シリーズ『実践の糧』vol.66

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第263号,2022年8月.

実践の糧」vol. 66

室田信一(むろた しんいち)

教育の分野には「隠れたカリキュラム」という考え方がある。これは学校などの教育機関やそこに所属する教育者が、授業などを通して教えている内容とは別に、その授業などの形式や伝え方、使用する言語、慣習、振る舞いといった要素によって「教えている」ことを指す。たとえば、授業では民主主義の理念を教えているにもかかわらず、その教え方が封建的で閉鎖的な環境の中で教えられているとしたら、生徒は民主主義的ではない考えや価値観をその授業から学ぶことになる。したがって、表向きのカリキュラムは民主主義の理念かもしれないが、隠れたカリキュラムでは非民主主義的な理念が教えられていることがあるということである。

そうした隠れたカリキュラムというものは、通常は、意図せざる結果として生み出されてしまう教育効果のことを指す。したがって、民主主義の理念を教える教師が、必死に頑張って教えようとすればするほど、生徒に対して権威主義的になり、教師の意に反して、民主主義とは異なる理念を示すことになる。(ただし、反面教師という言葉が表すように、そのような教師の振る舞いから真の民主主義を希求する生徒が生み出される可能性は否定できない。)

この隠れたカリキュラムが生み出す状態、言い換えるならば、言ってることとやってることが違う状態、はさまざまな場面に存在する。たとえば、昨今の社会福祉領域でよく耳にする地域共生社会の政策では、住民が地域の問題に対して主体的に行動を起こすことを期待してそれを制度化している。人が主体的に何かに取り組むことと、制度化してそれを推進することは明らかに矛盾しており、政府が法に基づいて推進しようと頑張れば頑張るほど、住民は客体化されてしまうという意味で、隠れたカリキュラムが抱えている問題と構造は同じである。

そこで思うことは、市民活動団体の中には、本来、誰にとっても生きやすい社会を目指しているにも関わらず、競争を制することで自分達の組織が生き残ることを重視している(ように見える)組織が少なくないことである。メリトクラシーといわれる能力至上主義社会では競争の原理が社会の至る所に埋め込まれている。そうした競争が多くの生きづらさを生み出しているにも関わらず、その生きづらさを解消することを理念に掲げて設立されたNPO同士が資金の獲得のために競争しあうことは、仮にその結果として質の高いサービスが提供されたとしても、生きづらさを生み出す競争の原理を肯定してしまっている点で、それはマッチポンプ(偽善的な自作自演)なのではないかと思う。

近年、大小さまざまな助成事業の審査委員を務める機会が増えたため、全国津々浦々の市民活動団体のホームページや事業報告に目を通す機会が増えたが、そこには隠れたカリキュラムがたくさん埋め込まれている。どこかのタイミングで、人々がその隠れたカリキュラムを暴くことに成功した時、それらの組織に対する世の中の評価は一変するだろう。そのことを自覚していない組織は、爆弾を抱えて、その爆弾を宣伝しながら活動しているようなものである。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

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