団塊の世代

先日,知人からとても印象的な話を聞いた。あるアルコール依存症の日本人男性が,生活保護の申請手続きをしようとしていたらしい。この男性は,両親のそばを離れて,自立生活をしようとしながらも,なかなかうまくいかず,自分で会社を立ち上げるもうまくいかなかった。格差社会といわれる今日,彼の人生は「負け組」と見られるかもしれない。しかし,彼に最初に負け組の烙印を押したのは,彼の父親であった。取得が比較的簡単なある資格を取った男性が,両親に資格取得の報告をしたところ,父親から,「そんな資格くらいしか取れないのだから,お前はいつまでたっても,だめなんだ!」と一蹴されたらしい。きっと,この男性としては,自分の努力を認めてほしかったのだと思う。資格どうのこうのよりも,何よりも親からの精神的サポートを請けられなかった男性の心の傷は深いと思う。ある意味,この父親の一言が彼のその後の人生を大きく左右するものとなったように思える。

この父親が,団塊の世代かどうかはわからない。おそらく,団塊の世代よりは年配だと思うが,戦後の日本を築いてきた世代であることは間違いない。僕は,今日の社会的問題の多くは団塊の世代の目から見た問題であると思う。戦後の日本の歴史は団塊の世代と共に歩んできて,今まさに団塊の世代と共に心中しようとしている。団塊の世代の価値観が,日本の価値観であり,新たな価値観はいまだに排除されてしまう社会構造にある。

団塊の世代は,戦後の何もない時代から,さまざまなものを生み出し,作り出し,日本を盛り上げた。それは事実として何の疑いもない。ただし,日本のビジョンは,その当時団塊の世代が創り出した,ある意味カタルシス的な,泥沼からはいつくばってでも,ご飯をたくさん食べられる生活を求めるような,生活の質の向上というよりは,マテリアル的欲求を満たすような,そんな幸せ絵巻だったような気がする。

この価値観は,戦後の何もない状態の上に成り立っていて,その当時得られなかったものを得るという,Missing Pieceを埋めるというカタルシス的なエネルギーから来ている。これと同じ価値観を,その幸せ絵巻の中の登場人物として生み出された,団塊ジュニアの世代が引き継げるかというと,困難であると思う。幸せ絵巻の登場人物のルーツは,あくまでも幸せ絵巻であり,団塊の世代が探していたMissing Pieceが最初から埋まっている状態にある。そうした団塊ジュニアに団塊の世代と同じ価値観を求めるという発想自体が無理であり,不幸を生み出してしまう。

今日的社会問題は,団塊の世代の目を通して「問題」と位置づけられているが,当事者の視点(今回の話では団塊ジュニアの視点)が入っていないように思える。というよりも,社会の価値観=団塊の世代の価値観であるがために,偏った意見が生み出されている。この価値観も少しずつ変わってきているが,次の世代が奮起しない限り,又は,絶対多数決で団塊の世代プラスマイナス10年くらいが少数派にならない限り,変わらないものかもしれない。民主主義の落とし穴にうまくはまってしまった形である。結局,僕ら日本人は,いまだに民主主義を上手く使いこなせていないように思える。

CO道

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