シリーズ『実践の糧』vol.69

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第267号,2023年4月.

実践の糧」vol. 69

室田信一(むろた しんいち)

 前回は、誰も望んでいないのに、勘違いや失敗、意思疎通の不備などにより、ニーズと資源が結びつかない状況が生み出されてしまうことがあり(それをここでは「人災」と呼ぶ)、そのような状況に対する二つの対応方法について整理した。

 一つは、そのような「人災」が生み出されないような、すなわち、人が勘違いや失敗をしないような環境を整える方法である。モノや仕組みのデザインによって、人と人が協力し、結果として望ましい環境が生み出されるように促すアプローチである。この対応方法の特徴は人の無意識に働きかけることである。人が自ら望んで「人災」を招くことはない。意図せざる結果として「人災」が起こるのであれば、そのような「人災」が起こらないような「防災」の環境を整えればよいわけである。

 もう一つは、自らが起こしてしまう失敗や勘違いに意識的になることで、「人災」を起こさないようにする方法である。この対応方法と前者の大きな違いは、前者が人の無意識に働きかけるとしたら、こちらは意識に働きかけることである。心理学では人の行動の大部分が無意識によって支配されていると説明されるが(そのため、望まない勘違いや失敗、意思疎通の不備などが起こる)、その無意識の領域を少しでも意識によって取り戻そうとするのが後者のアプローチである。

 前者の方法により「人災」が起こりにくい環境が整ったとしても、全ての「人災」が未然に防がれるわけではなく、また後者の方法によって「人災」を起こさないように意識しても、やはり「人災」は起こってしまうものであり、いずれの方法でも「人災」がなくなることはない。では、あなたはどちらのアプローチを取るのか。

 両方のアプローチを組み合わせることが最善策であるが、近年はナッジなど、前者のアプローチに注目が集まっているように思う。しかし、人々がパワーを獲得するという観点から比較するとき、私は後者のアプローチが重要であると考える。

 たとえば、人が生活を営むことで特定の人が不利を被るような環境があるとする。そうであれば、そのような不利な状況が生み出されないように人々を誘導すれば良いというのが前者のアプローチであるが、当事者であるその社会の構成員は不利な状況が生み出されていたことも、それが改善されたことも意識しないうちに「人災」が防がれていることになる。このアプローチの問題は、何が不利な状況なのか、そしてどのよう状況が改善された状況なのか、社会を設計する立場の一握りの人間がコントロールしていることである。当事者である社会の構成員の大多数はそのことを意識することもなく、環境が変わっていることになる。それは自転車置き場のような物理的な環境かもしれないし、難病申請の手続きや地域住民同士が知り合う機会のような仕組みかもしれない。そもそもその設計に携わっている一握りの人間が「人災」に対してどこまで意識的なのかも怪しいものである。

 そう考えると、(自らが「人災」の原因の一部かもしれない)当事者が、自分が置かれた環境に意識的になり、その環境でとる自分の行動や言動、社会への関わり方、他者への関わり方、そしてその背景にある自分の価値観に対して意識的になる過程が大事であり、その過程を通して人々がその環境を少しでもコントロールできると感じることがパワーになるのではないだろうか。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

実践の糧