先週またもやNYICのアドボカシーデイに参加して、州都のAlbanyへうちのプログラムの 生徒たち80人ほどを引き連れて行って来た。朝の5時半に集 まって、夜は7時半までかかる一日がけのバストリップだったが、みな積極的に参加した。参加者には交通費として$10請求したが、これがなかなか涙無しで は語れないようなエピーソードを生んだ。夜中の2時から昼の12時まで魚の卸で働いている一人の生徒が、バストリップのあった前の週のある日、彼の仕事終 了後の午後の1時半にわざわざ交通費$10を払いにオフィスに来た。その日はオリエンテーションの日だったので、1時間ほど待てるかと聞いたら、魚くさい から家でシャワーを浴びて帰ってくるといったが、2時間後くらいに遅れて戻ってきて、寝過ごしてしまったと言うこと。なんとも泣かせる話だと思う。本当に みな一所懸命にアドボカシー活動に参加してくれる。
ニューヨークではよく行われるこの一日がけのアドボカシーデイ、当事者を連れて行き、州の議員 さんのオフィスを訪ね、意見を聞いてもらう。当事者たちは細 かい予算の話やら、法案の事はあまり理解していないパターンが多い。今回も、TANFファンドを特定の人口に限らず使ってくれだとか、州の教育予算をこれ くらい上げてくれだとか、当事者にとっては特殊すぎる内容を話しに言ったわけだが、そういった部分はLobbyist、又はうちの場合はオーガナイザー、が 担当し、当事者たちは各々のメッセージを伝える。
行 きのバスの中で考えていたんだが、英語を学んでいる最中の生徒たちが州の議員さんたちに会いに いくといって、朝の5時半から80人が集まり、特に明確な 指示も無いままAlbanyに着いて、その日のプログラムを過ごそうとしている。具体的に何をすればいいのかと不安にならないのか、かえってこっちが不安 になってしまう。ただし、皆僕らが伝えようとしているメッセージはわかっている、そしてそれぞれ何かを伝えようと言う意思を持っている。
こ れはダ ンスなんだと思った。行進ではなくダンスなんだと。みな踊りの踊り方はわかっていて、あとはリズムさえ提供すれば、それに合わせてそれぞれがダン スを披露するんだと感じた。日本で同じ事をしようとしても、なかなかそうは行かないのではないか。日本でやる場合、的確な指示の元、全員が同じリズムで行 進することで、最も効率のよい結果を生み出せるのではないだろうか。しかし、ここアメリカで人に行進をさせようとしてもそう簡単には行かない。まずは僕が リズムを創り出し、それに乗って思う存分踊らなくてはいけない。そのダンスにみなが乗ってきて始めて全体が効果的なメッセージを送ることができる。案の 定、いざ議員さんのオフィスに行くと、みなそれぞれに主体性を持って、誰かに吹き込まれたメッセージではなく、それぞれが心からのメッセージを議員さん、 又は代表者に伝えた。内容はべたな英語で伝えれる精一杯のものではあったが、心がこもっている分、きっと議員さんの心にも残ると感じた。
も ともと Albanyへ行くこと自体、政治の上で具体的な結果を残すことが目的ではない。そこに往復6時間かけていくというその行動に意味があり、それを 定期的にすることで、議員さんの良心に訴えると言うものだ。よって、その話す内容、提案は大切ではあるが、それ以上に人間としてのコミュニケーションが大 切になってくるわけである。
そのコミュニケーションは軍隊 のように指示を与えられた人間によってもできるが、リズムに乗ってメッセージの波をぶち まける方が効果的であるだろう。何よ りもその方が参加者たちは達成感が得られる。オーガナイジングとはそういった人間の感覚的な部分(心の部分)をうまく扱わなくてはいけないと思う。これを 欠くと、理屈だけの政治的なやり取りになってしまって、主体性や、リーダーシップなどの要素の欠けた発展性の無いものになってしまう。
ダンス・ダンス・ダンスってことだね。