シリーズ『実践の糧』vol.74

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第273号,2024年4月.

実践の糧」vol. 74

室田信一(むろた しんいち) 

 今から10年〜20年後に日本の市民社会の変化を振り返るとき、2023年は象徴的な年として語られるかもしれない。この1年の間に、旧ジャニーズ事務所に所属していた元タレントによる性的虐待被害の告発があり、女性自衛官による自衛隊内における性被害に対する告発があった。前者は芸能界という閉ざされた世界に、後者は自衛隊という同じく外部の目が入りにくい世界に風穴を開けたという点で大きなインパクトを与えた。これらの告発は連日メディアで報じられ、世間の関心を集めた。

 以前は告発というと、攻撃的で怖いイメージや惨めで痛々しいイメージが伴う行為として認識されていたように思う。そのため、告発する人は世間からの注目に耐えることができる強い人間か負のイメージを背負って生き続けざるを得ないほど追い込まれた人間と見られる傾向があった。

 しかし、この1年でそうした負のイメージが変わったように思う。

 まず、告発した人を称える報道や世間の声が増えたように思う。上記であげた事例はどちらも性被害に関わる問題であり、加害者には弁明の余地がないという意見が大半であり、そのような報道を後押ししたのはSNSなどに集められた世間の声だったように思う。

 告発とは、大抵は権力に対してなされるものであり(なぜなら、当事者がその組織の中で変化を起こせる立場にあれば、告発という手段を取る必要がないため)、したがって主要なメディアは権力側の立場を守るようなスタンスを取ることがある。その結果、世間の見方も保守的なものになり、勇気ある告発者を惨めな立場に追い込んでしまうということがこれまでの告発事例から私が感じていた構図であった。しかし、上記の2事例を皮切りに、告発者が惨めな存在として語られることが減ったように思う。

 このことは、単に告発することのハードルが下がったということ以上に、権力に楯突くことや、権力に対して自分の不満を発言することが文化的に認められやすくなったという点で、日本の市民社会の潮目が変わったといえるのではないだろうか。

 今考えると、私の抵抗は、高校時代のバスケットボール部顧問だった暴力教師に対する発言から始まった。練習後のミーティングで「俺のやり方に反対する奴は手を挙げろ」と言われ、不満を抱えていたはずの仲間が誰1人手を挙げず、唯一手を挙げた私はその後、体育教官室に呼び出されて百発以上殴られたことがあった。私はその後ラグビー部に移るわけだが、その時手を挙げなかった仲間の多くはその後結局退部した。

 2023年を皮切りに、同じようなことが起こった時に勇気をもって声をあげる若者が増えるようになってほしい。自ら離脱するのではなく。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

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