Community Building

今日は僕の働く団体のコミュニティ・ビルディングに関するミーティングに参加した。何でこうしたミーティングを行うことになったかと言うと、最近うちの団体が抱えている問題からきている。問題と言うと、語弊があるかもしれないが、セツルメント・ハウスとして30年以上地域の福祉問題に携わってきたFHCHはそのミッションにもあるとおり、地域の住民のつながりによる、お互いを助け合い、それぞれが成長できるような環境のコミュニティ作りを、一つの大きな価値観としてきた。つまりは、コミュニティ・ビルディングである。1990年代からコミュニティ・ビルディングという考えが、COの世界で、より注目されるようになった。これは、Robert Putnamの提案するソーシャル・キャピタルという概念が基本となって発展してきたものだけど、要は、コミュニティを基盤として活動するにも、そのコミュニティが崩壊していては何もできませんよってことで、まずは、その崩壊したコミュニティを作り直すような活動が必要なのではないかと言う考えなんだな。セツルメント・ハウスは、まさにコミュニティ・ビルディングを行って発展してきたわけだ。しかし、近年セツルメントを含めたソーシャル・サービスの供給体は事業を中心とした運営に変わってしまい、コミュニティ・ビルディング的な活動が欠けているという現状がある。そこで、政府や財団などによる補助金や助成金に対して、コミュニティ・ビルディングの要素を踏まえた活動に対する助成の仕方があるのではないかということで、今回のミーティングに至ったわけだ。

ただし、これは、政府や財団に対する反論や意見といったReactiveなものではなく、自分たちが考える、コミュニティで必要とされている活動を進めていくための、自分たちの活動を自分たちで評価できるような指標やモデルの形成を行うと言う、Proactiveなものであった。

そこで、それじゃあ、いったいどういった活動がコミュニティ・ビルディングにおいて最も効果的なんだろうといったような話合いが行われたわけだけど、これが、なかなか一筋縄ではなかった。実際に事業を展開しているときは、あれこれと、コミュニティ作りを行う上での重要な、細かい要素のようなものが考えられるわけだけど、それをある程度普遍的な活動指針として挙げようと思うと、なかなか難しいものだったりする。だから、ソーシャル・キャピタルの研究は迷路に迷い込んでいる感があるように思われる。

そこで、一人の職員が、会議の中心である、FHCHの内務大臣(Associate Director)にいったい何がFHCHでこのようにうまくいっていると思うかを尋ねた。ちょっと、考えた末、彼女の答えは、FHCHで働くワーカーの層の厚さからくるものだと思う、というような内容だった。彼女は、20年ほど前に我が母校Hunter College School of Social Workを卒業し、一年間行政の仕事をした後、FHCHで勤務してきた。彼女を筆頭に、FHCHにはHunter出身のソーシャル・ワーカーが10人ほどいる。それも、17年前に卒業したものや、15年前、10年前と、歴代のインターン実習生がそのまま就職しているパターンがその殆どで、僕がその中の最年少と言うわけだ。Hunter College School of Social Workのディーンをもってして「FHCHはHunterの西に位置する分館だ」と言わせるほど、密接な関係であり、それだけの人材を育ててきている。

コミュニティ・ビルディング活動はその人材をもってして成す事ができる、というような答えでは、政府や財団は納得しないと思うが、コミュニティ・ビルディングを行う上でのワーカーの地域に対する心構えや、その団体の抱えるミッションと、その遂行度などは、ある意味では、確実にコミュニティを形成するような指針となるようにも思われる。今日では、団体の透明性や先駆性、柔軟性、開放性などが求められ、何十年も勤続しているスタッフを抱え込んでいる団体は、フットワークが重いように受け止められがちだが、コミュニティの崩壊が叫ばれる今日、何十年も、同じ理念を持って地域へと影響を及ぼし続けているセツルメント・ハウスの意義のようなものを再び見出すことは大切なんじゃないだろうか。

CO道

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