シリーズ『実践の糧』vol.52

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第249号,2020年4月.

実践の糧」vol. 52

室田信一(むろた しんいち)

昨年の11月からアメリカに3ヶ月間滞在した。短期滞在ということもあり、滞在中にシェアリング・エコノミーを体験する機会に恵まれた。たとえば短距離の移動であればUberを頻繁に利用した。携帯のアプリで行き先を入力して車を呼べば、見ず知らずの人が運転する自家用車が到着し、目的地まで運転してくれる。まるでご近所さんが車を出してくれたような気分になる。AirBnBを利用して民泊も多く活用した。家主さんとオンライン上で、「戸棚にあるお酒は自由に飲んでいいですよ」とか「ベッドルームの引き出しは薬が入ってるので開けないでください」などというやりとりをして、他人の家にお邪魔する体験は興味深かった。

そして、ソフトバンクが出資したことで有名になったWeWorkのシェアオフィスを利用する機会もあった。オフィスの訪問者は受付で身分証明書を求められるため、最初は招かれざる客のように感じるが、ひとたび中に入るとコミュニティ・スペースと呼ばれる開かれた空間があり、無料のコーヒーやビールまで用意されている。利用者はあたかもそのコミュニティの住人のようにくつろぎながら打ち合わせをしたり、自分のペースで仕事をしたりしている。部外者の私がそこにいても誰も気にしない。入り口のセキュリティを通過することでコミュニティのメンバーとして承認されているということだろう。

WeWorkが運営する宿泊施設のWeLiveにも滞在した。WeLiveに立派な受付エリアはない。代わりにコミュニティ・アソシエイトと呼ばれる担当者がノートパソコンで仕事をしながら対応してくれる。WeLiveでは従業員のことをコミュニティ・チームと呼んでいる。何かあればコミュニティ・チームに相談してくださいと言われる。

そのWeLiveに宿泊した時のことである。チェックアクトした後に部屋に忘れ物をしたことに気がつき、コミュニティ・アソシエイトにメールをした。1日待っても返事がなかったので電話をしたら、そのような忘れ物はない、という返事だった。なんとも心細い気持ちになった。コミュニティは人を包摂する温かいものであると同時に、人を排除する冷たいものにもなる。チェックアウトしてお金を払い終わった私はもうコミュニティのメンバーではなくなったという事実を強く感じた。

シェアリング・エコノミーはコミュニティという言葉を頻繁に使用する。シェアリング・エコノミーは、情報技術を駆使したシステムを導入することで、半公共の空間を作り出し、従来のビジネスに存在した過剰な接客によるコストを削減するというビジネスモデルを採用している。すなわち、コミュニティの入り口で、ある程度のセキュリティチェックを受けるが、ひとたびシステムの利用者になると、コミュニティのメンバーとして半公共の空間を他者とシェアすることになる。当然、利用者にはコミュニティの規範を守ることが期待される。一方、経営者はコミュニティの概念を持ち込むことで、サービスの質を利用者に委ねることができる。

シェアリング・エコノミーで成り立つ経済は、このようにしてコミュニティを商品化していくのだろう。この流れは商品化されていない既存のコミュニティを侵食し始めるに違いない。事実、日本でも社会起業家と呼ばれる人たちが既存のコミュニティの商品化を試みている。改めてコミュニティを再社会化することの重要性を強く感じた。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

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