シリーズ『実践の糧』vol. 3

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第200号,2012年2月.

実践の糧」vol. 3

室田信一(むろた しんいち)


最近メディアなどで頻繁に取り上げられている気鋭の社会学者、古市憲寿氏の『希望難民ご一行様—ピースボートと「承認の共同体」幻想』を読んだ。読みやすい文体で現代の若者が抱いている世界観を若者当事者の視点から描き出している。失われた10年最後の年に、学卒後も生活基盤を親に依存する「パラサイト・シングル」という言葉が注目されるようになり、日本における若者研究が盛り上がりをみせた。日本経済の停滞、派遣労働など不安定雇用の増加、セーフティネットの機能不全といった日本の社会問題と同調するかたちで、近年の若者研究者は若者が直面している「不幸な」状況を描き出すことを試みてきた。それに対して古市氏は異なる視点を提示している。古市氏によると現代の若者は、先進国日本が築いてきた遺産を享受し、そこそこ幸せな生活を送ることができている。しかし大人からは、志を高くもち日本社会を良くしていくことを求められている。現代の若者は、そうした「解決策のない難問」を突きつけられながら希望をあきらめる機会を逸してしまっているという。つまり、社会を変えるなどという大志さえ抱かなければ、日本社会は若者にとってさほど悪い社会ではないというのが氏の主張である。

なかなか斬新だ。古市氏のこの主張に共感する人はどれほどいるのだろうか。むしろ、共感する・しないが若者と大人の境界線なのかもしれない。筆者はどうかというと、以前は共感していたかもしれない。日本のような希望のない国でつぶされるのはごめんだと思っていた。誰の目から見ても社会の歯車がずれているにもかかわらず、誰もそれを正そうとしていない。高校生の私の目に日本社会はそう映り、アメリカ留学を決心した。古市氏が著書の中で取り上げているピースボートに乗船する若者と動機は変わらなかったように思う。

しかし、私が乗り込んだ「ボート」は世界周遊で終るものではなかった。そこには本気で社会を変えようと、草の根の活動を繰り広げているニューヨーカーたちがいた。ニューヨークという資本主義の象徴のような街で、人間味あふれる地域の実践によって現実社会を少しずつ変えている老若男女がいた。私が思うに、希望とはそういうものだと思う。社会は簡単には変わらない。そんなことはみんな分かっている。それを分かったうえで、今自分にできることに取り組み、同じ志をもつ人間とビジョンを共有する。そこにあるのは「あきらめ」ではなく、まぎれもなく「変革の一歩」である。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

実践の糧

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