掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第264号,2022年10月.
「実践の糧」vol. 67
室田信一(むろた しんいち)
今後AIが進化したときに、人間にあってAIに欠けているものとして「好奇心」が挙げられることがある。AIに好奇心を抱かせる研究も進んでおり、必ずしもこの説が正しいとはいえないが、個人的に好奇心は人間にとっても(そして優れたAIにとっても)重要な資質であると思う。オクスフォード大学のオズボーン准教授らがAIの進化と普及に伴い消える仕事をリストアップした研究は有名であるが、ソーシャルワーカーはこのリストには入っていない。しかし、厳しい言い方をすると、日本の福祉の仕事の大半はAIにとって代わられても問題ないように思う。実際にAIにとって代わられるかどうかは別として、日本の社会福祉の仕事の多くは(単純な)AIでもこなせるような仕事になってしまっていると私は感じる。特に、法律や制度に基づいた一辺倒な支援を提供している限りは、人がやってもAIがやってもパフォーマンスはそれほど変わらないのではないかと思う。
誤解がないように補足すると、私はAIの普及に反対ではないし、人間の能力を越えるようなAIが誕生することを期待している。それと同時に、人間の存在がAIには代わることができないものとして存続することにも期待している。
好奇心というものは現状維持を指向する人たちにとっては厄介なものだと思う。なぜなら、好奇心があると、なんでこの仕組みはうまく機能しないのか、であるとか、そもそもなんでこの仕組みになっているのか、とか、現状を批判的に検討することになるからだ。福祉の現場に限らず、共に事業を推進する部署にそのような人がいると(特に管理職にとっては)面倒なことになるので、なるべく好奇心をもたず、既存の仕組みに疑問をもたずに、与えられた仕事を粛々とこなしてほしいと思う現場の方が多いのではないだろうか。
ただし、批判的であればいいということでもない。批判的な態度には(単純な)AIでもできるような批判が少なくないと思う。特に属性に基づく批判はその際たるもので、政府や行政が発信するものを何も考えずに批判するような態度をもつ人がいたり、営利企業の営みを端から批判的に捉えたり、批判というよりも思考停止状態による否定のような態度も少なくない。同じような批判は「福祉的なもの」や「非営利活動」にも返ってくる。それらの批判は既存のイデオロギーや立場などの対立軸によって作られた反発でしかない。
好奇心に基づく批判はそうした属性や対立軸から自由なものである。対立構造や立場性を意識しないが故に「空気が読めない」ような批判が浮かび上がることがある。そうした「空気が読めない」批判を頭ごなしに否定してしまったり、たしなめてしまったりすると、その現場からは好奇心の芽が育たなくなってしまう。
好奇心に従って実践をすると、現状維持を求める圧力によって息苦しくなることがあるし、新たな取り組みや提案がうまくいかないことが多々あるので、心がもたなくなることがある。そのような状況に立たされた職員と同じ目線に立って一緒に悩んでくれる上司や同僚がいる職場では好奇心の芽が育つように思う。
好事例といわれる現場に行く時、私はこのような視点から質問をして、その現場が何をしているかではなくどのような人がどのように実践しているのかを確認する。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。