Dreams & Hopes

先日、東京で行われたSPSNの10周年記念シンポジウムに参加してきた。格差社会に関して、社会学を代表する三名の先生方がそれぞれの視点から発表を行い、討論者二名を用意するという、とても充実した内容であった。格差社会に関しては、以前も、CO道の中で書いていて、最終的には、社会教育の必要性や、 ローカルエコノミーの仕組みづくりなどに関して触れて終わったけれど、今回のシンポジウムでも、似たような話が出ていた。特に、若年失業者(ニートや引きこもり、フリーター)に対しては、就業訓練以前の、高校教育レベルから、専門的な教育を行う必要性があると、東京大学本田先生(『「ニート」って言うな!』の著者)は話されていた。僕、個人としては、これに関して賛成しかねる。専門的な教育の必要性よりも、社会学習の機会など、社会と触れ合う機会を幼い頃から持つということが、必要なのではないだろうか。僕の知人で、南アフリカ人の女性がいるんだけど、彼女のお父さんは、ダイヤモンド商をしていることもあって、自分の子ども達に、幼い頃から、何かを作らせたり、売ったり、サービスを考えたりさせて、ちょっとした商売をさせるらしい。そこで、彼女は妖精が好きだったので、妖精に関するグッズを集めたり、作ったりして、それを地元の人に売ったり、そのうちインターネットで売ったりする事をしていたという。結構なお金になって、自分でしっかりとお小遣いを稼いでいたらしい。つまり、アントレプレナーとして子どもを育ててるわけだね。まさに、幼い頃からの自立を促しているわけで、30代になっても親から自立していない日本の「子ども達」とは全くの対照です。
それはさておき、今回のシンポジウムに出て感じたことは、SPSNというグループは社会政策に関して議論することを目的としているのだけれど、やはり、政策の議論だけでは、何だか、根本的な部分が欠けているような気がした。それは、高校から専門的な訓練を行うという提案を一つ取ってみても感じられるんだけどね。
例えば、今回の議論の枠組みとして、ポスト工業化時代の国家財政があり、北欧のような福祉国家を築くことができなかった税制が指摘され、若者や、女性、ホームレスなどに対する、社会政策の遅れが取り上げられていた。そういった話を聞きながら、アメリカの事をちょっと考えてみた。特にニューヨークでは世界中から集まってきた移民が溢れかえり、不法滞在や不法就労も当たり前、社会保障を受けられない者への人道的な対応を余儀なくされている。しかし、そんな過酷な状況におかれていても、夢や希望をもって暮らしている人が多く存在し、人生の楽しみ方を知っている人が多いような気がする。その理由は、ソーシャルワークの援助技術が進んでいるというような問題ではなくて、一定の価値観を共有しているコミュニティから生まれるバイタリティのようなものからくるのではないだろうか。経済的に発展している状態にあるということも、もちろん大切な要素ではあるが、ある程度の経済・産業的インフラの基盤が整っていることは、日本にしても同じなわけで、あとは、そのインフラをどのように住民が主体的に利用できるかが鍵となる。その主体性の根源が「夢」や「希望」ではないだろうか。
僕の南アフリカの友人の話に戻ると、南アフリカでは、小学生の女の子がちょっとした商売をしようと思ったら、それを可能とするインフラが整備されているわけで、それが、第一の条件となる。次に、それを行うために、その女の子が主体性を持って取り組むバイタリティのようなものが必要になるけど、それは、女の子が大好きな妖精のアイテムを取り扱うということで条件をクリアする。つまり、女の子は自分の好きな妖精のアイテムをより多くの人に持って欲しいという夢を持って商売を始める。しかし、商売ごとは必ずしもうまくいかないものである。それは、周りの人々が妖精のアイテムに興味を持たないかもしれないからである。このことは、市場を理解する上では、とても大切な教訓である。自分の夢をかなえるためには、そしてその見返りとしての収入(お小遣い)を得るためには、他の人が求めるものを取り扱う必要がある。そこで、より現実的に夢をかなえるために、女の子は、マーケット調査をしたり、市場を広げたり、より希少性のある商品を選んだりと、試行錯誤するわけで、それこそが、社会教育なのである。
こうした、社会教育の場所は、商売ごとに限らず、ボランティアや、地域での活動を含めて社会に溢れている。あとは、それをどのように利用するかであり、その利用のためのハードルをクリアするかである。
人が夢を持つためには、自分の能力や価値観を認めてくれる人の存在が欠かせない。以前、CO道の中で団塊の世代は、自分たちの子どもの能力や価値観を認めない傾向にあるといった事を書いた。本来親がすることが望ましいと思うことだが、本人の能力や価値観を認めることこそソーシャルワーカーに求められるクオリティなのではないだろうか。その人が、自分の意思をもって、自立して生きていく上で、その根源となるバイタリティを引き出す手助けをすることは、社会の制度や枠組みを作り出すことと同じくらい重要なことのような気がする。いや、むしろ、人の心が伴わない社会政策など、砂上の楼閣と言ってしまいたい。人のこころや、生き方に関わることは、本当に困難である。だからと言って、それを客観的に現象として捉え、対策を考えるのではなく、どのようにして、そのこころや生き方を生かして社会に反映できるか。それがCO道の考え方である。
さらに余談だが、先日世間を騒がせた欽ちゃん球団の萩本欽一さんは夢についてこんな事を言っていた。「夢をかなえるためにはたくさんの人を巻き込んで、たくさんの人に迷惑をかけないといけない」。全くそのとおりだ。自分の夢に向かって走る事を恐れて、他人への迷惑ばかり考えて、迷惑の責任を取るガッツも無くては、人生何も達成できない。どんどん、人を巻き込んで、失敗しても、それを理解してもらえるように、心から人と付き合っていかないと。夢とはそんなものじゃないかな。

CO道

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