掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第220号,2015年6月.
「実践の糧」vol. 23
室田信一(むろた しんいち)
前回は、地域の様々な機関にソーシャルワーカーが配置され、お互いに連携しながら相談援助を提供することが求められるようになってきた近年の社会福祉の状況について概説した。今回は、そのような状況で活動するソーシャルワーカーに求められる研修のあり方について書きたい。
ソーシャルワーカー向けの研修で重要なことは、参加者にとって、本人が無意識な部分に意識的になる機会を提供することだと私は考える。日々の実践の中で、ある特定の考え方に固執していたり、国の政策動向に流されて、本来大切にしなければいけない価値観を見失っていたり、当事者と接するときに、たとえばその人の障害特性から援助方針を一方的に決めてしまっていたり、ということは誰にでも起こりうることである。自分は現場経験も豊富なので、そういう失敗はない、と思っている人は要注意である。むしろ、現場経験が長い人ほど、その間に培われてきた固定観念から自分を解放することが難しくなったりするものである。研修を通してそうした自分の無意識な部分に気づくことで、実際の相談援助の場面において、自分がなぜそのような判断をするのかということに自覚的に相談者と向き合うことができる。
最近感じたことは、日本の社会福祉の現場では、10年ほど前まで就労を通した自立支援ということがそこまで強調されていなかったし、5年ほど前までは、就労支援に関与するのは一部のソーシャルワーカーの仕事と考えられていたが、生活保護受給者数が戦後最大規模にまで増加した昨今では、就労を通した自立という考え方が所与のものとなっている。就労を通した自立を否定するつもりはないが、相談援助を通して就労に結びつけることこそがソーシャルワーカーに対する社会的な評価につながる、と考えるワーカーが増えていることに対しては強い違和感を感じる。むしろ、そのように政策誘導されている状況に対して批判的になって欲しいと思う。
ソーシャルワーカー向けの研修では、そうした無意識の部分について気づきを得る場をつくり、そうした気づきについて共有しあうための安全な環境を整えることが最も重要だと考える。また、研修を通して、本来大切にしなければならない価値観が大切にされていない状況があることに気づいたとしたら(もしくは、薄々気づいていたことが共通認識として表出したら)、いかにしてその状況を改善できるかということについて検討することも含めて、改めて自分たちが置かれた状況に意識的になる機会が研修の場であるべきだと考える。
その具体的な研修の方法や内容に関しては次回以降で詳しく触れたい。
※掲載原稿と若干変更する場合があります。