シリーズ『実践の糧』vol. 8

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第205号,2012年12月.

実践の糧」vol. 8

室田信一(むろた しんいち)


 あくまでも個人的な見解だが、地域福祉の実践と料理は似ていると思う。頭の使い方と心のもち方の話である。

 料理を作るためには、どのような材料が手元にあり、どのような調理器具がそろっているかを知る必要がある。地域福祉実践でいうところの地域力分析といったところだろうか。季節のおいしい食材を知り、その食材にとって最適な調理方法を考えることと、地域活動に参加する多様な人材の活躍の場を考えることは似ていると思う。たとえば、かぶがおいしい季節には、かぶのうまみを引き出す調理方法を考え、かぶにあう食材の組み合わせを考える。そのためには、一つ一つの食材をよく知ることが基本である。

 また、料理には下ごしらえが必要であるし、料理をいいタイミングで食卓に並べるためには時間を管理する能力も求められる。地域住民に集まってもらう会議やイベントを開催するときに、催しが滞りなく進行するように、そして参加者が気持ちよく帰路につけるようにイベント全体の流れをあらかじめ想定して、準備をする。必要な調味料や盛り皿がそろっていないと、せっかくの料理が台無しになってしまうのと同じように、会場設営から広報まで細心の準備が求められる。

 料理人にとっては、食べる人の気持ちを考えることが大切であるし、同時に健康にいい食事を提供することが大切である。食べる人の嗜好を考慮して献立を考えるように、地域にとってどんな活動が求められているかをアセスメントしたうえで、その活動が本当に地域にとっていいことなのかを判断することも実践家に求められる。栄養のバランスを考えるように、地域全体の調和を考え、老若男女みんなにとって住みやすく、かつ特定の人を排除しないような地域を目指して活動を展開するということである。

 ホームパーティーに呼ばれて、そこで手際よく手料理を振る舞う主催者の姿を見ると、きっといい実践家に違いないと思うことがある。戦後の日本の市民活動を担ってきたのがいわゆる「主婦層」であることは疑いようのないことであるが、そのことを鑑みても料理と地域福祉実践との関係は案外暴論ではないかもしれない。

 料理研究家の北大路魯山人は著書『料理王国』の中で、口先だけで「うまいもの」を語り、自分でそれをつくることをしない亭主を皮肉るストーリーを書いている。私には、理想ばかり掲げ、結局その理想を実現するための行動をとることをしない実践家を皮肉っているように読めてしまう。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 7

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第204号,2012年10月.

実践の糧」vol. 7

室田信一(むろた しんいち)


「プロセス(過程)とプロダクト(成果)の両方を得るためには、あらかじめ計画を立てる必要がある。」これは私がアメリカに留学していた頃の恩師であり、元・全米ソーシャルワーカー協会会長でもあったテリー・ミズラヒ先生が示されたコミュニティ・オーガナイジングのための原則の一つである。原則とは、いたって当然のことが書かれているものである。そのため、それを目にしてもあまり心に響くことはない。しかし、実践を積み重ねる中で、その原則がいかに重要であるか、またその原則を守ることがいかに困難であるかを痛感することがある。そのとき、原則の重要性が再認識される。

過程と成果はどちらも重要であるが、実践の場においてはどちらか一方を優先することが少なくないだろう。通常、過程とは主観的に評価され、成果とは客観的に評価される。過程を重んじるとき、参加者が満足しているかということを意識し、成果を重んじるとき、その活動が社会的にインパクトを与えるものかということを意識する。参加者全員が満足いくまで丁寧に議論を積み重ねることは多くの時間を要する。その一方で、社会的な評価は一定の時間的制約の中でくだされる。過程を重視しすぎることで、成果が伴わなくなり、結果として参加者の満足度が低くなることもあれば、成果を重視するあまり、参加者の満足度が低くなることもある。重要なことは、両者のバランスをいかに構築するかということである。

ミズラヒ先生はそのためには計画を立てることが重要だという。それも単に「計画を立てる」ということではなく、そのなかで1)現実に即した詳細な計画を立てること、2)初期に掲げた期待値を修正すること、3)計画にかかわる関係者と共に優先順位を定めること、4)誰がその計画を支持しているのかを明らかにすること、の4つの方法を提示している。

これもまた、当然のことのように聞こえるかもしれない。しかし、この当然のことがなかなかできない。できない理由をあげることは難しいことではないだろう。政府による政策の方向性が定まっていないからとか、人材が足りないから、地域特有のこじれた人間関係があるから、場合によっては、一度定めた目標を修正することはできないから、というがんこさが理由かもしれない。

そんな状態に陥り、方向性が見えなくなったときこそ原則が役に立つだろう。原則の中に、現状を打開するヒントが隠されているかもしれないし、自分たちの取り組みを再評価するための材料が埋まっているかもしれない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 6

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第203号,2012年8月.

実践の糧」vol. 6

室田信一(むろた しんいち)


 今回はアメリカの「アドボカシーの日」について書きたい。

「アドボカシーの日」とは、社会サービスの受益者が中心となり議会を訪問する日のことである。私はニューヨーク市内のある地域において移民を対象に権利教育やコミュニティの組織化を推進するプロジェクトにかかわっていた。そのため、年に数回はバスをチャーターし、コミュニティの代表者数十名と共に州議会や連邦議会を訪問した。ニューヨーク市内には移民を対象に活動するNPOが多数存在し、同時にそれらのNPOを支援する中間支援組織がいくつか存在する。その中間支援組織が「アドボカシーの日」をコーディネートするのである。私は移民グループの「アドボカシーの日」にしか参加したことはないが、「高齢」や「若者」などの分野ごとに同様の活動が存在する。

 「アドボカシーの日」では何をするかというと、たとえばニューヨーク州では州議会があるAlbanyという州都を数百名におよぶ当事者が訪問し、州議会議員を表敬訪問する。訪問先の議員は通常移民コミュニティの支援に積極的な議員達で、グループによる訪問を歓迎してくれる。20人ほどのグループに分かれて議員の部屋に押しかけ、当事者を代表して、日頃の社会サービスによってどれだけ多くの移民の生活が支えられているか、感謝の意を伝える。さらに、中間支援組織が用意した政策案を提示し、それらの案に対する支持を求めるのである。政策案とは、たとえば現行のサービスを手厚くするための予算案や、移民の権利に関する法案等である。あたかもロビー活動のように聞こえるかもしれないが、アメリカではこうした当事者による訪問をロビー活動とは異なるものと定めている(ただし、同様の効果が期待される)。

 参加者の一日はめまぐるしく過ぎていく。朝5時にニューヨーク市を出発するバスに乗り、到着後に全体集会、その後30分刻みで次々に議員を訪問し、最後にメディアを集めて庁舎前で集会をおこなう。帰宅は夜中である。

 そのような「アドボカシーの日」を開催することで、議会の中に移民重視の政策を推進する気風がつくり出される。また、既存のサービスや制度を削減させないような抑止的効果も発揮される。

 一方で参加者は、自分たちが普段恩恵を受けている社会サービスがどのような政治的プロセスを経て提供されているのかを、身近なこととして理解することができる。

 このようにして、間接民主主義の仕組みを市民にとってより身近な仕組みになるよう生まれ変わらせることもソーシャルワーカーの大事な使命である。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 5

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第202号,2012年6月.

実践の糧」vol. 5

室田信一(むろた しんいち)


 今回は「動員」について考えてみたい。動員とはある目的のために人を集めることである。なぜ急にそのようなテーマを設定するかというと、最近『動員の革命』(津田大介)なる本が世間(特に若者の間)で注目されているからである。この本は、「アラブの春」や「ウォール街を占拠せよ」、また国内でいえば反・脱原発運動などの事例を挙げ、ソーシャルメディア(TwitterやFacebookなど)によって多くの人が動員され、大衆運動が世界各地で政治的インパクトを生み出している実態を描き出している。一昔前の動員のあり方は、組織の政治的影響力を維持するために集会などにメンバーを動員するものだが、そのように形骸化された動員に対して、ソーシャルメディアを使った動員は、メッセージに共感した個人が能動的に集会に参加する。それはあたかもお祭り騒ぎのようなにぎわいだという。

 私がアメリカのニューヨーク市でコミュニティ・オーガナイザーという仕事に就いていたことは連載の最初に述べたと思う。当時、別のNPOでコミュニティ・オーガナイザーとして勤務していた私の知人が、先の「ウォール街を占拠せよ」におけるスポークス・パーソンとして頻繁にメディアに登場し、運動の経緯やメッセージを発信していた。彼に限らず、実は多くのコミュニティ・オーガナイザー達が「ウォール街を占拠せよ」の活動に関与していた。彼(女)らは動員のプロであり、運動のプロデューサーである。

 私もかつては月に一度のペースでコミュニティのメンバー数十名を集会などに動員していた。その動員方法は意外と奥が深い。組合活動や地縁活動の動員にみられる、「各支部が必ず1名を動員すること」といった動員ではなく、あくまでも合意に基づく「参加」である。では、どのように参加を募るのか。それは対話であり、学び合いであり、リーダーシップの養成である。自分一人ではどうすることもできない社会の問題についてメンバー同士で意識を共有する機会を設け、意見を出し合う。集会に参加するという行為が、自分が目指す社会の形成に結びつくということを確認してはじめて、その人は動員されるのである。

 ソーシャルメディアを介して多くの人が動員されることで、社会的なインパクトが生み出されていることは、近年の運動の特徴かもしれない。しかし、その裏ではコミュニティ・オーガナイザーが綿密な計画を立て、対話によって紡ぎだされたネットワークを介して、運動の卵を育てている。

 クリックの蓄積だけでは社会は変わらないし、そのような「革命」は結局良い結果を生み出さないだろう。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 4

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第201号,2012年4月.

実践の糧」vol. 4

室田信一(むろた しんいち)

 


今号では私がニューヨークで最初に出会ったコミュニティ・オーガナイザーとのエピソードを紹介したい。199号でも書いたように、彼は私の留学先のニューヨーク市内で活動するNPOでソーシャルワーカーとして勤務しながら地域で別のボランティア活動をおこなっていた。私はそのボランティア活動に参加したことがきっかけで地域活動に関心をもつようになり、彼が修了した大学院へ進み、最終的には彼と同じ職場に就職して同僚となった。彼と出会わなければこんにちの私はないだろう。

ボランティア活動では主に多文化共生社会の実現を目的に、交流イベントの開催や新聞の発行、ワークショップの開催などをおこなっていた。そもそも私がこのボランティア団体を知ったのは、地元のレストランで突然コロンビア人2人に新聞記事のためのインタビューをされたことだった。たしか、「外国人のあなたが地域の公園の改修計画に意見することができると思いますか?」という内容だったと思う。その場で私は「留学生の自分が意見することはできないと思う」と答えたが、その質問が一晩中頭の中をめぐっていたことを覚えている。

数ヶ月後にはその新聞の編集に携わるようになり、できた新聞を路上で配布したり、ポスティングしたりしていた。新聞の編集を含め、そのボランティア活動で中心的な役割を担っていたのが私の師ともいうべきコミュニティ・オーガナイザーであった。

ある日、その彼(ここではマイクとしよう)とメキシコ人の別のボランティア(同様にホゼとする)と3人で新聞配布をしたあと近くの喫茶店でお茶をしていた。話題がホゼの仕事のことになり、お金をしっかり稼がないと自分も家族も幸せになれないと主張するホゼの話を私とマイクは共感しながら聞いていた。しかしマイクはホゼに対して「君のいっていることはよくわかる。ただ、僕は賛同しない」と切り返した。別に議論したいわけではなく、自分の立場を明確にしただけのことであるが、私にはそのマイクの態度が新鮮であった。喫茶店での会話であれば、にこやかにうなずいて聞き流せばいいのに、あえて自分の意見を主張した。さらに驚いたことは、マイクの話を聞いたホゼが、最終的にはマイクに同意していたことだ。

日々交わす何でもない会話が実は大切な価値観の擦り合わせの機会なのだと知ったと同時に、意見の相違を恐れず自分の立場を明確にすることが信頼できる人間関係の礎となるのだと学んだ。 

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 3

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第200号,2012年2月.

実践の糧」vol. 3

室田信一(むろた しんいち)


最近メディアなどで頻繁に取り上げられている気鋭の社会学者、古市憲寿氏の『希望難民ご一行様—ピースボートと「承認の共同体」幻想』を読んだ。読みやすい文体で現代の若者が抱いている世界観を若者当事者の視点から描き出している。失われた10年最後の年に、学卒後も生活基盤を親に依存する「パラサイト・シングル」という言葉が注目されるようになり、日本における若者研究が盛り上がりをみせた。日本経済の停滞、派遣労働など不安定雇用の増加、セーフティネットの機能不全といった日本の社会問題と同調するかたちで、近年の若者研究者は若者が直面している「不幸な」状況を描き出すことを試みてきた。それに対して古市氏は異なる視点を提示している。古市氏によると現代の若者は、先進国日本が築いてきた遺産を享受し、そこそこ幸せな生活を送ることができている。しかし大人からは、志を高くもち日本社会を良くしていくことを求められている。現代の若者は、そうした「解決策のない難問」を突きつけられながら希望をあきらめる機会を逸してしまっているという。つまり、社会を変えるなどという大志さえ抱かなければ、日本社会は若者にとってさほど悪い社会ではないというのが氏の主張である。

なかなか斬新だ。古市氏のこの主張に共感する人はどれほどいるのだろうか。むしろ、共感する・しないが若者と大人の境界線なのかもしれない。筆者はどうかというと、以前は共感していたかもしれない。日本のような希望のない国でつぶされるのはごめんだと思っていた。誰の目から見ても社会の歯車がずれているにもかかわらず、誰もそれを正そうとしていない。高校生の私の目に日本社会はそう映り、アメリカ留学を決心した。古市氏が著書の中で取り上げているピースボートに乗船する若者と動機は変わらなかったように思う。

しかし、私が乗り込んだ「ボート」は世界周遊で終るものではなかった。そこには本気で社会を変えようと、草の根の活動を繰り広げているニューヨーカーたちがいた。ニューヨークという資本主義の象徴のような街で、人間味あふれる地域の実践によって現実社会を少しずつ変えている老若男女がいた。私が思うに、希望とはそういうものだと思う。社会は簡単には変わらない。そんなことはみんな分かっている。それを分かったうえで、今自分にできることに取り組み、同じ志をもつ人間とビジョンを共有する。そこにあるのは「あきらめ」ではなく、まぎれもなく「変革の一歩」である。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 2

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第199号,2011年12月.

実践の糧」vol. 2

室田信一(むろた しんいち)


 皆さんは夜中に暴走族の騒音で目が覚めたらどう思うだろうか。その反社会的な行為に腹を立てるだろうか。私の場合「お、やってるな」と微笑ましく思う。なぜなら彼らが奏でる騒音はこの生きにくい社会に対する彼らなりの痛烈な批判であり、メッセージであるからだ。世の中に不満を抱えていても、それを堂々と表現することは容易ではない。つい愚痴っぽくなったり、発散する機会がなく鬱屈したり、殻に閉じこもったりしがちだ。こんにちの日本社会で不満を堂々と表現することは珍しいことであり、それを組織的かつ継続的に実践する彼らを頼もしくも感じる。しかし、彼らの手法は俗にいう「反社会的」なものであり、ときに法に反するものであるため、政府の取り締まりにより中断されることがしばしばである。もし彼らが本気で社会を変えたいと思うのであれば、彼らが選んでいる戦略は必ずしも効果的なものとはいえない。

 私が留学先のニューヨークで初めて出会ったコミュニティ・オーガナイザーは本気で社会を変革しようとしていた(そして今もしている)。彼は日本の暴走族同様、彼を含む多くの人にとって生きにくい今の社会に憤慨しているが、彼がとる戦略は暴走族のそれよりもずっとずる賢いものだ。第一に彼は法を犯すことで自分を不利な立場に追い込むことはしない。むしろ、これまでに人間がつくってきた社会のルールにのっとり、そのルールを最大限に活用する。さらには、そうしたルールを決定する人間をも仲間として引き込む。完全な仲間になれないのであれば、合意を形成し、期間限定の協力関係を構築する。

 彼は自分の行為や言動に対して真摯で、新たな知識を得ることにどん欲で、そして人の可能性に対して前向きである。多くの人に愛され、信頼し合える仲間に囲まれている。彼が望みさえすれば社会的な地位や名声を得ることは難しくないと誰もが思う、そのような人物だ。しかし、彼は地位や名声に微塵の興味も示さない。

 彼は知り合った当時から今に至るまでニューヨーク市内の福祉系NPO(セツルメント)で勤務している。その彼がNPOの仕事以上に熱心に取り組んでいることは地域でのボランティア活動だ。彼はそのボランティア活動をとおして社会を変えようと試みている。彼は社会とは変えられるものだと信じ、そのための確実で具体的な方法を探りながら生きている。もちろん非暴力的な方法だ。次回はそんな彼とのエピソードをもう少し書きたいと思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 1

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第198号,2011年10月.

実践の糧」vol. 1

室田信一(むろた しんいち)


今号から「つなぐ」の紙面に私の文章を掲載していただくことになった。
読者が寝屋川市民たすけあいの会会員の皆さまということで、いささか緊張するが、同時に大変光栄なことであり、楽しみでもある。今のところ、連載期間が提示されているわけではないので、私の気力と体力が続く限り務めさせていただきたいと思っている。

さて、連載を担当するにあたり、コーナーのタイトルを「実践の糧」と銘打たせていただいた。私の人物像や略歴に関しては、連載を通して追々お伝えしていこうと思っているが、この連載では、私がアメリカと日本で経験してきた社会福祉(とりわけ地域福祉)の実践について、私なりの考えを書かせていただこうと思っている。願いとしては、この連載が、社会福祉の実践に携わっている人や地域で様々な活動に関わられている人にとって、励ましや刺激となり、また気づきや学びを得る機会となることである。当然、皆さまからフィードバックをいただくことで、私にとっても同様の機会となることを期待しているし、実践者の養成教育や福祉の研究に携わる立場としては、そのような学び合いが、日本の社会福祉の底上げになるものと信じ、筆をとっていく所存である。

つまり、「実践の糧」というタイトルには、この連載が実践に携わるものにとっての「栄養」になればという私の思いが込められている。ちなみに、インターネットで検索すると、同様の表現を用いている文章がいくつか散見されるものの、慣用句として使われている形跡はない。「思考の糧」という言葉はよく使われるが、「実践の糧」というコンセプトはこのコーナーを通してこれから売り出していきたいと思っている。

前置きが長くなってしまい、本題に触れるには紙幅が限られてきてしまったので、今回は残りのスペースを利用して次回以降で執筆する企画について若干触れさせていただくことにする。

まず次回は、私が福祉の道にどっぷり浸かるきっかけとなったある人物の紹介から始めさせていただく。既述のように、私はアメリカと日本でソーシャルワーカーとして仕事をしてきた経験がある。アメリカのニューヨーク市でコミュニティ・オーガナイザーという仕事に携わり、日本では大阪のコミュニティソーシャルワーク事業にかかわってきた。それらの仕事を通して、現場で活躍する魅力的なワーカーたちに出会ってきた。この連載では、そうしたワーカーたちの紹介も企画している。

現在、日本では、税と社会保障の一体改革が進められている。超高齢化社会に突入するという背景もあり、日本の社会保障費は増加傾向にあるが、実態をみれば、日本の福祉は限られた財源で推進されている。そうした厳しい状況を支えているのは現場のワーカーたちである。そうしたワーカーたちへのエールとなるような連載にしていきたいと考える。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。