シリーズ『実践の糧』vol.78

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第278号,2025年2月.

実践の糧」vol. 78

室田信一(むろた しんいち) 

 少し前のことであるが、『情熱大陸』というテレビ番組で元プロ野球選手のイチローさんが取り上げられていた。イチローという孤高のアスリートに接近する番組で、第一線を退いた今でもストイックに自分の理想を追い求めている姿はとても興味深かった。

 そのイチローさんが、同じくメジャーリーグで活躍した松井秀喜さんと昨今の野球(特にメジャーリーグ)について語り合う場面があった。その中で、データを重視する野球のあり方に対してつまらなくなったと評していた。選手自身が自分で考えることや感覚を重んじることがなくなり、対戦する選手のデータや得意な球種、ボールの回転数など様々なデータに基づいてコーチから指示が出され、そのデータに基づいて一つひとつの作戦が遂行されるということだ。

 そうした背景には、各球場がピッチャーの球種やボールスピード、球の回転数などのデータや、バッターのスイングスピードや打球の角度や速度といったデータを計測し提供するようになったことで、それらのデータを各チーム、各選手が活用するようになったことがあるらしい。メジャーリーグで良い成績を残しているチームほどそうしたデータを駆使していることから、データ野球が主流化してきているということである。

 実はこの点については、現役メジャーリーガーのダルビッシュさんも同様の見解を示している。ダルビッシュさん曰く、現在のメジャーリーグの野球は、先に答えが提示されていて、その答えを導くための方程式に当てはまる球種を投げるという、まるで問題集を解くような野球になっているということである。

 もしデータに反した作戦で負けた場合、データを軽視した監督とデータに基づくプレーをしなかった選手が槍玉に挙げられてしまうのだろう。その結果、誰も考えなくなり、データを重視するようになっていく。

 幸いにも地域の実践においてはデータやエビデンスの波がそこまで押し寄せてきていないが、対岸の火事ということでもない。保健・医療の分野はもちろん、ソーシャルワーク領域においてもエビデンス・ベースト・プラクティスという考え方が重視されてきており、事業評価の領域においてもますますデータが重視されるようになっている。

 エビデンス・ベーストといっても、ワーカーが思考しなくなるのではなく、あくまでもワーカーが実践する際にデータを参考にするということである。しかし、野球同様に、実践の結果を評価する際にデータが用いられることで、データを軽視した判断を追求されてしまうと、弁明することが困難になるだろう。もしくは、それを弁明するためには、自身を守るためのエビデンスや理論で武装する必要が出てくる。

 イチローさんが高校球児を指導する際、野球のプレーにおける一挙手一投足にはデータには表れない細かな機微がたくさんあり、そうした駆け引きの中でプレーが成り立っていることを強調していた。ソーシャルワークや地域の実践もまさに同様である。データにできないような細かな機微、可視化できないようなやり取りの中で新たな関係性が生まれたり、リーダーシップが育まれたり、実践が広がっていく。

 メジャーリーグのデータ野球が日本にも無批判に広がってしまうことをイチローさんは危惧していたが、日本の社会政策においてもエビデンスの波が着実に押し寄せていること、そしてそれを無批判に取り入れてしまう流れを私は危惧している。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.77

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第277号,2024年12月.

実践の糧」vol. 77

室田信一(むろた しんいち) 

 前回は、オーガナイザーがコミュニティに関与する際に、そのコミュニティのメンバーと対話の空間を作り出すことについて書いた。オーガナイザーはイタコのような存在で、自分自身をそのメンバーの感覚に近づけていき、メンバーの声を代弁する存在になることが求められると私は考える。他のオーガナイザーがどのような感覚でそうした対話に取り組んでいるのか分からないが、私の感覚はイタコに近いような気がする(イタコになったこともないし、イタコに直接会ったこともないが)。

 しかし、その感覚をあえて別の体験と結びつけるとしたら、私が20代の頃に習っていたドラムを叩く感覚に似ていると思う。私が習っていたのはハイチのドラムで、先生のフリズナーはLa Troupe Makandalという、いわゆるヴードゥーの音楽を奏でるドラムグループのマスターだった。残念ながら、フリズナーは2012年に急逝してしまったが、ニューヨーク市でも指折りのヴードゥーのドラムマスターで、彼のバンドは世界各地で公演をしたことがあり、2007年には東京でも公演をしている。

 私は彼のクラスに参加するまでドラムを演奏したことがなく、最初は目が当てられないほどリズムを外していた。フリズナーは手取り足取り教えることはなかったが、私の耳と体がリズムに慣れるまで根気強く教えてくれた。

 ヴードゥーのドラムは異なるサイズのドラムによって奏でられる複雑なリズムで、ドラム経験者でも最初は苦労する。今でもよく覚えているが、練習中に私が奏でるドラムのリズムが他の人と少しでもズレていたら、フリズナーがとても厳しい目でズレを指摘してきた。5人から10人くらいがサークルになってドラムを叩くと、かなりの音量なので誰がズレているかなんて気がつきそうにないが、フリズナーは一瞬でそれを聞き取った。

 ドラムなどのパーカッションを経験した人ならわかることかもしれないが、ドラムを奏でるには、頭でリズムを理解しようとしても全くうまくいかない。もちろん、リズムや曲の流れは頭で理解しなければならないが、それを一旦体に染み込ませてから、自己を解放してリズムに身を任せなければ他のメンバーと波長を合わせることはできない。それはとても不思議な感覚で、意識は研ぎ澄まされているが、感覚を自分の周囲360度に広げているような状態である。

 このドラムを奏でる際の感覚と、私がオーガナイザーとしてコミュニティのメンバーと対話する感覚は似ていると思う。ひょっとしたら、私はドラムの影響からそのようなアプローチをしているのかもしれない。重要なことは、フリズナーが複雑なドラムの音の中から、ズレた音をすぐに聞き取ったように、一人一人の声や仕草、表情などに意識を集中して、一人ひとりが何を考えているかや、どのような意識か、といったことを読み取る必要がある。それと同時に、私がそのグループの対話をどこかに向かって引っ張るのではなく、一人ひとりがそのコミュニティというものを体現するように対話をファシリテートする。声の大きい人がいたら、その主張を相対化するような問いかけをしたり、場に馴染めてない人がいたら、その声を拾って大きくしたりしながら、その集団が総体として何を感じているのかを共有することを意識している。

 他のオーガナイザーがこれを読んで、どのように考えるのか興味深い。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.76

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第276号,2024年10月.

実践の糧」vol. 76

室田信一(むろた しんいち) 

 オーガナイザーがあるコミュニティに初めて関わるとき、そのコミュニティのメンバーが集まっているところへ赴き、そのメンバーと対話を重ねて、メンバーについて知る機会を設けることがある。たとえば、若者のコミュニティに関わるとき、若者がたむろしているストリートなどの溜まり場へ行き、そこで若者たちに声をかける。若者たちのことを知り、若者たちの問題意識を探るためにそのような場を設ける。

 その対話の中で、若者たちにとって「引っかかっている」ポイントが見出された時にはその点について掘り下げることをする。たとえば、若者にとって地域の中に居場所がないということや、そもそも社会の中に居場所がないということかもしれない。それはつまり、望ましい仕事に就くことができないということや、自己実現の機会が限られているということ、抑圧的な構造の中に閉じ込められてしまっているというような話かもしれない。

 もしくは、オーガナイザーが全く予見もしないようなことが語られる場合もある。ギャングの抗争に巻き込まれているというような話かもしれないし、大学に進学したいけど情報もなければ手段もわからないというような相談かもしれない。こちらがあらかじめ問題を設定するのではなく、空っぽの状態でそのコミュニティと接することが重要になる。

 そのようにしてコミュニティの中に対話の空間を生み出すことはコミュニティ・オーガナイザーにとって必須の技術であると思う。

 近年、コミュニティ・オーガナイジングの研修の依頼を受け、その参加者が15名に満たない場合、その場を仮想のコミュニティと想定して演習をすることがある。私自身が仮想のオーガナイザーとなり、対話の空間を作り出す。「なぜ、皆さんは今日この場に集まっているのですか」という問いを中心に、「なぜ、私たちは私たちなのか」という問いにみんなで接近していく。つまり、このコミュニティはどんなコミュニティなのか、ということについて意識を共有していく。その中で、メンバーの多くが「引っかかっている」ポイントが見えてきたりする。

 数ヶ月前、そのような対話の空間づくりをした後、終了後に一人の参加者から声をかけられた。「どうやったら先生のようにみんなの声に耳を傾けて、一人ひとりの話を掘り下げていくことができるのですか」という質問だった。いざ、そのように質問されると戸惑ってしまった。学生の頃から地域でオーガナイジングをしてきて、コミュニティに関与する場面をたくさん経験する中で、徐々に培われてきたスキルで、生まれもった才能でもなければ、具体的な訓練を受けたわけでもない。

 その時は、「イタコみたいなものですよ」と答えた。死者の霊を憑依させてその声を伝えるイタコのことである。つまり、自分はあくまでもみんなの声を媒介させるイタコのような存在で、話を聞いている人の感覚になるべく近づいて、その人の感覚を代弁するようなイメージである。イタコとオーガナイザーの違いは、相手が目の前で生きている人であるということと、複数の人を憑依させるという点である。

 その憑依している時の感覚は、意識は研ぎ澄まされているが、同時に「無」であることが求められる。その感覚はドラムサークルの中でドラムを奏でることに少し似ているかもしれない。次回はそんな話を詳しく掘り下げたい。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.75

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第275号,2024年8月.

実践の糧」vol. 75

室田信一(むろた しんいち) 

 話題の小説『成瀬は天下を取りにいく』と『成瀬は信じた道をいく』を読んだ。滋賀県大津市が舞台ということもあるので、関西在住の人にとっては身近に感じる内容が要所に盛り込まれている。物語は、さまざまなことにチャレンジを続ける女子高生成瀬あかりが、西武デパート大津店の閉店に際して、閉店を取り上げる地元のローカルテレビの生中継に毎日映り込み、西武への感謝を表明するという「アクション」から始まる。成瀬のそうしたちょっと変わった「アクション」が小説に登場する他のキャラクター(成瀬の友人など)の視点から描かれている。

 この小説の読み方は人によってさまざまだろう。多くの読者は、成瀬の突拍子もない行動とそれを淡々と確実にこなす彼女の行動力に魅了されるのではないだろうか。ネタバレになるので詳細は書き控えるが、物語自体、成瀬の行動力に魅了される周囲の人間の模様を描くことで、成瀬の人物像を浮かび上がらせるという手法が用いられている。

 この小説を読み進めると、読み手によっては成瀬がいわゆる「発達障害」の傾向があるということに気が付くかもしれない。「空気を読まない」成瀬の行動に周囲はひき、少し距離を置く。実際に小説の中では小学校5年生の時にクラスのみんなから無視されていたという記述がある。それでも当の成瀬は気にも止めず、まさに自分の信じた道をいくのである。

 確かに成瀬は感情を表現することが苦手で、行動パターンの中に他者性が欠落しているという特性があり、いわゆる「発達障害」というカテゴリーで見られる(もしくはそうした診断が下る)ことはあるだろう。しかし私がそれ以上に感じたことは、成瀬を通して見えてくる日本社会の特徴である。小説を読み進めるうちに、周囲の空気を読まずに行動する成瀬の姿が、アメリカ人のようにも見えてきた。アメリカ人は、感情表現が豊かという点においては成瀬とは全く異なるものの、周囲の空気を読むことを是としない点において成瀬っぽいと思った。「アメリカ人」として一括りにすることはいささか乱暴ではあるものの、少なくとも私がアメリカから帰国した当初の自分に「成瀬っぽさ」があったのではないかと思う節が多々あり、成瀬の行動原理に共感すらした。

 よく考えると、私がアメリカに留学した背景には、空気を読まなければならない日本社会の雰囲気があまりにも重く、そうした空気に敏感であり、過度に配慮してしまいそうになる自分をなんとか解放してあげたいという気持ちがあったことを思い出した。アメリカに住むと、知り合いがいないということ以上に、周囲の空気を読むことに執着しない関係性にすっかり心地良くなった。成瀬がアメリカに行くと、きっと普通に馴染むに違いない。小説を通して自分が日本社会の空気にまた押しつぶされそうになっていることに気がつくことができた。

 この小説がよく売れている背景には、成瀬が空気を読まずに行動することへの爽快感があり、多くの読者が日本社会の閉塞感を感じていることを反映しているのではないだろうか。もしそうだとしたら、自分もまた「アメリカ人」に戻ってもいいのかもしれない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.74

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第273号,2024年4月.

実践の糧」vol. 74

室田信一(むろた しんいち) 

 今から10年〜20年後に日本の市民社会の変化を振り返るとき、2023年は象徴的な年として語られるかもしれない。この1年の間に、旧ジャニーズ事務所に所属していた元タレントによる性的虐待被害の告発があり、女性自衛官による自衛隊内における性被害に対する告発があった。前者は芸能界という閉ざされた世界に、後者は自衛隊という同じく外部の目が入りにくい世界に風穴を開けたという点で大きなインパクトを与えた。これらの告発は連日メディアで報じられ、世間の関心を集めた。

 以前は告発というと、攻撃的で怖いイメージや惨めで痛々しいイメージが伴う行為として認識されていたように思う。そのため、告発する人は世間からの注目に耐えることができる強い人間か負のイメージを背負って生き続けざるを得ないほど追い込まれた人間と見られる傾向があった。

 しかし、この1年でそうした負のイメージが変わったように思う。

 まず、告発した人を称える報道や世間の声が増えたように思う。上記であげた事例はどちらも性被害に関わる問題であり、加害者には弁明の余地がないという意見が大半であり、そのような報道を後押ししたのはSNSなどに集められた世間の声だったように思う。

 告発とは、大抵は権力に対してなされるものであり(なぜなら、当事者がその組織の中で変化を起こせる立場にあれば、告発という手段を取る必要がないため)、したがって主要なメディアは権力側の立場を守るようなスタンスを取ることがある。その結果、世間の見方も保守的なものになり、勇気ある告発者を惨めな立場に追い込んでしまうということがこれまでの告発事例から私が感じていた構図であった。しかし、上記の2事例を皮切りに、告発者が惨めな存在として語られることが減ったように思う。

 このことは、単に告発することのハードルが下がったということ以上に、権力に楯突くことや、権力に対して自分の不満を発言することが文化的に認められやすくなったという点で、日本の市民社会の潮目が変わったといえるのではないだろうか。

 今考えると、私の抵抗は、高校時代のバスケットボール部顧問だった暴力教師に対する発言から始まった。練習後のミーティングで「俺のやり方に反対する奴は手を挙げろ」と言われ、不満を抱えていたはずの仲間が誰1人手を挙げず、唯一手を挙げた私はその後、体育教官室に呼び出されて百発以上殴られたことがあった。私はその後ラグビー部に移るわけだが、その時手を挙げなかった仲間の多くはその後結局退部した。

 2023年を皮切りに、同じようなことが起こった時に勇気をもって声をあげる若者が増えるようになってほしい。自ら離脱するのではなく。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.73

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第271号,2023年12月.

実践の糧」vol. 73

室田信一(むろた しんいち)

 私の父は常に物事をナナメから見る人だった。学校のテストで100点を取ると「あまり勉強ばかりするな」と言ったり、世間から批判を浴びている人がいれば「お父さんは悪い人じゃないと思う」と言ったり、世の中のあたりまえや常識を疑うタイプの人だった。そんな父の影響からか、物心ついた頃から私も物事をナナメから見るようになっていた。アメリカでコミュニティ・オーガナイザーの人たちと出会った時、物事を批判的に捉え、行動を起こす姿に親近感を覚えたのはそのような父の影響もあっただろう。

 研究者という存在も常識を疑い物事をナナメから見る態度が求められる。そのため、ものすごく素直な学生から「研究者を目指したい」という相談を受けると、あまり向かないのではないかと思ってしまう。しかし、研究者の中にも王道を行くタイプの人もいる。さまざまな議論を肯定的に受け止め、総括的な見解を示す研究スタイルは、物事をナナメから見る私からすると面白みがないと感じるが、同時に、自分には持つことができない大局的な視点に圧倒される。

 以前、あるラジオ番組で巨人・ヤンキースで活躍した元プロ野球選手の松井秀喜さんについてお笑い芸人が語っていた話を聞いて、王道に対する私の捉え方が少し変わった。私は松井さんのことをすごい選手だとは思っていたが、あまり面白みがない人と思っていた。松井さんは高校時代からスター選手で、その後もスター選手としての道を歩み、メディアに対しては常に優等生の受け答えをしてきた。そうした松井さんのことを、そのラジオでは「国民のお兄さん」を引き受けた人として称賛していた。高校時代の5打席連続敬遠を経て、ドラフトでは長嶋監督から一位を引き当てられ、巨人の4番打者として大成し、さらにメジャーリーグに挑戦してヤンキースでも4番を打った。そのように国民の期待を受けると、人はプレッシャーに押しつぶされてしまうものだが、松井さんは文句一つ言わずにそれを全て引き受けてきた。挙句には、長嶋元監督と共に国民栄誉賞を受賞した。先輩のイチローさんが二度(その後を加えると合計三度)も辞退していることを考えると、松井さんも辞退することが頭によぎったに違いないが、ファンや国民の期待を引き受け、受賞したのである。

 そのような王道の生き方というものは、誰かが引き受けることでそれが時代の物語となり、語り継がれ、多くの人にとって納得感が生み出される。地域の活動では、会長や委員長に担ぎ上げられて、その立場に甘んじていることに違和感を感じず、御意見番のようになっている人がいる。そのような人がいると地域の風通しが悪くなるため、私は批判的に見ていたが、松井さんの例を引き合いに考えると、そのような人が地域の人々の期待を引き受けることで納得感が生み出され、地域の人間関係のバランスが保たれるという側面があると考えると、必ずしも批判されることではないのかもしれない。それでも私はナナメから見てしまうが。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.72

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第270号,2023年10月.

実践の糧」vol. 72

室田信一(むろた しんいち)

 私は昔からお笑いが好きで、中学生以降は特にダウンタウンのお笑いと共に育ってきた。以前(10年前!)も紹介したが、芸人のマキタスポーツは、著書『一億総ツッコミ時代』のなかでそんなダウンタウンのお笑い(広くいうと関西のお笑い)のツッコミ文化を取り上げて、日本中にツッコミが蔓延していることを指摘している。マキタが危惧しているのは、ちょっと噛んだ程度でもすぐに「なんでやねん!」と周りがツッコミ、ボケをつっこまずに見逃すことができなくなってきていること、つまり周囲にすぐに正されてしまうこと(それによってお笑いに転化されてしまうこと)である。確かにボケ・ツッコミ文化にはそのような側面はあるかもしれないが、私が注目したいことは、それだけお笑いの文化が広がっていることである(マキタもその点においてダウンタウンや関西のお笑い芸人の功績を賞賛している)。すなわち、日本においてお笑いのリテラシーが高くなっているということである。

 ダウンタウンでいうと、まっちゃんのボケの切れ味に注目が集まるが、まっちゃんがあれだけ想像力豊かにボケることができるのは、はまちゃんはじめ周囲の芸人がそのボケを即座にひろってつっこんでいるからである。つまり、ボケの能力というのはツッコミの許容能力が高いことによって引き出される側面があるということである。

 同様のことは研究や言論の領域にも当てはまる。シンポジウムなどに登壇する際に、司会者やコーディネーターがどんな発言でもひろってくれるという安心感があると、制限なく思考を広げることができる。

 地域の活動においても同様のことがいえるだろう。自分が抱えている生きづらさや悩みを相談したとしても、受け取る側にひろわれることなくスルーされてしまうと、相談することをためらってしまうし、スルーされないため、気がつくと受け取る側に伝わるように相談の内容を絞り、表現方法を選んで相談してしまうことがあるかもしれない。ツッコミがボケのポイントを理解してくれないとボケる側も徐々に渾身のボケができなくなることと似ている。

 コミュニティ・オーガナイザーや地域のソーシャルワーカーの役割の一つとして「カタリスト(触媒)」というものがある。カタリストとは、まだ当事者によって言語化されていない「自分はこのように生きたい」「社会はもっとこうあってほしい」という思いを受け止め、他者に伝わる語りへと転換し、具体的な活動やキャンペーンへと発展させていくような化学反応を誘発する働きかけのことである。良いツッコミが良いボケを引き出すように、良いオーガナイザーによって市民のより深い声が引き出されるという側面がある。そのためにはオーガナイザーは普段からさまざまな市民の声に耳を傾ける必要があるし、社会情勢や社会の変化に敏感であり続けることが求められている。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.71

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第269号,2023年8月.

実践の糧」vol. 71

室田信一(むろた しんいち)

 私は、アメリカに住んでいたころ、友人に誘われてデモや集会に参加することがあった。数十人程度の小さな規模のものから数十万人規模のものまで大小様々なデモに参加した。時には企画する側に関わることもあり、数千人規模のデモをオーガナイズしたこともある。

 大学院時代、自転車で学校に通っていた私は、同じく自転車で通学していたクラスメイトに誘われて、自転車ライダーの権利(公道における自転車レーンの設置促進など)を主張するためのデモに毎月参加していた。そのデモは、数百人から1000人を超える規模の自転車ライダーたちが、集団で道を占領して、信号を無視しながら自転車で移動するというものだった。端的にいうと暴走行為であるが、信号無視以外は交通ルールを守って安全に移動した。なお、信号無視に関しては、事故が起こらないように、先回りしたメンバーたちがライダーたちの進行を邪魔する交通を遮断するため、安全に信号無視ができた。デモに参加するにあたり、集合場所と時間だけは告知されるが、デモをオーガナイズしている中心メンバー以外はどのようなルートでどこに到着するか知らない。ただし、警察には事前にルートを伝えているようで、事故が起こらないように道を封鎖するなど、警察もライダーたちに協力的であった。普段、車に撥ねられないように気をつけながら肩身の狭い思いをして自転車に乗ることに比べて、広い公道を占拠して信号を気にせずに集団で自転車に乗る体験は爽快であった。

 他にも、大学院時代にイラク戦争が始まり、大規模破壊兵器があるという不確かな情報に基づいてイラクを攻撃し始めたアメリカ政府の決断に対して、戦争反対のデモ行進が各地で開催された。私が住んでいたニューヨーク市でも数十万人規模の巨大なデモが企画された。たまたまコミュニティ・オーガナイジングの授業と同じ時間帯にデモが開催されたため、院生を組織して、全ての授業を休講にするように教員に交渉し、授業をボイコットしてデモに参加した。教員も協力的で、一緒にデモに参加した教員もいた。デモに対して通常警察は寛容な態度であるが、イラク戦争反対デモの時は緊張的な雰囲気があった。そのため、弁護士のクラスメイトから、警察に捕まった時の対応方法や連絡先などについて事前のレクチャーがあった。留学生だった私には、捕まると国外追放の可能性もあるので、そのリスクを承知で参加することが伝えられた。

 そのようなリスクがあったとしても、自分たちの信条を訴えるために公共の場でメッセージを発信する行為はなんとも言えない充実感がある。世の中の間違いを飲み込まずに、間違いを堂々と指摘するために行動を起こすことは、心と体が一致して、さらに自分と周囲の身体も一体となり、対抗的な手段であるが、安全な気持ちになる。

 しかし、どのようなデモに参加しても同じ感覚が得られるとは限らない。むしろ、デモの目的と自分の価値観が一致しないデモに参加すると、心身がかなり消耗してしまう。その嫌な感覚を知っているので、人を動員するようなデモに私は断固反対であるし、デモに限らず、公共的な取り組みに人を動員することに対して強い拒否反応がある。

 そう考えると、人々がデモにもっと参加するようになると、逆説的に聞こえるかもしれないが、人を動員する慣習が減少するという効果が期待できるのかもしれない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.70

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第268号,2023年6月.

実践の糧」vol. 70

室田信一(むろた しんいち)

 私は普段髭を生やしている。髭の形などに特にこだわりはないし、髭をさっぱり剃ることもあるが、最近はなんとなく口髭と顎髭を蓄えていることが多い。

 そもそも髭を生やし始めたきっかけは、アメリカ留学時のことである。友人とバーやクラブに出かけるときなど、入り口で身分証明書を確認されることがある。大抵は屈強な男性が入り口で待ち構えていることが多い。厳格なタイプの人は身分証明書を一人ずつ確認するが、多くの場合は見た目で判断して通してくれる。ちなみに私がいたニューヨーク州は飲酒年齢が21歳以上なので、21歳になるまでは身分証明書がなければ入店できない。しかし、アジア人は若くみられるので、40代でも身分証明書を求められることがある。そのため、入り口で止められずにお店に入る手段として髭を生やしていた。

 そのようなシチュエーション以外にも、周囲から年齢相応に見られるために髭を生やしていた。それ以来、20年以上髭を蓄えている。

 そうしたなか、今年になって法事が重なり、1週間ほど髭を剃り続けることがあった。すると、普段髭を生やしている部分がだんだん痛くなってきた。そのことで思い出したのは、髭を生やしたきっかけは海外で大人っぽく見られるためであったが、その後、髭が濃くなってくると、カミソリで肌を傷つけないために髭を伸ばすようになったことである。30代からは口髭も濃くなり、生やすようになった。

 そこで思ったことは、あることが成立する背景に身体的・物理的な理由があるにもかかわらず、その理由はいつしか忘れ去られ、慣習だけが残るということだ。その慣習には物語(私の場合、大人っぽく見られるために髭を生やす)が加えられ、その物語によって自分も他者も説得される。

 実は社会や地域の多くのものごとは身体的・物理的な条件によって成り立ってきたにもかかわらず、そうした起源は忘れられてしまい、慣習と物語によって上塗りされていることが少なくないのではないだろうか。

 自治体の中の圏域設定などはその典型例かもしれない。物理的な距離や地形(河川や街道、坂など)の条件によって集落が作られてきたところに、お祭りが始まったり、住民活動が生まれたり、人が集まる拠点が設けられたりすることで、いつしかそこに住民の帰属意識が形成されてきた。しかし慣習としての地域性にのみ着目してしまい、地理性を無視して人口減少による圏域の統合がおこなわれたり、新たな地区割が設けられたりすることがある。そうすると、人の身体的・物理的な感覚として、新たに統合された圏域を同じ地域として感じることができなかったりして、住民から不満が出たり、結局、新たな圏域単位での活動は進展しなかったりすることがある。地域福祉の世界ではありがちな話である。

 今回、髭を剃って気づいたことは、自分の身近な身体的な理由さえも忘却され、物語で上塗りされていたことである。そうであれば、地域のことや、さらにはもっと大きな単位の自治体や国などにおけるものごとの起源にある身体性や物理性はすっかり忘れられてしまっていて、変更が加えられた時に、特定の誰かに無理を強いる仕組みになってしまっているかもしれないということである。新たな慣習に慣れれば良いという問題ではないのだ。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol.69

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第267号,2023年4月.

実践の糧」vol. 69

室田信一(むろた しんいち)

 前回は、誰も望んでいないのに、勘違いや失敗、意思疎通の不備などにより、ニーズと資源が結びつかない状況が生み出されてしまうことがあり(それをここでは「人災」と呼ぶ)、そのような状況に対する二つの対応方法について整理した。

 一つは、そのような「人災」が生み出されないような、すなわち、人が勘違いや失敗をしないような環境を整える方法である。モノや仕組みのデザインによって、人と人が協力し、結果として望ましい環境が生み出されるように促すアプローチである。この対応方法の特徴は人の無意識に働きかけることである。人が自ら望んで「人災」を招くことはない。意図せざる結果として「人災」が起こるのであれば、そのような「人災」が起こらないような「防災」の環境を整えればよいわけである。

 もう一つは、自らが起こしてしまう失敗や勘違いに意識的になることで、「人災」を起こさないようにする方法である。この対応方法と前者の大きな違いは、前者が人の無意識に働きかけるとしたら、こちらは意識に働きかけることである。心理学では人の行動の大部分が無意識によって支配されていると説明されるが(そのため、望まない勘違いや失敗、意思疎通の不備などが起こる)、その無意識の領域を少しでも意識によって取り戻そうとするのが後者のアプローチである。

 前者の方法により「人災」が起こりにくい環境が整ったとしても、全ての「人災」が未然に防がれるわけではなく、また後者の方法によって「人災」を起こさないように意識しても、やはり「人災」は起こってしまうものであり、いずれの方法でも「人災」がなくなることはない。では、あなたはどちらのアプローチを取るのか。

 両方のアプローチを組み合わせることが最善策であるが、近年はナッジなど、前者のアプローチに注目が集まっているように思う。しかし、人々がパワーを獲得するという観点から比較するとき、私は後者のアプローチが重要であると考える。

 たとえば、人が生活を営むことで特定の人が不利を被るような環境があるとする。そうであれば、そのような不利な状況が生み出されないように人々を誘導すれば良いというのが前者のアプローチであるが、当事者であるその社会の構成員は不利な状況が生み出されていたことも、それが改善されたことも意識しないうちに「人災」が防がれていることになる。このアプローチの問題は、何が不利な状況なのか、そしてどのよう状況が改善された状況なのか、社会を設計する立場の一握りの人間がコントロールしていることである。当事者である社会の構成員の大多数はそのことを意識することもなく、環境が変わっていることになる。それは自転車置き場のような物理的な環境かもしれないし、難病申請の手続きや地域住民同士が知り合う機会のような仕組みかもしれない。そもそもその設計に携わっている一握りの人間が「人災」に対してどこまで意識的なのかも怪しいものである。

 そう考えると、(自らが「人災」の原因の一部かもしれない)当事者が、自分が置かれた環境に意識的になり、その環境でとる自分の行動や言動、社会への関わり方、他者への関わり方、そしてその背景にある自分の価値観に対して意識的になる過程が大事であり、その過程を通して人々がその環境を少しでもコントロールできると感じることがパワーになるのではないだろうか。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。