シリーズ『実践の糧』vol.47

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第244号,2019年6月.

実践の糧」vol. 47

室田信一(むろた しんいち)

アメリカではコミュニティ・オーガナイザーやソーシャルワーカーが弁護士と一緒に仕事をすることが少なくない。たとえば、劣悪で違法な住宅に居住している住民が、家主に対して訴訟を起こすと同時に、そうした劣悪な環境を改善するために、そのアパートの借家人組合を結成して家主に改善を求めるというような活動がある。その場合、弁護士が訴訟を担当し、オーガナイザーが住民組合の組織化を担当する、というような役割分担がなされる。

オーガナイザーと法律家には異なる専門性が求められる。専門性の違いの顕著な例が使う言語である。法律家は使う言語に厳密である。なぜなら、言葉の使用一つで、法廷では異なる解釈や異なる判決を招くことがあるからだ。したがって、法律家は曖昧な言語を使用しない。一方、オーガナイザーは曖昧な言語を多用する。といっても適当に仕事をしているわけではない。オーガナイザーは、自分が正しい決断や正しい答えを提供することが、最善の結果を生み出すとは限らないことを知っている。そのため、複数で結論を出すような場面では、余白を含むあいまいな言葉をあえて使用して、自身の決断を未確定のものとして提示する。(なお、こうした整理はあくまでもステレオタイプであり、以下ではこのステレオタイプを前提に議論を進めることをご承知おきいただきたい。)

たとえば、グループの中で意思決定しなければならない事項があるとする。それが、新たにグループに加わるメンバーに関する意思決定だとしよう。法律家は、グループ加入のルールや手続きについて、メンバーに正確に説明することを重視するだろう。その上で、最も妥当な選択について自身の判断を伝えることもあるかもしれない。

一方でオーガナイザーは新たなメンバーが加入することに対するメンバーの感覚を確認することを優先する。人は、他人の意見に流されやすい。そのため、法律家が一方に偏った意見を述べると、他のメンバーもその決断に流される可能性が高い。しかし、そのような意思決定は、メンバーの本当の気持ちを反映しているとは限らないため、よからぬ結果を招く危険性がある。たとえば、実は自分は当初から反対だった、というような発言があとから出てくるかもしれない。結局は、主体的な意思決定の手続きが取られていないことが問題なのである。

コミュニティ・オーガナイザーは、たとえば「みんなはどう思う」というような投げかけをするかもしれない。そこでいう「みんな」に誰が含まれているかがあいまいである。そのため、メンバーの中からは「みんな」とは誰のことを指すのか、質問が上がるかもしれない。もしそのような質問が上がったとしたら、それがコミュニケーションの始まりである。その意思決定事項に対して、そもそも誰が関与した方がいいのか、関与する人は全員同じ発言権を保持するのか、誰が議論を牽引するのか、といったことに対して合意を形成していく。

オーガナイザーの使用する言語は専門性に基づくものとして扱われにくい。専門性が欠如しているという評価が下されることも少なくない。しかし、オーガナイザー同士であれば使用している言語にすぐにピンとくる。あ、この人は人を信じているな。そして、人が力を蓄積して変化を起こすことに本気で取り組んでいるな、と。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

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