いやぁ、眠い。眠いけど、いっちょ書いておくか!
ということで、一昨日から台湾の社会政策学会の会長である陳先生と事務局長の古先生が来日し、同志社大学と日本の社会政策学会で講演をされた。その中で、陳先生の講演の内容は「社会的セーフティネットとグローバル化における社会・経済格差」というものだった。ここで、陳先生はグローバル化の影響により、アジア諸国に限らず、世界中の国々で、同様の課題が発見されていると説明された。
例えば、少子化や高齢化、家族構成の変化、経済的投資と経済の国際化、政党政治などを挙げることができるということだ。具体的には、出生率が低下したり、独身者や、単親家族、国家以上の経済的影響力を持った多国籍企業の出現や、政治の形骸化などにつながるという話。なんだか、漢字だらけで、ちょっと僕のブログっぽくなくなってきたので、そろそろ話をいつもののりにします。
こんな陳先生の話を聞いていて思ったことは、社会の問題といわれることは、問題と見るから、問題なのではないだろうかということです。養老孟司さんが「バカの壁」という本の中で書いているけど、失業率が高いことっていうのは、そんなに問題なのだろうか。そもそも、人が働かなくても生きていけるというのは、人類の長年の夢だったのではないだろうか。確かに、仕事をしないことで、本人が落ち着かなかったり、人生における充実感を失ってしまうことは、問題かもしれないけれど、仕事をしないで、自分が本当に従事したいことに打ち込むことができる世の中って言うのは、理想なのではないだろうか。職がなくても、ご飯を食べて生きていける人がたくさんいるって事は、人類が長年求めていたことではないのか、そんなことを養老さんは書いている。
同じようなことが、例えば少子化や高齢化にも言うことができるのではないだろうか。
何事も「問題視」するから問題に見えてしまうけれども、もう少し正の部分に光を当てると、例えば、少子化というのは女性の社会進出が進んだ結果であるし、高齢化というのは保健・衛生が整い、平均寿命が延び、介護や医療が整備されていることを意味するし、家族構成が変わったということは、結婚や離婚の選択肢の幅が広がり、決められた家族の型にはまらなくてもよくなったということで、結婚という選択肢を選ばないカップルや、同性愛者の家族、両親から離れて自立して暮らす子供など、いろいろな選択肢が提供されているということだと思う。また、多国籍企業の出現によって、世界規模で技術革新が進み、科学の進歩が急ピッチで進んでいる。その結果、宇宙工学やナノテクノロジーへの投資も可能となり、宇宙や人間、生命体に関する探究が進められているわけである。そもそも、人類が何世代にもわたって繰り返し問い続けてきた「我々はどこから来たのだろう」「私は誰」「死とは何を意味するのか」といった疑問に対して、科学的に取り組み、この100年ほどで、人類は躍進的にその問いに答えるための歩みを進めることができたといえるのではないだろうか。ちょっと、ロマンチックになりすぎかなぁ。
また、最後の政党政治の問題は、まさに民主主義の問題である。確かに、政党政治になり、市民にとっては選択肢ができたようで、実は党の力の奪い合いのゲームに巻き込まれて、本当に市民が望んでいることが政策に反映されていないかもしれない。しかし、チェック&バランス機能は間違いなく増している。封建社会では、王や皇帝などが、独裁的に国の指針を決めていたが、現在の政治構造にはそうした独裁的な動きを抑止する仕組みが内包されているし、民意の反映という意味では格段に柔軟な体制になっていることは確かである。何事も、比較概念で考えることはよくないけれど、50年とかのスパンで見る限り人類は確実に民主化の道を歩んでいると思う。
ここで大切なことは、そういったことを50年とか100年とか300年とかのスパンで考えることだと思う。実は、陳先生の述べたことはほとんど、アメリカの建国者たちが思い描いていたことだと思う。アメリカのFounding Fathersと呼ばれる人たちはかなり大きなスパンで、アメリカという国を、そして人類における民主化の流れを築いた。今日のアメリカの政策を思想的に見ると、いまだに当時の考えとそう変わっていないということは良くわかると思う。
つまり、おそらく問題があるとしたら、近代を生きる僕らが目先のことばかり見ていて、100年単位でものを考えることができていないということだと思う。これだけグローバル化が進み、技術が進歩し、宇宙の仕組みが分かってきても、僕らの頭の中は目先の3センチくらいしか見ていない。皮肉なものですね。
ちょっと歩みを止めて、ゆっくり考えなくてはいけないね。一日じっくり考えるだけで、100年単位で、物事が変わるかもしれない。一日を100年につなげるのも、オーガナイザーの役目ですね。
友達をちょっと川原の散歩に誘うことから、物語は始まるのかもしれない。鴨川がいいかなぁ。