掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第265号,2022年12月.
「実践の糧」vol. 68
室田信一(むろた しんいち)
コミュニティに第三者が介入することの意味について考える際に、次のようなたとえ話を示すことがある。
あるカップルが映画館で映画を観ようと建物に入ろうとしたところ、まだ前の回の上映が終わっていなかったので建物の前で待つことにした。二人は立ち話をしながら順番を待った。その後、映画館に到着した別の客はカップルの後ろに並び、映画館の前には列ができた。前の回の上映が終わったが、客は別の出口から出たため、中の状況に気づかない構造になっていた。先頭のカップルは話に夢中になり、中に入ろうとしない。列の後ろの人たちは、映画の上映時間が近づいているにも関わらず列が進まないことにそわそわしている、という状況が作られたとしよう。
映画を観たいという思いとその気持ちを満たすための資源(映画)が結びつかないために不幸な結果に陥っているという状況が作られてしまう。このような状況を「人災」と呼ぶと、実はこの社会はそうした人災だらけである。
ここでのポイントは、誰もこのような状況を望んでいないにも関わらず、結果的にこのような不幸が生み出されたという点である。声をかけなかった映画館のスタッフや先頭のカップルが非難されるべきかもしれない。もしくは出口と入口を分けた映画館のわかりにくい構造が非難されるべきかもしれないが、誰一人このような結果は望んでいなかったので、非難しても問題は解決されない。
そこで、こうした問題に第三者が介入するとき、いくつかのアプローチが可能になる。一つはこのような人災が起こりがちな仕組みに目を向けてそのデザインの改善を図ることである。アフォーダンスという考え方がある。モノに備わっている特徴が、その利用のされ方を決定するような仕立てになっていることを指して用いられる。例えば、椅子を見た時に、それは人が座るための特徴を有しているので、教えられなくても人はそれに座るだろう。そうした特徴を備えることで、人は自然に利用する。そうしたアフォーダンスの高いデザインが施されることによって人は「人災」を回避しやすくなる。最近では行動経済学によるナッジという考え方が同様の観点から用いられることがある。ナッジとはリベラル・パターナリズムと説明されるように、モノの仕組みやデザインによって人をある特定の行動に導く考え方である。こうした考え方は、第三者によるデザインがコミュニティの人災を減少させ、協力的な関係性を形成することにも寄与すると期待されている。
一方で、教育的なアプローチも可能だろう。デザインが当事者の無意識にはたらきかけるアプローチであることに対して、教育的なアプローチは、意識に働きかけるアプローチである。本来は避けたい人災を自分たちが起こしてしまいかねないことに自覚的になることで、それを未然に防ぐことや、仮に人災が起こった時にそこから立ち直るために行動することができるようになるだろう。
さて、皆さんは人災を減らすためにはどちらのアプローチが効果的と考えるだろうか。この点については次回引き続き考えたい。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。