて、その地域の住民活動をコーディネートするNPOの職員を雇用していた。どちらの事例も、その地域に居住する住民は、半強制的に会費を徴収される仕組みになっている。
今回は、その半強制という考え方について考えを巡らせてみたい。皆さんの周りにはどのような半強制の仕組みがあるだろうか。半強制の定義は難しいが、ここでは生活する上でその仕組みを利用する、ないしは受け入れなければならないものとしよう。おそらく最も身近でわかりやすい例はNHKの受信料ではないだろうか。テレビを所有するすべての世帯はNHKの受信料を支払う必要がある。NHKを視聴してもしなくても、半強制的に一律に受信料を徴収される。これに対して異議を唱える人はいるが、国民の圧倒的多数はこの仕組みを受け入れて、サービスを利用している。
半強制はサービスの利用に限らない。PTA活動は任意の取り組みと言われながら、児童を学校に通わせている保護者は半強制的に参加を強いられている。そのことに異を唱えて、任意団体としての性格を重視すべきだという指摘もある。そのような議論が生まれるのは、半強制の仕組みは規制と自由の間のグレーゾーンに位置づけられ、義務ではないものの、ほぼ全員が参加することにより、参加しないという選択肢が奪われているからである。
そのように書くと、半強制は悪いもののように聞こえてしまうかもしれないが、半強制の仕組みを維持するために、その仕組みを提供する側は様々な努力をしていることを忘れてはならない。NHKは受信料をとり、公共放送と位置付けることで、視聴者(≒国民)にとって満足のいくコンテンツを提供することを強く意識している。さらに、視聴者の満足度だけでなく、公共性を意識して公平性や教育的効果、文化継承、政治的参加も踏まえたコンテンツ制作をしている(少なくともその努力をする立場が求められている)。PTAに関しても、半強制的な仕組みになっているが故に、役員になった人たちはその仕組みを形骸化させないように工夫を凝らしている。ただし、そのことが過度な負担となり、不満の原因にもなっている。
前回紹介させていただいた高層マンションの住民全員が加入するNPOに関しては、近隣に新たに建設された高層マンションを会員に含めるべきか真剣に議論をしたという。結果的には、新たに建設されたマンションの立地が、現在会員に入っているマンションと電車の線路を挟んで分断されており、コミュニティとしての一体感を生み出すことが難しいという判断になり、拡大することをやめたという。この事例からも、半強制の仕組みによって作り出されるコミュニティとしての一体感を意識することの重要性がわかる。
私たちの暮らす社会は、規制(ルール)さえ守ればあとは個人の自由、と考えられがちだが、実は身の回りに半強制的な仕組みが溢れていることに気がつく。それは他者と共に社会を構成し、社会の中のサービス(諸活動)の利益を享受し、生活を共にする際に、必然性に基づいて作られた仕組みといえる。しかし、その仕組みがいつしか形骸化してしまうと、仕組みとしての求心力が失われてしまう。半強制という考え方に意識的になることで息を吹き返すコミュニティが出てくるかもしれない。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。