掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第269号,2023年8月.
「実践の糧」vol. 71
室田信一(むろた しんいち)
私は、アメリカに住んでいたころ、友人に誘われてデモや集会に参加することがあった。数十人程度の小さな規模のものから数十万人規模のものまで大小様々なデモに参加した。時には企画する側に関わることもあり、数千人規模のデモをオーガナイズしたこともある。
大学院時代、自転車で学校に通っていた私は、同じく自転車で通学していたクラスメイトに誘われて、自転車ライダーの権利(公道における自転車レーンの設置促進など)を主張するためのデモに毎月参加していた。そのデモは、数百人から1000人を超える規模の自転車ライダーたちが、集団で道を占領して、信号を無視しながら自転車で移動するというものだった。端的にいうと暴走行為であるが、信号無視以外は交通ルールを守って安全に移動した。なお、信号無視に関しては、事故が起こらないように、先回りしたメンバーたちがライダーたちの進行を邪魔する交通を遮断するため、安全に信号無視ができた。デモに参加するにあたり、集合場所と時間だけは告知されるが、デモをオーガナイズしている中心メンバー以外はどのようなルートでどこに到着するか知らない。ただし、警察には事前にルートを伝えているようで、事故が起こらないように道を封鎖するなど、警察もライダーたちに協力的であった。普段、車に撥ねられないように気をつけながら肩身の狭い思いをして自転車に乗ることに比べて、広い公道を占拠して信号を気にせずに集団で自転車に乗る体験は爽快であった。
他にも、大学院時代にイラク戦争が始まり、大規模破壊兵器があるという不確かな情報に基づいてイラクを攻撃し始めたアメリカ政府の決断に対して、戦争反対のデモ行進が各地で開催された。私が住んでいたニューヨーク市でも数十万人規模の巨大なデモが企画された。たまたまコミュニティ・オーガナイジングの授業と同じ時間帯にデモが開催されたため、院生を組織して、全ての授業を休講にするように教員に交渉し、授業をボイコットしてデモに参加した。教員も協力的で、一緒にデモに参加した教員もいた。デモに対して通常警察は寛容な態度であるが、イラク戦争反対デモの時は緊張的な雰囲気があった。そのため、弁護士のクラスメイトから、警察に捕まった時の対応方法や連絡先などについて事前のレクチャーがあった。留学生だった私には、捕まると国外追放の可能性もあるので、そのリスクを承知で参加することが伝えられた。
そのようなリスクがあったとしても、自分たちの信条を訴えるために公共の場でメッセージを発信する行為はなんとも言えない充実感がある。世の中の間違いを飲み込まずに、間違いを堂々と指摘するために行動を起こすことは、心と体が一致して、さらに自分と周囲の身体も一体となり、対抗的な手段であるが、安全な気持ちになる。
しかし、どのようなデモに参加しても同じ感覚が得られるとは限らない。むしろ、デモの目的と自分の価値観が一致しないデモに参加すると、心身がかなり消耗してしまう。その嫌な感覚を知っているので、人を動員するようなデモに私は断固反対であるし、デモに限らず、公共的な取り組みに人を動員することに対して強い拒否反応がある。
そう考えると、人々がデモにもっと参加するようになると、逆説的に聞こえるかもしれないが、人を動員する慣習が減少するという効果が期待できるのかもしれない。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。