シリーズ『実践の糧』vol. 4

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第201号,2012年4月.

実践の糧」vol. 4

室田信一(むろた しんいち)

 


今号では私がニューヨークで最初に出会ったコミュニティ・オーガナイザーとのエピソードを紹介したい。199号でも書いたように、彼は私の留学先のニューヨーク市内で活動するNPOでソーシャルワーカーとして勤務しながら地域で別のボランティア活動をおこなっていた。私はそのボランティア活動に参加したことがきっかけで地域活動に関心をもつようになり、彼が修了した大学院へ進み、最終的には彼と同じ職場に就職して同僚となった。彼と出会わなければこんにちの私はないだろう。

ボランティア活動では主に多文化共生社会の実現を目的に、交流イベントの開催や新聞の発行、ワークショップの開催などをおこなっていた。そもそも私がこのボランティア団体を知ったのは、地元のレストランで突然コロンビア人2人に新聞記事のためのインタビューをされたことだった。たしか、「外国人のあなたが地域の公園の改修計画に意見することができると思いますか?」という内容だったと思う。その場で私は「留学生の自分が意見することはできないと思う」と答えたが、その質問が一晩中頭の中をめぐっていたことを覚えている。

数ヶ月後にはその新聞の編集に携わるようになり、できた新聞を路上で配布したり、ポスティングしたりしていた。新聞の編集を含め、そのボランティア活動で中心的な役割を担っていたのが私の師ともいうべきコミュニティ・オーガナイザーであった。

ある日、その彼(ここではマイクとしよう)とメキシコ人の別のボランティア(同様にホゼとする)と3人で新聞配布をしたあと近くの喫茶店でお茶をしていた。話題がホゼの仕事のことになり、お金をしっかり稼がないと自分も家族も幸せになれないと主張するホゼの話を私とマイクは共感しながら聞いていた。しかしマイクはホゼに対して「君のいっていることはよくわかる。ただ、僕は賛同しない」と切り返した。別に議論したいわけではなく、自分の立場を明確にしただけのことであるが、私にはそのマイクの態度が新鮮であった。喫茶店での会話であれば、にこやかにうなずいて聞き流せばいいのに、あえて自分の意見を主張した。さらに驚いたことは、マイクの話を聞いたホゼが、最終的にはマイクに同意していたことだ。

日々交わす何でもない会話が実は大切な価値観の擦り合わせの機会なのだと知ったと同時に、意見の相違を恐れず自分の立場を明確にすることが信頼できる人間関係の礎となるのだと学んだ。 

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 3

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第200号,2012年2月.

実践の糧」vol. 3

室田信一(むろた しんいち)


最近メディアなどで頻繁に取り上げられている気鋭の社会学者、古市憲寿氏の『希望難民ご一行様—ピースボートと「承認の共同体」幻想』を読んだ。読みやすい文体で現代の若者が抱いている世界観を若者当事者の視点から描き出している。失われた10年最後の年に、学卒後も生活基盤を親に依存する「パラサイト・シングル」という言葉が注目されるようになり、日本における若者研究が盛り上がりをみせた。日本経済の停滞、派遣労働など不安定雇用の増加、セーフティネットの機能不全といった日本の社会問題と同調するかたちで、近年の若者研究者は若者が直面している「不幸な」状況を描き出すことを試みてきた。それに対して古市氏は異なる視点を提示している。古市氏によると現代の若者は、先進国日本が築いてきた遺産を享受し、そこそこ幸せな生活を送ることができている。しかし大人からは、志を高くもち日本社会を良くしていくことを求められている。現代の若者は、そうした「解決策のない難問」を突きつけられながら希望をあきらめる機会を逸してしまっているという。つまり、社会を変えるなどという大志さえ抱かなければ、日本社会は若者にとってさほど悪い社会ではないというのが氏の主張である。

なかなか斬新だ。古市氏のこの主張に共感する人はどれほどいるのだろうか。むしろ、共感する・しないが若者と大人の境界線なのかもしれない。筆者はどうかというと、以前は共感していたかもしれない。日本のような希望のない国でつぶされるのはごめんだと思っていた。誰の目から見ても社会の歯車がずれているにもかかわらず、誰もそれを正そうとしていない。高校生の私の目に日本社会はそう映り、アメリカ留学を決心した。古市氏が著書の中で取り上げているピースボートに乗船する若者と動機は変わらなかったように思う。

しかし、私が乗り込んだ「ボート」は世界周遊で終るものではなかった。そこには本気で社会を変えようと、草の根の活動を繰り広げているニューヨーカーたちがいた。ニューヨークという資本主義の象徴のような街で、人間味あふれる地域の実践によって現実社会を少しずつ変えている老若男女がいた。私が思うに、希望とはそういうものだと思う。社会は簡単には変わらない。そんなことはみんな分かっている。それを分かったうえで、今自分にできることに取り組み、同じ志をもつ人間とビジョンを共有する。そこにあるのは「あきらめ」ではなく、まぎれもなく「変革の一歩」である。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 2

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第199号,2011年12月.

実践の糧」vol. 2

室田信一(むろた しんいち)


 皆さんは夜中に暴走族の騒音で目が覚めたらどう思うだろうか。その反社会的な行為に腹を立てるだろうか。私の場合「お、やってるな」と微笑ましく思う。なぜなら彼らが奏でる騒音はこの生きにくい社会に対する彼らなりの痛烈な批判であり、メッセージであるからだ。世の中に不満を抱えていても、それを堂々と表現することは容易ではない。つい愚痴っぽくなったり、発散する機会がなく鬱屈したり、殻に閉じこもったりしがちだ。こんにちの日本社会で不満を堂々と表現することは珍しいことであり、それを組織的かつ継続的に実践する彼らを頼もしくも感じる。しかし、彼らの手法は俗にいう「反社会的」なものであり、ときに法に反するものであるため、政府の取り締まりにより中断されることがしばしばである。もし彼らが本気で社会を変えたいと思うのであれば、彼らが選んでいる戦略は必ずしも効果的なものとはいえない。

 私が留学先のニューヨークで初めて出会ったコミュニティ・オーガナイザーは本気で社会を変革しようとしていた(そして今もしている)。彼は日本の暴走族同様、彼を含む多くの人にとって生きにくい今の社会に憤慨しているが、彼がとる戦略は暴走族のそれよりもずっとずる賢いものだ。第一に彼は法を犯すことで自分を不利な立場に追い込むことはしない。むしろ、これまでに人間がつくってきた社会のルールにのっとり、そのルールを最大限に活用する。さらには、そうしたルールを決定する人間をも仲間として引き込む。完全な仲間になれないのであれば、合意を形成し、期間限定の協力関係を構築する。

 彼は自分の行為や言動に対して真摯で、新たな知識を得ることにどん欲で、そして人の可能性に対して前向きである。多くの人に愛され、信頼し合える仲間に囲まれている。彼が望みさえすれば社会的な地位や名声を得ることは難しくないと誰もが思う、そのような人物だ。しかし、彼は地位や名声に微塵の興味も示さない。

 彼は知り合った当時から今に至るまでニューヨーク市内の福祉系NPO(セツルメント)で勤務している。その彼がNPOの仕事以上に熱心に取り組んでいることは地域でのボランティア活動だ。彼はそのボランティア活動をとおして社会を変えようと試みている。彼は社会とは変えられるものだと信じ、そのための確実で具体的な方法を探りながら生きている。もちろん非暴力的な方法だ。次回はそんな彼とのエピソードをもう少し書きたいと思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 1

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第198号,2011年10月.

実践の糧」vol. 1

室田信一(むろた しんいち)


今号から「つなぐ」の紙面に私の文章を掲載していただくことになった。
読者が寝屋川市民たすけあいの会会員の皆さまということで、いささか緊張するが、同時に大変光栄なことであり、楽しみでもある。今のところ、連載期間が提示されているわけではないので、私の気力と体力が続く限り務めさせていただきたいと思っている。

さて、連載を担当するにあたり、コーナーのタイトルを「実践の糧」と銘打たせていただいた。私の人物像や略歴に関しては、連載を通して追々お伝えしていこうと思っているが、この連載では、私がアメリカと日本で経験してきた社会福祉(とりわけ地域福祉)の実践について、私なりの考えを書かせていただこうと思っている。願いとしては、この連載が、社会福祉の実践に携わっている人や地域で様々な活動に関わられている人にとって、励ましや刺激となり、また気づきや学びを得る機会となることである。当然、皆さまからフィードバックをいただくことで、私にとっても同様の機会となることを期待しているし、実践者の養成教育や福祉の研究に携わる立場としては、そのような学び合いが、日本の社会福祉の底上げになるものと信じ、筆をとっていく所存である。

つまり、「実践の糧」というタイトルには、この連載が実践に携わるものにとっての「栄養」になればという私の思いが込められている。ちなみに、インターネットで検索すると、同様の表現を用いている文章がいくつか散見されるものの、慣用句として使われている形跡はない。「思考の糧」という言葉はよく使われるが、「実践の糧」というコンセプトはこのコーナーを通してこれから売り出していきたいと思っている。

前置きが長くなってしまい、本題に触れるには紙幅が限られてきてしまったので、今回は残りのスペースを利用して次回以降で執筆する企画について若干触れさせていただくことにする。

まず次回は、私が福祉の道にどっぷり浸かるきっかけとなったある人物の紹介から始めさせていただく。既述のように、私はアメリカと日本でソーシャルワーカーとして仕事をしてきた経験がある。アメリカのニューヨーク市でコミュニティ・オーガナイザーという仕事に携わり、日本では大阪のコミュニティソーシャルワーク事業にかかわってきた。それらの仕事を通して、現場で活躍する魅力的なワーカーたちに出会ってきた。この連載では、そうしたワーカーたちの紹介も企画している。

現在、日本では、税と社会保障の一体改革が進められている。超高齢化社会に突入するという背景もあり、日本の社会保障費は増加傾向にあるが、実態をみれば、日本の福祉は限られた財源で推進されている。そうした厳しい状況を支えているのは現場のワーカーたちである。そうしたワーカーたちへのエールとなるような連載にしていきたいと考える。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。