シリーズ『実践の糧』vol. 4

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第201号,2012年4月.

実践の糧」vol. 4

室田信一(むろた しんいち)

 


今号では私がニューヨークで最初に出会ったコミュニティ・オーガナイザーとのエピソードを紹介したい。199号でも書いたように、彼は私の留学先のニューヨーク市内で活動するNPOでソーシャルワーカーとして勤務しながら地域で別のボランティア活動をおこなっていた。私はそのボランティア活動に参加したことがきっかけで地域活動に関心をもつようになり、彼が修了した大学院へ進み、最終的には彼と同じ職場に就職して同僚となった。彼と出会わなければこんにちの私はないだろう。

ボランティア活動では主に多文化共生社会の実現を目的に、交流イベントの開催や新聞の発行、ワークショップの開催などをおこなっていた。そもそも私がこのボランティア団体を知ったのは、地元のレストランで突然コロンビア人2人に新聞記事のためのインタビューをされたことだった。たしか、「外国人のあなたが地域の公園の改修計画に意見することができると思いますか?」という内容だったと思う。その場で私は「留学生の自分が意見することはできないと思う」と答えたが、その質問が一晩中頭の中をめぐっていたことを覚えている。

数ヶ月後にはその新聞の編集に携わるようになり、できた新聞を路上で配布したり、ポスティングしたりしていた。新聞の編集を含め、そのボランティア活動で中心的な役割を担っていたのが私の師ともいうべきコミュニティ・オーガナイザーであった。

ある日、その彼(ここではマイクとしよう)とメキシコ人の別のボランティア(同様にホゼとする)と3人で新聞配布をしたあと近くの喫茶店でお茶をしていた。話題がホゼの仕事のことになり、お金をしっかり稼がないと自分も家族も幸せになれないと主張するホゼの話を私とマイクは共感しながら聞いていた。しかしマイクはホゼに対して「君のいっていることはよくわかる。ただ、僕は賛同しない」と切り返した。別に議論したいわけではなく、自分の立場を明確にしただけのことであるが、私にはそのマイクの態度が新鮮であった。喫茶店での会話であれば、にこやかにうなずいて聞き流せばいいのに、あえて自分の意見を主張した。さらに驚いたことは、マイクの話を聞いたホゼが、最終的にはマイクに同意していたことだ。

日々交わす何でもない会話が実は大切な価値観の擦り合わせの機会なのだと知ったと同時に、意見の相違を恐れず自分の立場を明確にすることが信頼できる人間関係の礎となるのだと学んだ。 

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 3

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第200号,2012年2月.

実践の糧」vol. 3

室田信一(むろた しんいち)


最近メディアなどで頻繁に取り上げられている気鋭の社会学者、古市憲寿氏の『希望難民ご一行様—ピースボートと「承認の共同体」幻想』を読んだ。読みやすい文体で現代の若者が抱いている世界観を若者当事者の視点から描き出している。失われた10年最後の年に、学卒後も生活基盤を親に依存する「パラサイト・シングル」という言葉が注目されるようになり、日本における若者研究が盛り上がりをみせた。日本経済の停滞、派遣労働など不安定雇用の増加、セーフティネットの機能不全といった日本の社会問題と同調するかたちで、近年の若者研究者は若者が直面している「不幸な」状況を描き出すことを試みてきた。それに対して古市氏は異なる視点を提示している。古市氏によると現代の若者は、先進国日本が築いてきた遺産を享受し、そこそこ幸せな生活を送ることができている。しかし大人からは、志を高くもち日本社会を良くしていくことを求められている。現代の若者は、そうした「解決策のない難問」を突きつけられながら希望をあきらめる機会を逸してしまっているという。つまり、社会を変えるなどという大志さえ抱かなければ、日本社会は若者にとってさほど悪い社会ではないというのが氏の主張である。

なかなか斬新だ。古市氏のこの主張に共感する人はどれほどいるのだろうか。むしろ、共感する・しないが若者と大人の境界線なのかもしれない。筆者はどうかというと、以前は共感していたかもしれない。日本のような希望のない国でつぶされるのはごめんだと思っていた。誰の目から見ても社会の歯車がずれているにもかかわらず、誰もそれを正そうとしていない。高校生の私の目に日本社会はそう映り、アメリカ留学を決心した。古市氏が著書の中で取り上げているピースボートに乗船する若者と動機は変わらなかったように思う。

しかし、私が乗り込んだ「ボート」は世界周遊で終るものではなかった。そこには本気で社会を変えようと、草の根の活動を繰り広げているニューヨーカーたちがいた。ニューヨークという資本主義の象徴のような街で、人間味あふれる地域の実践によって現実社会を少しずつ変えている老若男女がいた。私が思うに、希望とはそういうものだと思う。社会は簡単には変わらない。そんなことはみんな分かっている。それを分かったうえで、今自分にできることに取り組み、同じ志をもつ人間とビジョンを共有する。そこにあるのは「あきらめ」ではなく、まぎれもなく「変革の一歩」である。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

シリーズ『実践の糧』vol. 2

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第199号,2011年12月.

実践の糧」vol. 2

室田信一(むろた しんいち)


 皆さんは夜中に暴走族の騒音で目が覚めたらどう思うだろうか。その反社会的な行為に腹を立てるだろうか。私の場合「お、やってるな」と微笑ましく思う。なぜなら彼らが奏でる騒音はこの生きにくい社会に対する彼らなりの痛烈な批判であり、メッセージであるからだ。世の中に不満を抱えていても、それを堂々と表現することは容易ではない。つい愚痴っぽくなったり、発散する機会がなく鬱屈したり、殻に閉じこもったりしがちだ。こんにちの日本社会で不満を堂々と表現することは珍しいことであり、それを組織的かつ継続的に実践する彼らを頼もしくも感じる。しかし、彼らの手法は俗にいう「反社会的」なものであり、ときに法に反するものであるため、政府の取り締まりにより中断されることがしばしばである。もし彼らが本気で社会を変えたいと思うのであれば、彼らが選んでいる戦略は必ずしも効果的なものとはいえない。

 私が留学先のニューヨークで初めて出会ったコミュニティ・オーガナイザーは本気で社会を変革しようとしていた(そして今もしている)。彼は日本の暴走族同様、彼を含む多くの人にとって生きにくい今の社会に憤慨しているが、彼がとる戦略は暴走族のそれよりもずっとずる賢いものだ。第一に彼は法を犯すことで自分を不利な立場に追い込むことはしない。むしろ、これまでに人間がつくってきた社会のルールにのっとり、そのルールを最大限に活用する。さらには、そうしたルールを決定する人間をも仲間として引き込む。完全な仲間になれないのであれば、合意を形成し、期間限定の協力関係を構築する。

 彼は自分の行為や言動に対して真摯で、新たな知識を得ることにどん欲で、そして人の可能性に対して前向きである。多くの人に愛され、信頼し合える仲間に囲まれている。彼が望みさえすれば社会的な地位や名声を得ることは難しくないと誰もが思う、そのような人物だ。しかし、彼は地位や名声に微塵の興味も示さない。

 彼は知り合った当時から今に至るまでニューヨーク市内の福祉系NPO(セツルメント)で勤務している。その彼がNPOの仕事以上に熱心に取り組んでいることは地域でのボランティア活動だ。彼はそのボランティア活動をとおして社会を変えようと試みている。彼は社会とは変えられるものだと信じ、そのための確実で具体的な方法を探りながら生きている。もちろん非暴力的な方法だ。次回はそんな彼とのエピソードをもう少し書きたいと思う。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

大きな木の話

むろたしん1


これは一つの島国の話です。

この島は長い間、自然環境に恵まれ、人々は大地の恵みを受け生活してきました。

文明が発達するに連れ人々は自然に左右される事なく自分達で環境を作り出す事に努め始め、なかでも賢知に勝れたもの達は、大きな大きな木を育てる事に成功しました。この木の出現とともに、人々は大地をあとにし、この一本の大木に移り住む事を選びました。

ある者は木登りに長けているがゆえに、肥えた実のなる木のてっぺんに住み、果実を有り余るほど得る事ができ、それは大地で暮らしていたときとは比べ物にはならないほどの量でした。この大木に移り住んだものの多くはその根元で、熟れて落ちてくる果実を得て暮らしました。彼らは木のてっぺんに住んでいるものに比べると、そのほんの一握りの収穫しか得る事はできませんでしたが、それでも皆、その木への信仰を失うことなく、幸せに満足のいく生活でした。なかには大木の幹に住み、てっぺんほどの収穫がないにせよ、それなりの収穫を得るものもいました。

この大木は四季の移り変わりにも強く、一年中まんべんなく、多くの人に富を供給する事ができ、根は大地に強く突き刺さり、養分と水分を十分に吸収する事ができました。

そんな幸せな日々に人々が慣れてしまったころ、果実の収穫が突然落ち込みました。木の住民は必死になって原因を追求しようと、さまざまな研究を繰り返しました。特に、木のてっぺんに住んでいるグループは、それまで収穫時には敵対していたにもかかわらず、何とか今まで通りの収穫を得られるようにお互い協力し合いました。

そんな努力も然る事ながら、木は日に日に花を散らせ、実をしぼませていきました。もちろんてっぺんに住んでいる極少数は、今までの蓄えもあれば、少ないながらもそれなりの収穫を得る事はできました。木の根元の住人は、木登りのすべを習得しようと必死になる傍ら、落ち葉を集めてシロップを作って飢えをしのぎました。

大地で暮らす術を忘れ、大木に頼って数世代生きてきたこの島の人々はもう、この大木無くしては生活を継続する事すら不可能となったのです。

落ち葉からの養分を得る事のできなくなった大木は、ただただ弱く、細くなり、その根は木のてっぺんに極少数の実をもたらす事がやっとの程でした。

それまで根元で満足していた人々は、何とかその極少数の実を入手する方法ばかりに目が行き、だれもその根の大切さに気づこうとはしませんでした。大木は日増しに弱くなる一方で、人々は残り少ない果実を求め、その細く、朽ちはじめた幹を、他人を蹴落としながら登っていきました。

年老いた者や女、子供たちは、所詮体力のある青年男子にはかなわず、その青年男子達も、自分の分け前を得るためには厳しい競争社会を生きてゆかねばなりません。それでもまだ人々はこの木への執着が強く、いつかはまた強い根が生え、あまるほどの収穫を提供してくれる事を夢見ています。そして、その日がいつか来るまで、特に具体的な行動に出るわけでもなく、質素な暮らしをして堪える毎日を送ります。

もうこの島の人間には自分で人生を変える事ができなくなってしまったのです。この大木という束縛から抜ける事ができなくなりました。なぜなら、彼らにとってはこの大木が世界そのものだからです。彼らの教育は木登りする術を教え続け、この大木と共に暮らす方法のみを数世代伝え続けてきたのです。誰一人として、この大木が枯れる事など考えませんでした。ましてや木のてっぺんにいた者などは根の存在すら知りませんでした。

シリーズ『実践の糧』vol. 1

掲載:『つなぐ』寝屋川市民たすけあいの会,第198号,2011年10月.

実践の糧」vol. 1

室田信一(むろた しんいち)


今号から「つなぐ」の紙面に私の文章を掲載していただくことになった。
読者が寝屋川市民たすけあいの会会員の皆さまということで、いささか緊張するが、同時に大変光栄なことであり、楽しみでもある。今のところ、連載期間が提示されているわけではないので、私の気力と体力が続く限り務めさせていただきたいと思っている。

さて、連載を担当するにあたり、コーナーのタイトルを「実践の糧」と銘打たせていただいた。私の人物像や略歴に関しては、連載を通して追々お伝えしていこうと思っているが、この連載では、私がアメリカと日本で経験してきた社会福祉(とりわけ地域福祉)の実践について、私なりの考えを書かせていただこうと思っている。願いとしては、この連載が、社会福祉の実践に携わっている人や地域で様々な活動に関わられている人にとって、励ましや刺激となり、また気づきや学びを得る機会となることである。当然、皆さまからフィードバックをいただくことで、私にとっても同様の機会となることを期待しているし、実践者の養成教育や福祉の研究に携わる立場としては、そのような学び合いが、日本の社会福祉の底上げになるものと信じ、筆をとっていく所存である。

つまり、「実践の糧」というタイトルには、この連載が実践に携わるものにとっての「栄養」になればという私の思いが込められている。ちなみに、インターネットで検索すると、同様の表現を用いている文章がいくつか散見されるものの、慣用句として使われている形跡はない。「思考の糧」という言葉はよく使われるが、「実践の糧」というコンセプトはこのコーナーを通してこれから売り出していきたいと思っている。

前置きが長くなってしまい、本題に触れるには紙幅が限られてきてしまったので、今回は残りのスペースを利用して次回以降で執筆する企画について若干触れさせていただくことにする。

まず次回は、私が福祉の道にどっぷり浸かるきっかけとなったある人物の紹介から始めさせていただく。既述のように、私はアメリカと日本でソーシャルワーカーとして仕事をしてきた経験がある。アメリカのニューヨーク市でコミュニティ・オーガナイザーという仕事に携わり、日本では大阪のコミュニティソーシャルワーク事業にかかわってきた。それらの仕事を通して、現場で活躍する魅力的なワーカーたちに出会ってきた。この連載では、そうしたワーカーたちの紹介も企画している。

現在、日本では、税と社会保障の一体改革が進められている。超高齢化社会に突入するという背景もあり、日本の社会保障費は増加傾向にあるが、実態をみれば、日本の福祉は限られた財源で推進されている。そうした厳しい状況を支えているのは現場のワーカーたちである。そうしたワーカーたちへのエールとなるような連載にしていきたいと考える。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

地域における専門職の位置

掲載:科学研究費補助金研究事業 報告書『●』2010年●月●日,●.
「地域における専門職の位置」

室田信一(日本学術振興会/同志社大学大学院)


以下では、アメリカでコミュニティ・オーガナイザーとして勤務経験をもつ筆者の問題意識と、地域福祉(もしくはコミュニティ・オーガナイジング)を研究する上で筆者が留意する点について講演内容をまとめる。

①社会福祉の「対象」
日本で「社会福祉の対象」という時、一般的に高齢者や障がい者、児童、母子世帯、貧困世帯、外国人などを指すことが多いが、それらは社会的に規定された福祉の対象である。民主主義国家の政府は、すべての国民に対して平等なサービスを提供すること、もしくは多数の承認を受けてある特定のグループに対する限定的なサービスを提供することはできるが、社会的な承認を受けていない特定のグループに対して限定的なサービスを提供することはできない。そのような意味において国家は2つの福祉対象をうみだす。1つは国家(国民)によって承認を受けた対象であり、もう1つは承認を受けていない対象である。したがって、福祉の実践は、承認を受けたものに対するサービス等の支援と、承認を受けていないものを承認するためのアドボカシー等の支援に分けることができるだろう。
つまり、地域福祉の実践は、そのようにサービスなどの給付政策を推進する実践と、国家による承認を要求する実践とに分別することができる。前者はシステムの内側としての性格、後者はシステムの外側としての性格をもつ。

②ソーシャル・インクルージョンという落とし穴
数年ほど前から、社会福祉の領域でソーシャル・インクルージョン(もしくは社会的包摂)という考え方が注目を集めてきた。従来、社会的に承認を受けていない対象を擁護する福祉実践とは、上述したようにシステムの外側から承認を要求するアドボカシー実践であった。それに対してソーシャル・インクルージョンとは、既存の福祉制度や民間の実践を拡大し、これまで福祉の対象とみなされてこなかった集団に対してもそれらのサービスを提供するというものである。
なぜそのようなソーシャル・インクルージョンという考え方が登場したのであろうか。1つの理由は、社会福祉サービスが民間委託されるようになり、システムのゲートキーパーが公的機関から民間事業所や地域の諸活動へと転換したことである。その結果、地域でサービスを提供する民間組織はシステムの外側としての性格を弱め、システムの内側としての性格を強めた。したがって、ソーシャル・インクルージョンという考えは、多様な社会福祉の対象に「手を差し伸べる」ものとして肯定的にとらえられるが、実はそれはメインストリームへの包摂であり、多様な生活のあり方を否定するものとして解釈することができるのである。1970年代、肥大化した福祉国家は、ハーバーマス(Habermas, J.)やオッフェ(Offe, C.)などによって「生活世界の植民地化」や「国家の市民社会への侵入」などと批判された。福祉の民間化が進んだ昨今、私たちは同様の指摘が民間団体に対してもあてはまることを認識しなくてはならない。

③コミュニティ・オーガナイザーの二面性
1960年代、アメリカの連邦政府が推進した「貧困との戦い(War on Poverty)」によって全米各地で反貧困事業が推進された。当時の活動は、事業の目標としても設定されていたように、貧困地区の住民の政治的参加(特に事業を通した活動への参加)を促すものであった。しかし、そうした活動は、1980年代以降連邦政府の補助金が削減されると、住民参加を促進するものから政府による事業を受託するものへと転換した。
1960年代から70年代の民間活動におけるコミュニティ・オーガナイザーの役割はシステムの外側からシステムに対して働きかけるものであったが、1980年代以降になるとシステムの内側においてサービスをコーディネートするものやサービスをマネジメントすることが中心になった。前者における実践はソーシャルアクションやコミュニティ・ディベロップメントが中心であったのに対し、後者における実践はコミュニティ連携(community liaison)やソーシャル・プランニングなどの実践が主流となった。
ここで強調したいことは、コミュニティ・オーガナイザーがどちらの側に立つかということではなく、二つの顔を使い分けるということである。確かに、コミュニティ・オーガナイザーの役割はその時代の政策によって規定される傾向にあるが、これまでの実践から培われてきた実践モデルを駆使することで、コミュニティ・オーガナイザーは政策の変化に対して能動的に対応することができるだろう。
具体的に、コミュニティ・オーガナイザーはシステムの内側からサービスを調整し、地域住民のニーズを充足するように働きかけ、一方で提供する資源が十分ではない時や、そのサービスに対して社会的な承認が得られないときに、システムの外側から要求を投げかけるのである。
このようなコミュニティ・オーガナイザーの二面性は「内部・外部戦略(insider-outsider strategy)」と呼ばれる。筆者は、そうした二面性(もしくは多様な実践モデルを駆使すること)がコミュニティ・オーガナイザーの専門性と考える。すなわち、コミュニティの必要に応じて、役割を柔軟に変化することができるか、政策との関係で戦略を巧みに使い分けることができるか、そうしたコミュニティ・オーガナイザーの専門性こそが成熟した地域福祉の展開を担保するものと考える。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

悩む事業

掲載:『社会貢献支援員文集』2009年3月.
「悩む事業」

室田信一(同志社大学大学院/日本学術振興会)


2008年のベストセラーに姜尚中さんの『悩む力』という本がありました。近年、うつ病や心の病のことがメディアなどを通して日常的に取り上げられるようになり、それらの言葉が持っていた「病人」や「負け組」といったニュアンスが薄れてきたように思います。しかし、「悩む」という行為に対するネガティブなイメージは未だに払しょくできていないように思います。そうしたなか、姜さんが『悩む力』のなかで「悩む行為」のポジティブな側面に光を当てたことは、多くの人に勇気を与えてくれたことと思います。

なんでこんなことを社会貢献事業の文集に書くのかというと、私は、社会貢献事業と悩むという行為は、切っても切り離せない関係にあると思うからです。社会貢献事業は、基金によって経済的な支援を提供することや、制度の狭間といわれる課題に対して積極的に働きかけることで注目されてきました。また、コミュニティソーシャルワークという言葉の新しさから多くの人の関心を集めました。しかし私は、社会貢献事業がこれまでの社会福祉事業と異なる最大の点は、その事業が悩みながら進められてきたことだと思うのです。

私たちの生活とはジレンマの連続で、悩みに満ち溢れています。ですから、ソーシャルワークとはそうしたジレンマの上に成り立つものだと思います。例えば、「あなたは、家族と友人、恋人、仕事、お金、名誉のなかで何を一番優先しますか」という質問をしたら、人によってその答えは様々でしょう。また、同じ人でも時と場合によって違った答えを選ぶかもしれません。人間の価値観とは多様なもので、また時間とともに変化するものです。

だからこそ、私たちの生活はそうしたジレンマに満ちていて、私たちは日々そうした悩みを抱えて生きているのです。そもそも、そうした選択肢の中で優先順位を決めること自体がナンセンスかもしれません。しかし、私たちの人生には、何かしらのアクシデントでそうした究極の選択を迫られることがあります。社会貢献事業が受けた相談の中には、クライエントが究極の選択を強いられ、にっちもさっちもいかなくなり、困った挙句、支援を求めて社会貢献事業に相談をしたというケースが多かったと思います。

私が社会貢献支援員として勤務させていただいたのは1年間と短い期間でしたが、その間にもたくさんのケースにかかわらせていただきました。要介護高齢者のケースや母子家庭、障がい者とその家族、疾病、虐待など、それらのケースが抱える主訴は様々でしたが、どのケースも多重債務や保険料未納、家賃未納といった経済的な困窮を同時に抱えていることが多かったように思います。そして、それらのケースの多くは、基金を用いて経済的な援助を提供すれば解決するようなケースではなく、常に複雑に絡み合った家族関係と向き合う必要がありました。

社会貢献事業は、社会保険制度や社会サービスなど既存の社会保障制度では対応できない、制度の狭間のケースに対する新しい事業と考えられていますが、既存の制度と大きく異なる点があると思います。それが、「悩む」という行為です。

既存の制度は、悩む必要がありません。なぜなら、線引きが比較的明確だからです。「このケースは生活保護制度の範疇である」とか、「このサービスには介護保険が適応する」など、既存の社会保障制度は線引きがなされます。日本全国どこに行ってもおなじ社会保障制度を受けることができるわけですから、この線引きは必要でしょう。その代わり、とても機械的になります。そして、その線引きから外れてしまった当事者は、機械的にその事実を伝えられて終わりです。

社会貢献事業に携わって最も感動したことは、ものごとが機械的に判断されないということです。それでは、社会貢献事業が何を判断材料にしていたかというと、それは専門性だったのだと思います。就職時の研修に加え、定期的に開催される会議と研修、さらには実践を通した知識と技術の伝達、スーパービジョンと、社会貢献事業の中には専門性を高める機会があふれていたように思います。

それでは、社会貢献事業にとっての専門性とは何でしょうか。どのようにすれば限られた資源を駆使して事業が掲げるミッションを遂行できるかを熟考し、完璧な答えではなく、最適な答えを導き出すこと、そうした努力の中にこそ社会貢献事業の専門性が蓄積されるのだと私は思います。その最適な答えを導き出すためには、多くの知識と技術、ネットワークが必要ですし、創造力やあきらめない心、正義感、優しさなどが必要でしょう。そして、何よりも悩むことが必要です。悩むという行為は、悩むことを共有できる環境、一緒に悩んでくれる仲間、そうした悩みを通して専門性を高めていこうという意志によって可能になります。

社会貢献事業は、そうした悩む行為を丁寧におこなっていた事業です。ですから、事業を推進してきたスタッフの悩む力抜きには、社会貢献事業の成功は考えることができないと思います。また、社会貢献事業の援助を享受した人々は、相談援助や経済的援助に加えて、ともに悩むという援助を受け、自身の悩む力を醸成することができたのではないかと思います。

短い期間でしたが、ともに悩む時間を共有してくれた同僚の皆様にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。そして、社会貢献事業が、実践を通して示した5年間の悩みの蓄積は、日本の社会福祉にとってかけがえのない財産になったと思っています。これからも、皆さんとともに悩みながら日本の社会福祉を盛り上げていきたいと思いますし、悩む力をさらに広げていくことができるように尽力したいと思います。

ありがとうございました。

※上記の文章は文集の転載になります。

 

アメリカのNPO

掲載:『日本都市計画学会関西支部だより』23,2009年3月,11.
「アメリカのNPO:進化するCBO事情」

室田信一(同志社大学大学院/日本学術振興会)


アメリカでコミュニティ・ブーム再来!?

アメリカでオバマ新政権が誕生した。オバマ大統領が、以前コミュニティ・オーガナイザーであったこと、彼の選挙活動が草の根のボランティア活動によって支えられていたこともあり、全米で「コミュニティ」に注目が集まっている。

古くはトクヴィルによって紹介された農村コミュニティ、ジェーン・ジェイコブスの考えた都市コミュニティ、近年ではパットナムによって示されたアメリカのコミュニティと、アメリカのコミュニティ像は多様な形態で日本に紹介されてきた。また、情報化社会においては、ヴァーチャル・コミュニティの存在も忘れてはならないだろう。オバマ大統領の選挙活動の勝因は、草の根におけるボランティア活動とインターネットを用いた広報活動にあったといわれている。このように、アメリカのコミュニティ事情は常に変化に満ちているが、以下では、近年の動向の一側面を紹介することにする。

コミュニティ・ベースト・オーガニゼーション(CBO)とは

今回紹介するCBO(Community-based Organizations、ちなみに英語では、CBOsと表示されることが多い)とは、文字通りコミュニティを基盤に活動する団体のことである。CBOという呼称は、法的に位置づけられたものではなく、コミュニティを基盤に活動をおこなう民間組織の総称である。また、CBOは、政府の委託事業や補助事業に携わり、福祉や都市開発など公共性の高い活動に従事しているが、必ずしも非営利組織であるとは限らない。

CBOという言葉が一般的に用いられるようになったのは1960年代以降のことである。「貧困との戦い(War on Poverty)」と呼ばれる法律のもと、連邦政府による政策として、コミュニティ・アクション事業やモデル・シティ事業が推進された。それらの事業により、低所得者やマイノリティが多く居住する地区を中心に、住民参加を通したまちづくりがすすめられた。そうしたまちづくり事業に対して、連邦政府の補助金が提供されたことも助け、1960年代以降、特定の地理的コミュニティを基盤に、都市開発や、住宅開発、職業訓練、雇用開発などに従事する組織が増加した。

コミュニティ・ディベロップメント・コーポレーション(CDC)の興隆

そのようにして、まちづくりを推進するために新たに設立された団体の多くは、CDC(Community Development Corporation)という非営利組織にあたる。当初CDCの財源の多くは、連邦政府による補助金によって賄われていたが、1980年代以降、政府からの補助金額は減少し、CDCの収入源は、政府事業の外部委託が主流となった。同じ政府から受け取るお金であっても、市場原理の中、委託契約の対価として受け取るお金の性格はまったく異なるものであった。CDCがその活動を継続するためには、他の団体と競い、より多くの契約を勝ち取ることが求められた。その結果、CDCの中には、組織の規模を著しく拡大するものや活動内容を多様化するものが出現した。

失われつつあるCBOの垣根

主として住宅開発や地域開発を推進してきたCDCであったが、近年その活動の幅を社会サービスの領域に広げつつある。そもそも、就労訓練や、住宅相談、法的な支援など、福祉的なサービスを提供することはCDCの事業の一環であった。しかし、近年では、住民のニーズにこたえるべく、移民向けの英語クラス(成人教育)や、高齢者向けのサービスなどを提供するCDCも増えてきている。住宅開発に限らず、アメリカでは近年、社会サービスの民間委託が急激に増加している。そうした事業の受託団体として、地域を基盤として活動する非営利組織であるCDCに白羽の矢があたったのである。

一方、CDCが社会サービスの提供に力を入れ始めたように、これまで社会サービスの提供を主な活動としてきたCBOが住宅開発に着手するようになったケースも少なくない。アメリカでは100年以上の歴史をもつCBOとしてセツルメントがあるが、そうしたセツルメントの中にも、低所得者向け住宅の指定管理を受けるものや、アフォーダブル住宅を開発するものも出てきた。

民間委託時代のCBO

近年のCBOの活動は、委託契約という文化によって特徴づけられている。その組織が掲げてきた理念や地域のニーズではなく、政府がその地域でどのような事業を外部委託しているかということが、CBOの活動内容を決定している。CBOという言葉も、「地域を基盤に活動する団体」という意味から、「地域住民に対してサービスを公平に提供する団体」というニュアンスへと変わりつつあるように思われる。オバマ大統領は、選挙活動で草の根活動の可能性を示してくれたが、今日のCBOに草の根の活動を展開する余力は残っているのだろうか。実は、CBOの中には、政治的な影響力を取り戻すべく新たな取り組みがすでに始まっていて、そこには、新たな技術も蓄積しつつある。今後も、アメリカのCBOの動向から目が離せない。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

[新刊紹介]地域福祉の国際比較

掲載:『同志社時報』第128号,2009年10月1日,84.
[新刊紹介]井岡勉・埋橋孝文編著
『地域福祉の国際比較―日韓・東アジアモデルの探索と西欧モデルの比較―(現代図書)』

評者:室田信一(同志社大学社会学研究科博士後期課程)


1980年代以降、多くの先進資本主義国家では地方分権化と社会サービスの民間委託が推進された。その結果、1990年代後半から地域における公的機関と民間組織の協働実践が社会福祉における主要なテーマとなった。よって、今日の文脈で地域福祉を語ることは、単なる民間によるボランタリーな活動の紹介や社会サービスの供給現場におけるルポルタージュにとどまらないのである。

そのような背景を踏まえ、欧州の福祉国家と日本を含む東アジアの国家における地域福祉実践の比較を通し、地域福祉の東アジアモデルを探求することを目的に実施された研究プロジェクトの成果が本書である。福祉国家の国際比較枠組を素地に、地域におけるガバナンスや地方分権、公民パートナーシップ、社会的孤立の問題とそれに対するソーシャルワークの実践などの切り口から各国の地域福祉を分析している。

編者らも認めるように、本書は地域福祉における国際比較枠組の検討および比較のための試論の域を脱していないかもしれない。また、今後は国際的に通用する地域福祉概念を操作化することも必要であろう。しかし、地域福祉が今日の社会福祉において重要なコンセプトであることは疑いのない事実であり、その実践は国民の生活にダイレクトに反映される。だからこそやや大胆であっても国際比較の観点から日本の実践を省みる作業は必要であろうし、また、本書はその第一歩として大変意義深い成果といえよう。

※掲載原稿と若干変更する場合があります。

博士論文概要

掲載『同志社大学大学院 社会福祉学論集』第26号,2012年,70-74.
博士論文概要「アメリカにおける福祉国家の政策とコミュニティ・オーガナイジングの力動―コミュニティ・オーガナイザーの役割分析を通して」

室田信一


題名 アメリカにおける福祉国家の政策とコミュニティ・オーガナイジングの力動―コミュニティ・オーガナイザーの役割分析を通して

目次

序章 問題設定と本論文が描こうとするもの
1.問題の所在と本論文の視点
2.本論文の構成と研究方法
3.日本の社会福祉研究における本論文の位置づけ

第Ⅰ部 コミュニティ・オーガナイジングの輪郭

第1章 アメリカ型福祉国家におけるコミュニティ・オーガナイジングの位置
はじめに
1.アメリカ型福祉国家とは
2.アメリカの非営利セクター
3.福祉多元主義を超えて
小括

第2章 アメリカのコミュニティとコミュニティ・ベースト・オーガニゼーション(CBO)
はじめに
1.コミュニティの概念整理
2.アメリカのコミュニティの変遷
3.CBOというコミュニティ
4.CBOの機能
小括

第Ⅱ部 コミュニティ・オーガナイジングをめぐる歴史的展開

第3章     アメリカのコミュニティ・オーガナイジング―実践の変遷

はじめに
1.分析方法と分析枠組み
2.コミュニティ・オーガナイジングの変遷
小括

第4章     コミュニティ・オーガナイジングの類型と戦略

はじめに
1.専門職主義とコミュニティ・オーガニゼーションの定義化
2.反専門職主義とロスマンの「3つの実践モデル」
3.統合論と学際化
小括

第5章 コミュニティ・オーガナイザーとはだれか
はじめに
1.ソーシャルワークにおけるコミュニティ・オーガナイザー
2.コミュニティ・オーガナイザーの実態
3.「新しい社会運動」とコミュニティ・オーガナイザー
小括

第Ⅲ部 ケース・スタディー Initiative for Neighborhood and Citywide Organizing(INCO)

第6章     コミュニティ・オーガナイジング・プロジェクト
はじめに
1.ニューヨーク市における住宅事情とANHD
2.INCO設立の経緯
3.INCOの経過
小括

第7章 コミュニティ・オーガナイザーの戦略的思考
はじめに
1.方法
2.結果
3.考察
小括

終章 コミュニティ・オーガナイザーのいる福祉国家
はじめに
1.曲がり角にきた福祉社会
2.分析枠組みの検証
3.「力動」から「戦略」へ


概要

本論文はアメリカ合衆国(以下,アメリカ)のコミュニティ・オーガナイジングを研究するうえで見逃せない3つの問題意識を探求するものである.
第1に,実践を抽象化した実践モデルや理論に着目するあまり,コミュニティ・オーガナイジング研究が現実から乖離してしまうことである.第2に,特定の事業を推進するための手段として,ワーカーが非人間化されてしまうことである.第3に,アメリカ型の福祉国家を分析するための視座として,コミュニティ・オーガナイジングの実践を含めることの重要性が十分に認知されていないことである.
以上の問題意識をふまえて,本論文はアメリカのコミュニティ・オーガナイジングを政府の社会政策との関係で再解釈し,今日のコミュニティ・オーガナイジングがどのような力動の中で展開されているかについて体系的に理解することを目的としている.全体の構成としては,まずコミュニティ・オーガナイジングを分析するための本論文の分析枠組みを提示し(第I部概要),次にコミュニティ・オーガナイジングの実践と理論(実践モデル),専門性について歴史的な再解釈をおこない(第II部概要),最後に今日におけるコミュニティ・オーガナイジングの実態を示し(第III部概要),終章で総括をおこなう.

コミュニティ・オーガナイジングの輪郭

第I部では,まずアメリカのコミュニティ・オーガナイジングの実践を分析するための枠組みについて検討する.従来のコミュニティ・オーガナイジング研究は帰納的な方法によって実践を分析してきたが,本論文ではコミュニティ・オーガナイジングを福祉国家(政府)と福祉社会(民間非営利セクター)の協働にかかわる実践として演繹的に分析する方法を採用し,ここではそのための枠組みを設定する.
社会福祉を政府のみならず多様な部門によって提供されるものとする福祉多元主義という考え方がある.その代表的な例はアメリカであり,特に対人サービスに関して民間非営利セクターが主要な役割を担っている点においてアメリカは特徴的な国家と考えられている.そのような福祉多元主義的な枠組みにおける政府と非営利セクターの協働関係は,1)福祉国家の給付国家としての側面にのみ注目しており,福祉国家の規制国家としての側面を軽視している点,2)静態的で非弁証法的であるため,両者の協働,すなわち税を財源としたサービスを供給することが「予定調和的」である点において限界があると考えられている.つまり,両者の協働は対立の関係にも立ちうることを含めて,動態的かつ弁証法的にとらえる必要があるのである.
そのように,民間によるコミュニティ・オーガナイジングの実践は政府の給付政策と共に規制政策にも深くかかわるものであるが,その実践の内容においても2つの側面が存在するといえる.1つは,政府に先行して,もしくは政府に代わって給付や規制を推進する,またはそれらの質を高める実践で,ここではそれらを推進実践と呼ぶことにする.もう1つは,政府によるより積極的な介入(給付と規制)を求める実践で,ここではそれらを要求実践と呼ぶ.すなわち,民間は推進実践と要求実践という異なるアプローチを組み合わせながら政府の給付政策もしくは規制政策に対して働きかけるのである.そこで本論文ではコミュニティ・オーガナイジングの実践を政府の給付政策に関わる「給付推進」と「給付要求」,政府の規制政策に関わる「規制推進」「規制要求」という4つの実践に分類し,それを分析枠組みとして設定する.

コミュニティ・オーガナイジングをめぐる歴史的展開

第II部ではアメリカのコミュニティ・オーガナイジングの実践と理論,専門性の変遷について,第I部で設定された分析枠組みを用いて分析をおこなう.
アメリカの政府と民間非営利セクターは歴史的に協働の関係に位置づけられてきたが,その協働の形態は歴史的に移り変わってきている.たとえばセツルメントであれば,設立当初の実践は,政府に先駆けて保育事業や教育プログラムを推進するものであったが(給付推進),20世紀に入るといくつかのセツルメントのリーダー達は政府に対して労働法や住宅法による規制の強化を要求するようになった(規制要求).以上はほんの一例で,政府と非営利セクターの協働関係には他にも多様な形態が存在する.ここで重要なことは,それらの実践はどれも連帯と承認という価値を具現化するための実践として解釈できることである.すなわち,対立的にとらえられがちなCBOによる要求実践であっても,それは国民国家における重要な承認のプロセスとして解釈することができ,政府は外部からの働きかけによって初めて福祉政策に対して積極的になれるのである.また,CBOは政府に先駆けて住民のニーズを充足するサービスを提供すること,もしくは,政府の政策にのっとり,政府に代わってサービスを提供することによって社会的な連帯の一端を担っているといえる.すなわち,CBOはその時代における社会的な状況,住民のニーズ,政府の政策にあわせて,異なる実践を展開しているのである.それらの実践には,政府による社会政策を先行するものと,政府による社会政策への対応として推進されるものとがあり,両者は相互に作用しているのである.
本論文ではそうしたコミュニティ・オーガナイジングの変遷に関する歴史的な分析をおこなうわけだが,同様に,コミュニティ・オーガナイジングの実践モデルがいかなる発展を遂げてきたのか,またそれと共にコミュニティ・オーガナイザーの専門性がどのように変化してきたのかについても分析をおこなう.
20世紀前半,CBOが「給付推進」の実践に対して積極的であった時期にはソーシャル・プランニングが主流なアプローチであり,1950年代後半の「規制要求」や1960年代の「給付要求」の実践が盛んにおこなわれていた時期はソーシャルアクション(もしくは社会運動)が主流なアプローチであった.1980年代以降になると,多くのCBOは政府の委託事業を担うようになり,それに伴いCBO間の連携を強化するコミュニティ連携や,民間によるアドボカシーを促進するための連合組織化などが登場するようになった.そのように,近年のアプローチはソーシャルアクションを基盤とする1960年代の対立的オーガナイジングに対して,地域や関係機関との連携と協力によって達成される合意形成型オーガナイジングへと移り変わってきている.
一方,そうした実践の中心にいるコミュニティ・オーガナイザーは,多様な実践モデルを駆使することでCBOの活動の舵取りをおこなっている.当初,コミュニティ・オーガナイザーという専門職はCBOの登場と共にソーシャルワークの中に位置づけられてきた.20世紀以降,ソーシャルワークにおいて科学的な援助方法にその専門性を求める傾向が強くなると,コミュニティ・オーガナイジングの専門性においても科学的な調査にもとづいた効果的な資源配分,すなわち「専門知」を専門性とみなす傾向が強まった.そうした傾向は公民権運動による社会変動を経て,1960年代になると,ソーシャルアクションにみられるような当事者性の擁護代弁やエンパワメントを専門性と考えるものへと180度転換した.いいかえると,福祉を提供するシステムの内側に専門性を位置付けていた1960年以前に対して,1960年代になるとシステムの外側から内部に対して要求をおこなうことを専門性として位置づける考えが主流になったのである.今日のコミュニティ・オーガナイザーは,そうして異なる発展を遂げてきた二つの顔を使い分ける新たな専門性を確立している.

「福祉の民間化」時代におけるコミュニティ・オーガナイジング

第III部では,以上でみてきたコミュニティ・オーガナイジングの実践およびその専門職の実態を把握する目的で,ニューヨーク市のコミュニティ・オーガナイジング・プロジェクトInitiative for Neighborhood and Citywide Organizing(以下,INCO)に関しておこなわれた調査の結果について分析と考察をおこなう.調査(インタビュー)は,コミュニティ・オーガナイザーの思考を分析する目的で,2007年8月~9月,INCOコミュニティ・オーガナイザーを対象に実施された.収集されたデータは文章化され,それをグラウンデッド・セオリー・アプローチによって分析した.
分析の結果,キャンペーンを推進するうえでINCOのコミュニティ・オーガナイザーが重視しているいくつかの特徴を確認することができた.第1に,草の根レベルにおける丁寧な参加の手続きを工夫していること,第2に,草の根の活動を市全域におけるアドボカシーへと発展させていること,第3に,個別のニーズを具体的なサービスへと結び付けていること,第4に,安定した草の根活動の基盤を形成するために連帯意識を醸成していることである.多くのコミュニティ・オーガナイザーは業務においてアドボカシーと個別サービスという2つの側面を共存させることの困難さを表したが,そうした困難はより丁寧な組織化と強固な連帯意識の醸成によって払しょくされていることが示された.以上の分析は,「福祉の民間化」というパラダイムの中で閉塞的な状況に追い込まれがちなCBOが,いかにして状況を打破することができるのか,そのヒントを示しているといえよう.

本論文は,アメリカという特殊な福祉国家におけるコミュニティ・オーガナイジングを社会政策との関係から分析することを試みた.方法としては,独自の分析枠組みを開発し,それによりコミュニティ・オーガナイジングの実践を包括的にとらえそれを分析した.従来の研究にみられるような,特定の実践を断片化して分析する方法ではなく,コミュニティという舞台において繰り広げられる幅広い実践を動的にとらえることにより,より人間化されたワーカーの思考とその戦略に光を当てることができた点において意義深い研究であると考える.

※掲載原稿と若干変更する場合があります。