掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第283号,2025年12月.
「実践の糧」vol. 83
室田信一(むろた しんいち)
私は人生の中でコミュニティをオーガナイズすることを幾度となく繰り返してきた。人と人が出会い、新たな化学反応が生まれ、それまで存在しなかった活動や取り組みが生まれる。そのプロセスの中で人々がどんどん変容していく様子を垣間見ることはコミュニティ・オーガナイジングの醍醐味である。
私のオーガナイジングの経験は、大抵は自分が属する身近なコミュニティの中で積んできたものだ。記憶する限り最初の取り組みは小学4年生の時にクラスの中で草野球チームを作ったことだった。キャプテンは私の友人で、私は選手兼マネージャーのような存在だった。練習の日取りを調整し、親のワープロを借りてメンバー表やスコア表をつくり、チームの活動を支えていた。
留学先のアメリカの大学では、日本人会を立ち上げた。文化交流が目的だったので、学校から獲得した予算で寿司をオーダーし、録画した大相撲をみんなで鑑賞したりした。
そして、オーガナイジングに本格的に取り組んだのは、ニューヨーク市内で移民コミュニティによる手作りの映画祭をオーガナイズした時である。他にも、ソーシャルワーカーのネットワーク組織をオーガナイズしたり、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンというNPOを設立したこともある。
それらの経験では、私はコミュニティの一員でもあるが、同時にオーガナイザーとしての役割も果たしてきた。オーガナイザーとしての自分の行動原理は、自分がしたいことではなく、みんなが成就したいことを優先するというものである。
しかし、そうした経験の中には、育んできたオーガナイジングの芽を台無しにされたことが何度もある。たった一人の自己中心的な行動によって、オーガナイズされた集団が内部からあっという間に破壊されてしまった。それらの経験に共通することは、その破壊者には(おそらく)悪意がないということである。
コミュニティがオーガナイズされると、それまで個人では得られなかったパワーが集団の中に蓄積される。コミュニティのメンバーはそのパワーの恩恵を受けることができるため、ある種の高揚感を得られる。その結果、集団のパワーを自分のパワーと勘違いしてしまい、自分の意のままにそのパワーを行使するような振る舞いをする人が登場する。そうした振る舞いを嫌うメンバーは集団から離れていってしまう。
本来はオーガナイザーである私が、そのようなことが起こらないように未然に防ぐ必要があるのだが、私は集団による自発的で自律的な挙動を重視し、集団内の活動を極力管理しないように関わるため、結果として集団が破壊されてしまうことを何度も経験してきた。私のようなオーガナイジングの進め方は、そのように集団が内部から破壊されてしまうリスクを伴うが、そうした破壊者が登場しない限りは、人の自由な活動意欲が解放され、とてつもないパワーを生み出すことがある。
つまり、ある程度のリスクは織り込み済みということだ。このリスクを取らない限り、しびれるようなオーガナイジングの実践はできないのではないかと思うが、自分の中に葛藤があることもまた事実である。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。
